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イタリアのフィレンツェに生まれた彫刻家ドナテッロ(Donatello)は、彫刻の世界に革命的な足跡を残した芸術家です。
初期ルネサンスの彫刻の大家として高く評価され、その後のイタリアのローマを初めとする各地で開花したルネサンスに大きな影響を与えました。
ドナテッロの作品の中でも最もよく知られるブロンズ像「ダヴィデ」を初め、その他の代表作について解説していきます。
目次
彫刻家としての始まり
ウフィツィ美術館(フィレンツェ)ファサードのドナテッロの彫像
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Uffizi_Donatello.jpg
ルネサンス初期の金細工師であり彫刻家であるドナテッロ(ドナテルロまたはドナテロともいう)は、1386年にイタリアのフィレンツェで生まれました。
本名は、ドナート・ディ・ニッコロ・ディ・ベット・バルディといいます。
父親は毛織物業のギルドの一員。毛織物は手工芸の一つであることから、ドナテッロは父親から芸術的な素質を受け継いでいたと考えられます。
フィレンツェでは、彫刻家のロレンツォ・ギベルティに師事。
18歳の時にローマに出て21歳になるまで、同じく金細工師・彫刻家であったフィリッポ・ブルネレスキと共に彫刻制作所の助手として働きました。(フィリッポ・ブルネレスキは後に建築も手掛けています。)
当時、ローマではこの2人の仕事ぶりが評判に。後にローマ芸術の基礎を築くことになります。
そんな中、ドナテッロは金細工に専念しますが、同時に、ブルネレスキが設計・建築した建物にドナテッロが彫刻作品を制作するなど2人は息のあった制作活動を続けました。
ドナテッロの主要作品紹介
ドナテッロの作品はすべてが彫刻作品。一つの作品の制作には長い年月が必要なため、現在まで残っているドナテッロの作品はそれほど多くありません。その中でも代表作といわれている作品をいくつか解説します。
「福音記者聖ヨハネ像」
https://www.wikiart.org/en/donatello/san-giovanni-evangelista-1415
ドナテッロが1409~1415年に制作した坐像「福音記者聖ヨハネ像」は、フィレンツェのシンボルであるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に置かれています。
当初この彫刻作品は、この大聖堂のファサード(正面部分)の上部に置かれていました。
このように、見る人の目の高さよりもずっと上に置かれることになっていたため、ドナテッロは仕上がった時に普通に見えるようにのヨハネの体のプロポーションを調整したのです。
つまり、普通の彫刻の作り方をすると、上の方に飾った時に全体の姿はアンバランスに見えてしまいます。
ドナテッロはその歪みを修正するために、像の胴体を普通よりも長くして制作したのです。
1588年に大聖堂の改築工事が行われたため、「福音記者聖ヨハネ像」は、現在の大聖堂のドゥオーモ付属美術館に移され展示されています。
上述の理由から、元々アンバランスに制作したこの聖ヨハネ像は、普通の位置に置かれている現在、かなり胴長に見えてしまうのです。
様式的な面では、聖ヨハネの顔や胸部には、ゴシック様式の特徴である理想化された形が見受けられます。
その一方で、その他の部分、例えば手や衣服また足などには、写実的な表現が見られます。こうした表現は初期ルネサンスの特徴として考えられています。
「聖マルコ像」
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Orsanmichele_Florenz_Donatello_Markus.jpg
フィレンツェのオルサンミケーレ教会に飾られている「聖マルコ像」は、ドナテッロが1411~1414年に制作したもの。
高さ約2.3ⅿの大理石の彫刻作品です。
当初、この作品は教会の外壁のニッチと呼ばれる空間に飾るものとして作られ、そこに置かれていました。
現在ではこの空間に置かれているのはレプリカで、実物は博物館に移動されそこで展示されています。
この像も前述の「福音記者聖ヨハネ像」と同じように、高い所に置かれるように制作されたので、正面から見ると像のプロポーションがアンバランスに見えます。
ところで、このアンバランスに関してはおもしろい逸話が残っています。
ドナテッロは彫刻が完成したため、制作を依頼した綿織物ギルドのメンバーに見せました。
ところが、それを見た依頼者は像のプロポーションが満足いかないという理由で、ドナテッロに修正を施すよう依頼したのです。
これを受けたドナテッロは、修正しているふりをして、実は像に布をかぶせ何も手を付けず15日間放っておきました。
そして16日目、この彫刻作品を予定通り、高みの位置に置き依頼者に披露。
するとその依頼者は何も文句を言わず満足したそうです。
高い所に置く彫刻作品の制作には、その作品の制作自体だけでなく、見る人を納得させることにも苦労したことがわかりますね。
