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日本の現代美術家・ヤノベケンジは、宇宙服や防護服を着た巨大な子供のフィギュアで知られるアーティスト。
ヤノベケンジは幼少期より感じていた「未来の廃墟」像と重なる、ディストピア的な未来に近づきつつある実際の日本や世界の状況を、昭和のおもちゃのようなキュートな造形で形づくります。
2018年に東日本大震災・福島第一原子力発電所の復興と再生を願って2011年から制作されたヤノベケンジの作品《サン・チャイルド》像が、批判が相次いだため撤去されてしまうという事件はアート界を震わせました。ヤノベケンジという作家について紐解くとともに、いま一度「サン・チャイルド像撤去事件」を再認識しましょう。
目次
ヤノベケンジのプロフィール
ヤノベケンジ(矢延 憲司)は1965年大阪市出身の現代美術作家。1990年代より「現代社会におけるサバイバル」をテーマに、彫刻やパフォーマンス・アート、キネティック・スカルプチャー(機械彫刻作品)を制作しています。
2018年にヤノベケンジの作品《サン・チャイルド》が撤去された出来事は記憶に新しく、ニュースやメディアの発表により、その作品の様子などは誰もが目にしたことがあるのではないでしょうか。
ヤノベケンジはイギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アートに短期留学したのち、京都市立芸術大学の大学院を修了しました。彫刻を主に専攻し、現在でも表現においてメインのメディアとなっています。
ヤノベケンジの作品のテーマの根底には、ヤノベケンジ自身の子供の頃の記憶が深く関係しています。1970年に開催された大阪万博の会場跡地で遊んでいたことの記憶が主に影響しており、万博開催後にほぼ廃墟と化したパビリオンや巨大ロボットの残骸は、現在まで続く作品の原点でもあります。
また、2005年に豊田市美術館で開催された個展「KINDERGARTEN」で展示された《ジャイアント・トらやん》などにみられる「トらやん」というヤノベケンジの作品に現れるキャラクターは、ヤノベケンジの父親が所有していた腹話術人形がモデル。これらのように、ヤノベケンジの作品には個人的な感性が影響していますが、その表現全体に現れるディストピア的な世界観は現代社会の現状と強く結びついています。
特に、ヤノベケンジの作品の中でも近年は「放射能汚染された環境で生き抜くためのスーツ」など、SF作品の世界観を踏襲したテーマを用いますが、それらは特に東日本大震災や福島第一原子力発電所の事故をうけて制作をはじめたのではなく、ヤノベケンジが1990年代後半より計画した「アトムスーツ・プロジェクト」が発端です。
「アトムスーツ・プロジェクト」は阪神・淡路大震災とオウム・地下鉄サリン事件など、90年代の悲惨な災害や事件が影響しており、ヤノベケンジが万博廃墟やSF作品に触れ、想像していた終末的な世界が現実になっていってしまった過程から生まれたもの。
「鉄腕アトム」の特徴的な髪型を模した「アトムスーツ」という放射能感知服をまとい、チェルノブイリ原発周辺や大阪万博跡地を訪れるという企画であり、これを機にヤノベケンジは自身の制作テーマをサバイバルから「再生(リバイバル」)」へと改めました。
自らを「こてこての関西人」であると自称するヤノベケンジですが、その作品も真面目なコンテンポラリー・アートというよりはエンターテインメントの装置としての側面が強く、鑑賞者に強烈な印象を与えます。そうして、とっつきにくい「アート」の世界を飛び出し、親しみやすさを持って現代の社会や環境の隠しきれないディストピア的な負の面と、それに対する希望ある未来を表現しています。
主な活動
ヤノベケンジのこれまでの活動は、大学院在学中に京都のギャラリー、「アートスペース虹」にて発表した《タンキング・マシーン》というデビュー作からはじまります。1990年に制作されたこの体験型作品は、生理食塩水が満たされたアイソレーション・タンク(感覚遮断タンク)の中に鑑賞者が入り、瞑想するためのもの。
《タンキング・マシーン》は第一回キリンプラザ大阪コンテンポラリー・アワードの最優秀作品賞を受賞し、ヤノベケンジのアーティストとしての活動の契機となっています。
