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ルノワールの美少女像のモデル、イレーヌ・カーン・ダンヴェールとは

ルノワール
ルノワールの美少女像のモデル、イレーヌ・カーン・ダンヴェールとは
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印象派を代表するフランス人画家の巨匠ルノワールは、肖像画家としても活躍しました。

「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」(1880)は、そんなルノワールの肖像画の代表作です。

「可愛いイレーヌ」の愛称で親しまれる本作は、「印象派主義の肖像画の傑作」と讃えられてきました。

ふんわりとひろがる豊かな髪と、透き通るような白い肌からは無垢な少女の清楚さを。また少女の可憐さのなかに凜とした気品を感じさせる本作は、日本でもっとも人気があるルノワール作品の一つです。

ところで「モデルとなったこの美しい少女は、いったいどこの誰なのだろう?」と思ったことはありませんか?

歴史に残る肖像画に描かれているモデルは、どのような人物でどのような背景のもと描かたのでしょうか?

じつはモデルの美少女イレーヌと肖像画には、波瀾万丈な歴史がありました。

本記事ではまず前半で、モデルとなった少女と、少女と名画がたどった数奇な運命についてご紹介します。

記事の後半では、ルノワールの有名な少女像と、日本で鑑賞できるルノワールの少女像作品についてご案内しています!

名画とモデルのドラマチックな運命をいっしょにたどってみましょう。

ルノワールの名画「ルノワール イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」

「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」は、ルノワールの肖像画のなかでもっとも美しいと称される作品です。

この名画が誕生した当時の様子は、どのようなものだったのでしょうか? ここでは名作誕生の背景をご紹介します。

傑作肖像画の誕生

傑作肖像画の誕生
イレーヌの肖像画が描かれたのは、いまから140年ほど昔の1880年のことです。

その4年前に、ルノワールは第一回印象派展に「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を出品。

パリのモンマルトルにあった実在のカフェで制作されたこの大作で、ルノワールははじめて高い評価をうけました。

ところが残念なことにその後も絵の売れ行きが悪く、困窮したルノワールはもっと多くの絵を売る必要に迫られます。

そこで1879年、ルノワールは王立美術アカデミー主催の展覧会「サロン」への復帰を決意。

復帰したサロンではパリ社交界の花形だったシャンパンティエ夫人の肖像画が大評判となり、とうとうルノワールはサロンで成功をおさめました。

ずっと絵を買ってくれるパトロンが必要だったルノワールは、こうしてパリに住む富豪のユダヤ人銀行家・カーン・ダンヴェールから、娘イレーヌの肖像画を注文されることになりました。

モデルの美少女イレーヌ

1880年当時はちょうどベルエポックがはじまったころで、パリがひときわ華やいだ時代でした。パリの高級住宅街にはフランス人富豪や、金融で富を築いたユダヤ人などが優雅に暮らしていました。

イレーヌもそんなパリの裕福なユダヤ人一家の令嬢で、両親がルノワールに3姉妹の肖像画を依頼してきたのでした。

ルノワールは当時8才だったイレーヌを、ダンベール家の庭で描きます。そしてイレーネの肖像画は、その年のサロン展で入選。その美しさで好評を博します。

ところが、イレーヌの両親はこの肖像画が気に入りませんでした。

保守的な両親は王侯貴族を描くような古典的で重厚な絵画を好んでいたため、当時最新鋭だった印象派の手法は好みではなかったのです。

そのためイレーヌの2人の妹はまとめて1枚の肖像画として描くことになり、代金も期待していたより少ない額しか支払われませんでした。

このとき描かれたイレーヌの妹2人の肖像画が「ダンヴェール家のアリスとエリザベス」(1881)です。

ダンヴェール家のアリスとエリザベス

サロンの評論家からは高く評価され、傑作として歴史に名を残すことになるイレーネの肖像画は、購入者からは気に入られないという皮肉な結果となりました。

美少女イレーヌがたどった激動の人生

歴史に残る名画になる運命にあるイレーヌの肖像画。しかしその後は激動の歴史の波に飲み込まれていくことになります。

ここでは、イレーヌと肖像画がたどった数奇な運命をご紹介します。

大富豪の妻となったイレーヌ

成長したイレーヌは、19才になるとパリの大富豪カモンド伯爵のもとへ嫁ぐことになります。

カモンド伯爵は大の美術愛好家でした。ベルサイユ宮殿を模倣して作られたゴージャスなお屋敷は、いまでは改装されてニッシム・ド・カモンド美術館になっています。周囲には高級ホテルが建ち並び、すぐそばにモンソー公園があるパリの観光名所です。

