MUTERIUMMUTERIUM

有名な印象派画家の絵画鑑賞で人気の美術館まとめ

Stories
モネの睡蓮は日本で観る事ができる?パリでは?
当メディア(MUTERIUM)の画像使用は作者による許可を得ているもの、また引用画像に関しては全てWiki Art Organizationの規定に準じています。承諾無しに当メディアから画像、動画、イラストなど
全て無断転載は禁じます。

19世紀に活躍した印象派のフランス人画家モネ。その代表的な作品「睡蓮」は実は単一ではなく、約200点もの絵が存在します。そのうちのいくつかは日本の美術館でも所蔵。そしてパリにはモネの遺作品が残っています。どんな美術館でモネのどんな睡蓮の絵を観ることができるのか、その詳細を解説します。

印象派クロード・モネについての基礎知識【作品や背景】

クロードモネの写真

印象派の巨匠の1人であるクロード・モネは1840年にパリで生まれ、その後ノルマンディーのル・アーヴルに引っ越し、そこで成長しました。子供の頃から絵が好きで、描いた人物画が売れるほどの腕前を持っていましたが、当時風景画の画家として知られていたブーダンに出会ってから、風景画を描くようになりました。

ブーダンは太陽の光を絵に取り入れる「外光派」の一人で、モネはブーダンから戸外における油絵の制作方法を教えられました。1859年、モネはパリに移り本格的な絵の勉強を始めます。1865年にはフランスの王立絵画彫刻アカデミーが開催していた「サロン・ド・パリ」で初入選を果たし、フランスの画壇に登場。ところがやがてサロン・ド・パリに出品した作品が落選するようになったのをきっかけに、1874年、モネはサロンから離れ自分の仲間たちと独自の展覧会を開催するようになります。

この展覧会では、モネの有名な作品「日の出」に代表されるような、それまでの伝統的な西洋画とは異なる作品が展示されました。そうした画家たちは、今でいう「印象派」の画家であり、印象主義はこの展覧会からが始まったと言われています。

日の出

当時、印象派の作品は世間一般から酷評を受けましたが、反対に理解を示してくれる人物も現れました。モネにとってはエルネスト・オシュデがそうした人物であり、オシュデはモネのパトロンとなり、モネはオシュデの家に同居することになります。ところがここでモネはオシュデの妻アリスとの関係を深め、後に妻として迎え入れることになるのです。

またその他の印象派の画家達がそうであったように、モネもジャポニスムの影響を大きく受けた画家でもありました。着物を着て扇子を手にした西洋の女性を描いた「ラ・ジャポネーズ」はそうした日本の影響を受けたモネの代表作にもなっています。

ラ・ジャポネーズ

モネはあちこちをよく旅しましたが、住居も何度か変えています。最終的に落ち着いたのがジヴェルニーでした。モネはここで、「積みわら」や「ポプラ並木」など付近の風景画を制作しています。また、庭園づくりにも力を入れ、花の庭と水の庭を造園。この庭園をモチーフとした作品を数多く制作しました。特に晩年は睡蓮を扱った絵に力を入れました。晩年には視力低下に悩まされたモネでしたが1926年に86歳で亡くなるまで、「睡蓮」の壁画制作に集中し大作を残しました。

モネの代表作睡蓮、日本で観れる場所はどこ?

モネが、自身の代表作である「睡蓮」の絵を描き始めたのは1899年。亡くなる直前まで睡蓮の絵の制作に携わっていました。その間にモネが制作した睡蓮の絵は全部で約200点にのぼると言われています。幸いなことに、そのうちのいくつかの作品が日本の複数の美術館で所蔵されています。以下、モネの代表作「睡蓮」が見れる日本の美術館をご紹介します。

神奈川県 ポーラ美術館

ポーラ美術館の絵画""