92年には東京レントゲン藝術研究所のグループ展「Anomaly」に村上隆、伊藤ガビン、中原浩大と共に参加。90年代の「ネオ・ポップ」と呼ばれるヤノベケンジらをはじめとした当時の若手作家たちの作風を台頭させます。
またヤノベケンジは94年からベルリンに滞在し、制作・発表活動を3年間行いました。そして97年に「アトムスーツ・プロジェクト」として、ガイガーカウンター付きの放射線感知服「アトムスーツ」を着て廃墟になったチェルノブイリ原発に向かいます。
この企画はチェルノブイリ原発近くのプリピャチという、原発の労働者が住む街として1970年に建造された土地を一週間歩き回り取材する計画であり、ヤノベケンジはこの「アトムスーツ・プロジェクト」を経て、表現者として世の中の変わるような行動をするべきと決意したといいます。
2003年にはヤノベケンジのイマジネーションの根底にある大阪万博会場跡地・国立国際美術館にて、大規模な個展「MEGAROMANIA」が開催。ヤノベケンジにとって大阪万博会場跡地は聖地のようなものであり、ヤノベケンジにとっては理想的な地での展覧会でした。
2005年の豊田市美術館の個展「KINDERGARTEN」では、当時5歳のヤノベケンジの息子の声が登録された「ジャイアント・トらやん」を展示。高さ7.2メートルの本来は歌って踊り、火を噴くというギミックをつける予定が、屋内展示でスプリンクラーが作動してしまうという点で火を噴くという機能のみお蔵入りとなりました。
また、同展覧会の展示作品《森の映画館》は鉄製の「子供用核シェルター」という設定であり、ガイガーカウンターになったアトムが放射能を感知すると反応して歌うシステムになっています。
2010年には富山県の発電所跡地で旧約聖書の大洪水をテーマとしたインスタレーション「ミュトス」を発表。稲妻の放電や大量の水の放流など、自然のパワーを目の当たりにするような大規模な作品となりました。
また、ヤノベケンジは2011年に福島県立美術館にてワークショップ・イベント「ヤノベケンジ トらやんの空飛ぶ箱舟大作戦」をきっかけに、東日本大震災および福島第一原発事故の復興に関わるようになり、記念碑として《サン・チャイルド像》を制作する運びとなります。
そして2013年、瀬戸内国際芸術祭2013では中心的な作家として数点の作品を展示。小豆島と直島をつなぐフェリー「太陽の船」のデザイン、また神戸と小豆島をつなぐジャンボフェリーにヤノベケンジの代表作であるアトムスーツを着た「トらやん」が船長として登場し、小豆島の坂手港にはミラーボールのような巨大モニュメント《THE STAR ANGER》を設置。
そして、何より話題を呼んだのがお笑いタレント・映画監督のビートたけしとのコラボレーション作品《ANGER from the Bottom(地底からの怒り)》。ヤノベケンジとビートたけしが現代のあらゆる問題に関して意気投合し作り上げられたこの作品は小豆島・坂手港付近の振り度に設置されました。
また同年の2013年は愛知県美術館開催のあいちトリエンナーレ2013へ出展。2016年には高松市美術館にて個展「ヤノベケンジ シネマタイズ」の開催など、時には年に数回というペースで精力的に活動しています。
ヤノベケンジのアート作品
ここから、ヤノベケンジの作品について、近年の代表作を中心に解説していきましょう。
「トらやん」
ヤノベケンジの作品を語る時には、「トらやん」の存在は欠かせません。
ヤノベケンジの作品にたびたび登場する「トらやん」というキャラクターが生まれたきっかけは、ヤノベケンジの父親が突然買ってきた腹話術人形。もともと厳格な父であったそうですが、定年退職をして柔和になり、ある日突然腹話術をはじめたとのこと。その時はヤノベケンジの反対により腹話術人形は売りに出すということになりました。
それからしばらくしてヤノベケンジが実家を訪れると、父親が「新しい腹話術人形ができた」といい、青いトランクから取り出したのはチョビ髭にバーコード頭、阪神タイガースのユニフォームという姿に成り果てた、いつかの腹話術人形。「トらやん」の誕生です。
さらに、2003年の大阪万博会場跡地での「MEGAROMANIA」展の直前、出展予定であったヤノベケンジの作品である3歳児用放射線感知服《ミニ・アトムスーツ》が紛失。その犯人はまさにヤノベケンジの父親であり、探すと「トらやん」がその《ミニ・アトムスーツ》を着ていたそう。不思議とサイズもぴったりであり、アトムスーツを着た「トらやん」は「MEGAROMANIA」展のオープニングで腹話術をしたということです。