イレーヌはここで貴族のようなゴージャスな生活を送っていたといいます。

その後イレーヌは離婚して、イタリア貴族サンピエリ伯爵のもとへ嫁いでいます。

ナチス・ドイツによる美術品略奪

こうしてルノワールがイレーヌを描いてから、60年の歳月が流れていきました。

1939年にドイツがポーランドへ侵攻すると、第二次世界大戦が勃発。ほどなくしてパリもナチス・ドイツの占領下になります。

ドイツの首相ヒトラーは、若いころ画家を志していたという過去がありました。この影響もあって、世界最大の美術館「総統美術館」設立の構想に着手します。

この構想の実現のためにヨーロッパ各地で大規模な美術品の略奪が行われ、もっとも大きな被害をうけたのがフランスでした。

パリの裕福なユダヤ人たちの美術品も次々と略奪にあい、イレーネの肖像画もナチスに奪われると行方が分からなくなりす。

当時、肖像画を所有していたのはイレーヌの長女ベアトリス。

ベアトリスは、ユダヤ人の夫と子どもとともに家族4人でユダヤ人強制収容所に送られ、そのまま戻ることなく悲劇的な末路をたどる結果に終わっています。

イレーヌと肖像画がたどった運命

第二次世界大戦が開戦してから5年が経過しました。1944年になると、連合軍ではアメリカを中心に美術関係者が集められ、特殊部隊・通称「モニュメンツ・メン」が誕生します。

モニュメンツ・メンは、記念建造物・美術品・古文書を奪回するための非戦闘部隊で、大掛かりな美術品奪回作戦がはじまりました。

このときのモニュメンツ・メンの活躍は映画『ミケランジェロ・プロジェクト』(2013)で描かれています。

最終的にナチスが略奪した美術品は60万点。レオナルド・ダ・ビンチの傑作「モナリザ」を含め、モニュメンツ・メンが奪回に成功した作品も数多くありますが、未だに10万点が行方不明です。

イレーヌの肖像画は、終戦後の1946年に奇跡的に発見されました。

さらに、イレーヌ自身もぶじに戦争を生き延びることに成功していました!

こうして1946年に、肖像画は再びイレーヌのもとへ返却される運びとなりました。

激動の時代を生き延びたイレーヌはその後も長寿を全うし、1963年に91才で人生の幕を閉じます。

現在、イレーネの肖像画を所有しているのは、スイスのビュールレ・コレクション。印象派の作品が600点集まった大規模なコレクションです。

イレーヌの肖像画は、1949年にイレーヌ本人からビュールレへと渡っています。

イレーネの肖像画安住の地「ビュールレ・コレクション」

このコレクションを築いたのは、スイスを拠点とするドイツ人起業家、エミール・ゲオルク・ビュールレ(1890-1956)。

ビュールレはスイスにある家業の兵器工場を引き継いで、富を築いたビジネスマン。大学では美術を専攻。23才のときベルリン美術館でフランス印象派とはじめて出会い、感銘をうけて印象派の収集家になりました。

イレーヌの肖像画は2015年までは、ビュールレの邸宅を改装した「ビュールレ・コレクション美術館」に展示されていました。

ところが2008年に美術館で盗難事件が発生。国際強盗団によりドガ、モネ、ゴッホ、セザンヌの4枚の絵画が美術館から盗まれ、被害総額は175億円と莫大になりました。

幸いすべての作品はぶじ回収されましたが、この事件がきっかけで、安全のためにスイスのチューリッヒ美術館へコレクションを移管することになりました。

スイス最大規模を誇るチューリッヒ美術館ですが、ビュールレ・コレクションのために拡張工事を行い、2020年から一般公開される予定です。

日本で鑑賞できるルノワールの少女像

ルノワールは裸婦像や肖像画などで多くの女性を描きつづけた画家でした。とくに晩年は多くの女性像を描き、その数は2,000点以上にのぼります。

生活のために富裕層の肖像画を制作する必要があったことも、多くの女性像を描いた理由の一つではありました。しかしルノワールにはほかにも大きな動機があります。

モネをはじめとする印象主義の画家は自然美への感動を讃える作品が多いなか、ルノワールは女性の美しさや魅力、愛を描くことを通して自然を賛美しようとしたのです。

そしてルノワールにとっては子どもたちも同じように、“生命の輝きと豊かさを象徴”する題材でした。こうしてルノワールは多くの子どもたちを描きました。

ここでは、そんなルノワールが残した有名な少女像と、日本国内の美術館が所蔵している作品についてご案内します。

日本国内の美術館でもルノワールの少女像を鑑賞できる!

巨匠が残した絵画を美術館で実際に自分の目で鑑賞するのは、忘れがたい貴重な経験となるものです。

ここでは、日本の美術館が所蔵しているルノワールの少女像を、5作品ご紹介します!