神奈川県の箱根にあるポーラ美術館に展示されているモネの「睡蓮」は1907年制作のものです。モネの視力がまだ落ちていない頃に描かれたもので、睡蓮の花や葉、そしてそこに当たる光の美しさが見事に表現されています。

岡山県 大原美術館

大原美術館の作品

岡山県倉敷市にある「大原美術館」もモネの「睡蓮」を展示している美術館です。ここに展示されている作品は、1906年頃に制作されました。大原美術館は、大原孫三郎が建てた美術館として知られていますが、このモネの睡蓮は、大原がパトロンをしていた画家 児島虎次郎が直接モネに会い譲り受けたものです。

香川県  ベネッセアートサイト直島の地中美術館

ベネッセアートサイト直島の地中美術館の睡蓮

アート活動団体「ベネッセアートサイト直島」の「地中美術館」は2004年、香川県の瀬戸内海に浮ぶ3つの島に作られました。瀬戸内海の素晴らしい景観を妨げないように建物の大部分が地下にあるというユニークな美術館です。この美術館には、モネが晩年の1914年から1917年の間に制作した「睡蓮の池」2点、「睡蓮-草の茂み」「睡蓮」「睡蓮-柳の反映」各1点、全部で5点の作品が展示・所蔵されています。

東京都 国立西洋美術館

国立西洋美術館にあるモネの絵

東京の上野公園にある「国立西洋美術館」は松方幸次郎氏が蒐集した「松方コレクション」の作品を展示・所蔵するために創設された美術館です。ここに展示されているモネの「睡蓮」は1916年に制作されたもの。縦横とも2ⅿもある大きな作品で、松方氏が1922年モネから購入したものです。その後この睡蓮の絵は、一時フランス政府により接収されましたが1959年に寄贈返還され今日に至っています。

京都 アサヒビール大山崎山荘美術館

アサヒビール大山崎山荘美術館の絵画

京都にある「アサヒビール大山崎山荘美術館」は、実業家であった加賀正太郎氏の「大山崎山荘」を復元し1996年に美術館としてオープンしたものです。この美術館では、モネが1914年から1917年に掛けて制作した赤色の睡蓮の花を描いた作品を観ることができます。モネの睡蓮の作品の中でも特徴のある絵の一つ。この作品の中の赤い睡蓮は当時、新種として発表されたばかりの睡蓮で、モネは早速それを入手して自宅の池の中に置き絵に収めたのです。

福岡県 北九州市立美術館

北九州市立美術館にあるモネの睡蓮

モネは池に浮かぶ睡蓮だけでなく池に映る柳の様子を表した絵を全部で6点描いています。その中の1点、1916年から1919年にかけて制作した作品「睡蓮 柳の反映」を観れるのが福岡県にある「北九州市立美術館」です。この美術館は主に日本人画家による作品を所蔵していますが、モネのこの睡蓮の作品は当美術館が所蔵する6点の外国人画家による作品の内の一つです。

日本でモネの絵が観れるその他の美術館

群馬県  群馬県立近代美術館

群馬県立近代美術館の絵画

東京都 東京富士美術館

東京富士美術館にあるアート作品

睡蓮 柳の反映について解説

睡蓮 柳の反映
モネの幻の大作「睡蓮 柳の反映」はモネが1916年に制作した作品。松方幸次郎がヨーロッパ訪問中に蒐集した松方コレクションに収められていたものでしたが、戦時中にフランス政府から押収され、その後60年以上、その所在が不明でした。ところが2016年にパリのルーブル美術館内で発見。ルーブル美術館側から日本の国立西洋美術館に連絡を取り、寄贈返還されました。

「睡蓮 柳の反映」は発見はされたものの、画面の上部が欠損していました。返還された睡蓮の絵を受け取った国立西洋美術館は、修復を行いました。ただし、欠損部はそのままにし、残された下部だけの修復にとどめています。