まるで完成されたコメディのような誕生秘話のある「トらやん」は「MEGAROMANIA」展をきっかけに、2005年の《ジャイアント・トらやん》が作られ、また《森の映画館》ではアトムスーツを着たトらやんで腹話術をするヤノベケンジの父親の映像が見られました。以降、ヤノベケンジの作品には全体を通して「トらやん」の大きな存在があります。
「トらやん」はまた、フィギュアや絵本、その他グッズなど関連商品としても大人気。現代アートグッズの通販サイトなどで販売されています。
サンシスター
ヤノベケンジが2015年に制作したモニュメント作品《サンシスター》は、阪神・淡路大震災から20年の記念碑として、神戸市のミュージアムロードに設置されました。2011年制作の《サン・チャイルド》の姉のような存在として「サンシスター」と名付けられ、希望の象徴である太陽のオブジェを右手に掲げ過去・現在・未来を見つめています。
フローラ
《フローラ》は、はじめ2006年の「音」をテーマに汚水処理施設の煙突に設置された作品に関するアートプロジェクトの名前でした。花の女神を冠した《フローラ》というタイトルは、2015年にヤノベケンジと増田セバスチャンのコラボレーション作品に再び名付けられます。《サンシスター》と同じ母体から制作されたこの作品も、阪神・淡路大震災のモニュメントであり、「再生のシンボル」として存在しています。2016年に高松市美術館で開催されたヤノベケンジの個展「シネマタイズ」にも展示されました。
サン・チャイルド事件
ヤノベケンジの近年の作品の中でも最も話題性を持つのが、《サン・チャイルド》でしょう。
《サン・チャイルド》は輝く太陽のモチーフを右手に、アトムスーツのヘルメットを脱いで左手に持つ高さ6.2メートルの立像で、ヤノベケンジの子供時代である70年代のおもちゃを思わせる姿が特徴的。右手の太陽は、ベルリン滞在時にチェルノブイリへ「アトムスーツ」を着て取材に赴いた際、廃墟となった幼稚園に飾られていた太陽の絵から、絶望の中にいても立ち上がっていく子供達のエネルギーをメタファーとして示すものです。
《サン・チャイルド》は、ヤノベケンジが表現者の使命として、福島に起きた絶望的な出来事をうけ、なんども福島に通いながら、人々勇気を与えようと制作したもの。原発事故という人間の過ち、そして災害から復興する希望を忘れないためにあるモニュメントであり、顔が傷ついていてもダビデ像のように立ち上がる強さを表現しています。
《サン・チャイルド》は3体制作され、国内およびモスクワやイスラエルなど海外でも展示されました。2018年には福島市長の意向により復興のシンボルとして譲渡され、福島駅付近に設置することが決まります。しかし、「原発事故の風評被害を広める」という批判が相次ぎ、設置からひと月を待たず撤去されるという運びに。
「000」の数値を示すガイガーカウンターとヘルメットを外した姿は、「放射能汚染のない未来への希望を示す祈りのメッセージ」というコンセプトがありますが、反対派の市民はこれを拒否。ヤノベケンジと福島市は市民との根気強い対話を求めましたが、結果として作品は撤去されました。
「風評被害」という実態が本当にあるのかどうか。福島で起こった出来事に向けたモニュメントが「撤去」されたという事実にはどのような意味が潜んでいるのか、日本の文化についていま一度深く見つめ直すべきでしょう。
まとめ
《サン・チャイルド》をはじめパブリック・アートとして公開される現代美術に対し、一般市民の戸惑いの声は大きく、刻一刻と変化していくアート・カルチャーとの関わり方について、今後も美術関係者のより詳しい説明と対話が求められます。また、《サン・チャイルド》は、人々がいま新しく創造されていく文化を受容するための文化教育のあり方が問われる現状を明らかにした事件でもあるでしょう。
震災の悲惨な記憶と、今にも続く原発事故の影響など、暗雲立ち込める「今」を乗り越え子供たちに捧げる未来を描いたモニュメントがもし引き続き福島にあったなら、現代におけるアートに関する漠然とした不信感も変わったでしょうか。日本のアートに対し、すべて作家の「感性」で好き勝手するものなどではなく、確固たる思考に基づいて制作され、時代とともに歩んでいく映し鏡のようなもの、あるいは未来に向けた指標でもあるという見方を持つには、まだまだ時間と努力が必要かもしれません。