※作品によっては常時展示していないこともあります。美術館へ立ち寄る際には事前にお問い合わせやホームページにて確認をお願いいたします。

すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢

すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢

引用元:アーティゾン美術館 https://www.artizon.museum/

すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢
(1876年・35才頃)
アーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)/東京都
 ルノワールのパトロン、ジョルジュ・シャルパンティエの娘ジョルジェットが4才のころの肖像画です。
ジョルジェットは、ルノワールがサロンで認められるきっかけとなった「シャルパンティエ夫人と子どもたち」にも弟とともに描かれています。

※展示状況:展示に関する問い合わせは電話(ハローダイヤル)または、ホームページhttps://www.artizon.museum/ にてご確認ください。

庭で犬を膝に抱いて読書する少女

庭で犬を膝に抱いて読書する少女

庭で犬を膝に抱いて読書する少女
(1874年・33才頃)
山形美術館/山形県
 日本有数の印象派コレクション「吉野石膏(せっこう)コレクション」所蔵作品です。モネなどとともに印象主義を模索していた第一回印象派展のころに描かれた作品。光と色彩にあふれる明るい画面のなかで、豊かな緑のなかに少女の衣服がとけこんでいるかのように描かれています。

※展示状況:2020年2月から常設展示予定あり。詳細は美術館へお問い合わせください。

レースの帽子の少女

レースの帽子の少女

レースの帽子の少女
(1891年・50才頃)
ポーラ美術館/神奈川県
「真珠色の時代」と呼ばれるルノワール晩年の作品です。透明感ある白い肌とふんわりとした髪で少女の可憐さを表現。レースとリボンで飾られたボリュームある帽子は、当時流行していたもの。このほかポーラ美術館には、あわせて17点のルノワール作品があります。

※展示状況:美術館ホームページにて展示状況をご確認いただけます。https://www.polamuseum.or.jp/

泉のそばの少女

泉のそばの少女

泉のそばの少女
(1887年・46才頃)
笠間日動美術館/茨城県
ルノワール後期の代表作「大水浴図」(1887)と同じころに描かれた作品です。ルノワールはこの時期「母性」シリーズとしてたくさんの女性像を描いており、こうして育まれた技術で健康的な女性の肌をみごとに表現しています。

※展示状況:基本的に常設展示されている作品です。

胸に花を飾る少女

胸に花を飾る少女

胸に花を飾る少女
(1900年・59才頃)
熊本県立美術館/熊本県
ルノワール円熟期の作品で、熊本県立美術館の看板娘となっている本作。帽子に飾られたバラから胸元の花へ、また衣類の刺繍へ…と縦に伸びる色彩の流れがアクセントになっています。

※展示状況:常設展示予定あり。美術館へ直接お問い合わせ下さい。

ルノワールの代表的な少女像を紹介

子どもの愛らしさを通して、自然と生命を賛美したルノワール。

ここでは、そんなルノワールの印象に残る代表的な少女像を5作品ご紹介します。

ダンヴェール家のアリスとエリザベス(ピンクとブルー)

ピンクとブルー

ダンヴェール家のアリスとエリザベス
1881年
サンパウロ美術館
「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」と同時に注文されました。イレーヌの2人の妹がモデルです。「ピンクとブルー」の愛称で親しまれ、所蔵されているサンパウロ美術館でもっとも愛されている作品です。

小さな貴婦人ロメーヌ・ラコー嬢

小さな貴婦人ロメーヌ・ラコー嬢

小さな貴婦人ロメーヌ・ラコー嬢
1864年
クリーグランド美術館
もっとも初期のルノワールが23才ごろの作品。モデルは父親の知人で裕福な陶器製造業者の娘。少女の愛らしさのなかに品格と格調を感じさせるとともに、背景にある花の色彩は繊細で、ルノワールの豊かな才能を伺わせる肖像画です。

バレリーナ(踊り子)

バレリーナ(踊り子)

バレリーナ(踊り子)
1874年
ワシントンナショナルギャラリー
1874年の第一回印象派展出品作です。印象派主義らしい柔らかな筆跡で、背景にとけこむように描かれています。バレリーナといえば印象主義の朋友であったドガが有名ですが、ドガが現実のなかのリアルな瞬間を写しだしていたのに対し、ルノワールは正式な肖像画の構図で描いています。

うちわを持つ少女

バレリーナ(踊り子)

うちわを持つ少女
1879年
クラーク美術館
当時パリではジャポニスム(日本趣味)が流行し、とくに“うちわ”は多くの画家によって描かれた人気アイテム。ルノワールは、うちわとともに日本の菊に似た花で彩られた少女を鮮やかに描きだしています。タータンチェックの旅行着も当時流行していたものです。

ピアノを弾く少女たち

ピアノを弾く少女たち

ピアノを弾く少女たち
1892年
オルセー美術館蔵
ルノワール晩年の「真珠色の時代」初期の作品です。うすく塗りかさねた絵の具が玉虫色の輝きをはなち、緑とオレンジ、赤がとけあう幻想的な雰囲気が姉妹の親密さを際立て、優雅で幸福なひとときを彩っています。

まとめ

幸福を描きつづけた画家ルノワールは絵画を通して、女性や子どもたちの美しさや愛らしさを後世に残しました。

激動の時代を越えていまに残るルノワールの絵画。その魅力と輝きは、まるでそれ自身が生命力を持っているかのようです。

ここが、ルノワールの人物画がわたしたちの心をつかんで離さない理由かもしれません。

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