上部が欠損した原因について、国立西洋美術館側は次のように説明しています。

水や湿気で被害を受けたのではないかと考えられます。農家の家に疎開されていたので、ほかの作品が重なっていたのではないかとも推測されます。

美術手帳

なお、国立西洋美術館は「睡蓮 柳の反映」の欠損部を推定しデジタルにより復元した作品も制作しています。この推定復元は、北九州市立美術館や地中美術館などの協力を得て行いました。これらの美術館で所蔵しているモネの作品が、「睡蓮 柳の反映」の制作時期と同じ時期に制作され、使われているモチーフも似ているということが協力を求めた理由です。参考にした作品に照らし合わせ、残存部分の科学調査を実施することによって、欠損部の特徴を探り出し復元しました。

【パリに行ったら訪れたい】オランジュリー美術館で観れる有名な睡蓮の大絵画

さて、モネの睡蓮画の紹介も終わりに近づいてきました。最後は何といっても、パリの「オランジュリー美術館」で観れる有名な「睡蓮の大壁画」を紹介したいと思います。

この大壁画は、1918年に、モネがフランス政府の依頼で制作を開始したものです。作品は全部で8点。第1室に展示されているのが「日没」(200 x 600 cm)、「雲」(200 x 1275 cm)、「緑の反映」(200 × 850 cm)、「朝」(200 × 1,275 cm)の4点。そして第2室に、「樹木の反映」(200 × 850 cm)、「朝の柳」(200 × 1,275㎝)、「2本の柳」(200 × 1,700 cm)、「柳のある明るい朝」(200 × 1275 cm)の4点が展示されています。

モネは1926年に86歳で亡くなっていますから、亡くなる8年前、つまり晩年の78歳の時に依頼を受けたわけです。その頃すでに視力が衰えていたモネはその依頼を引き受けるかどうかかなり悩んだと言われています。実際この睡蓮の作品が完成するまでに、モネは3度も白内障の手術を受けているのです。モネのこの最後の睡蓮の作品を初期の頃の作品と比べると、明らかに視力低下で苦しんでいたモネの様子が伝わってきます。池に垂れ下がる柳は比較的はっきりと描かれていますが、睡蓮の葉や花は輪郭線がはっきりしないものが多くなっています。それにもかかわらず、絵の中で表現されている「光」には見る人の目を惹きつける美しさが満ち溢れています。この光こそがモネが生涯を掛けて表現したかったものだったのです。

モネがなくなってから数か月後、「睡蓮の大壁画」はフランス政府に寄贈され、パリのチュイルリー公園に新しく開館した「オランジュリー美術館」に展示されることになりました。オランジュリーとは「温室」のこと。元々はナポレオン3世が創設した温室でした。それを美術館に改造したのです。そして2000年、更なる改造が始まりました。このプロジェクトでは、モネの睡蓮の大壁画が展示されているエリアを、天窓から光が降り注ぐように改造しました。作業は6年の歳月をかけ完了し、2006年にリニューアルオープン。最後まで光の表現を追求したモネの偉業をたたえるかのように、暖かい明るい日の光が展示エリアに降り注いでいます。パリに行ったら、ぜひオランジュリー美術館を訪れ、モネの有名な遺作「睡蓮の大壁画」を鑑賞してください。

まとめ

フランスのパリで生まれ、印象派の画家としてその名を残すモネ。モネは風景画の画家であったブーダンに出会い、風景画を得意とする画家としてその後の画壇に大きな影響を与えました。特に自身が造園した水の庭をモチーフとして描いた約200点にも及ぶ「睡蓮」の絵は有名。そのいくつかは日本の美術館でも所蔵されており観ることができます。またパリのオランジュリー美術館にはモネの遺作であり大作である「睡蓮の大壁画」が展示されています。当記事ではそうした日本やパリで見ることのできる美術館や実際の絵の内容などについて解説しました。ぜひ機会をとらえて巨匠モネの睡蓮をじっくり鑑賞してください。

関連記事
No Comments
    コメントを書く