これは現代でも対クライアントにも通じるお話ではないでしょうか。大変面白いですね。
「ダヴィデ」
https://www.wikiart.org/en/donatello/david-1432
「ダヴィデ」は、当時フィレンツェで芸術家の有力なパトロンであったメディチ家の依頼で制作したものです。
ドナテッロの作品の中でも最もルネサンスの特徴が表れ、そのために最もよく知られた作品の一つになっています。
ダヴィデ(または「ダビデ」)は、古代イスラエルの王。
少年の頃は 羊飼いでしたが、やがて力をつけ、ユダで王位に就き、攻め寄せるペリシテ人を打ち負かしてイスラエルの王となった人物です。
その戦いの時に、敵の最強戦士ゴリアテを倒した逸話がよく知られています。
ドナテッロの彫刻作品「ダヴィデ」はそうした場面を表現したものです。
世界的にはミケランジェロの「ダビデ像」のほうがよく知られているかもしれませんが、ドナテッロのダヴィデはルネサンスの始まりを象徴するものとして高く評価されています。
ミケランジェロの作品では、ダビデがゴリアテに投石しようとする場面を表しています。
それに対し、ドナテッロのダヴィデは、片手に剣を持ち、捉えたゴリアテの頭の上に片足を乗せている様子を表現しています。
ドナテッロの作品もミケランジェロの作品もダヴィデ像は全裸。
ミケランジェロの時代では全裸の像を作ることは普通になっていたようでしたが、ドナテッロの時代では全体未聞の作品だったのです。
このことがルネサンスの始まりを象徴しています。
「ガッタメラータ騎馬像」
https://www.wikiart.org/en/donatello/equestrian-statue-of-gattamelata-at-padua
イタリアの中でもベネチア近くにあるパドヴァ。ドナテッロがこの町に制作したのが「ガッタメラータ騎馬像」です。
制作依頼者は戦死したガッタメラータの遺産相続人。
馬にまたがるベネチアの総司令官ガッタメラータの姿を表現したこの騎馬像のサイズは等身大です。
高さは3.4m、台座を入れても7.8mでという、それまでの騎馬像と比べると小さ目です。
これまで、古代に作られた騎馬像は大きく作って威圧するようなイメージのものが多かったのですが、パドヴァにドナテッロがせいさくしたこの作品では、大きさよりも軍人の内から湧き上がる偉大さに重点が置かれています。
そのため、人物の表情やポーズ、また馬の様子が活き活きと表現され、ルネサンス期の特徴をよく表すものとして高く評価されているのです。
またそれ以降、亡くなった軍人を讃えるために作る騎馬像の代表的な作品として、後世の彫刻家に影響を与えました。
技法としては、ロストワックス法を取り入れ制作しています。
この技法では、まずワックスで原型を彫刻し、その周りに鋳型を作ります。
次にこの鋳型を熱すると、中のワックスが解け出し、そこに彫り込んだ形状の空間が出来上がります。この空間に青銅を流して最終的な像を制作します。
「悔悛するマグダラのマリア」
https://www.wikiart.org/en/donatello/magdalene-penitent
ドナテッロが制作した彫刻作品は聖人や英雄の姿をテーマにしたものが多いのですが、「悔悛するマグダラのマリア」はドナテッロの他のどの作品とも異なる「すごさ」が感じられる特別な作品。
決して美しくないのに、なぜか心を揺すぶられる「悔悛するマグダラのマリア」。ドナテッロはこの像をなんと70歳という高齢の時に制作しました。
マグダラのマリアとは暗い過去を背負った女性。
娼婦をして生活するなど腐敗した人生を送っていたのですが、そんな時にキリストに出会い心を入れ替えることができたため、キリストを深く尊敬していました。
ところがキリストは磔刑に処せられ他界。その後復活したキリストにいち早く気づいたのがこのマグダラのマリアだと言われています。
マグダラのマリアはキリストへの感謝を示すために、キリストが背負った苦しみをマリア自身が禁欲することで報いようとしました。
ドナテッロの作品に見られるマリアは、長く伸びた自分の髪の毛を衣服のように身にまとい、苦しそうではありながらどこか達観した表情を見せています。
そんな姿が、この作品を観る者に「すごさ」を感じさせるのではないでしょうか。
初期ルネサンスの特徴である人間らしさが最もよく表された、ドナテッロの集大成ともいえる作品と言えるでしょう。
「悔悛するマグダラのマリア」は当初フィレンツェのサン・ジョバンニ洗礼堂に置かれていましたが、1966年の大洪水の際に現在の展示場ドゥオモの付属博物館に移動されました。
まとめ
15世紀前半にイタリアのフィレンツェで活躍したドナテッロ(Donatello)。
若いころから金細工や彫刻の才に長け、後にイタリアを中心とするルネサンスの彫刻家たちに大きな影響を与えました。
特にミケランジェロへの影響は大きかったと言われています。
若い頃の作品にはまだゴシック様式の影響が見られますが、徐々にルネサンス特有の写実的、人間的な表現を取り入れ、後年に制作した作品には、人間の深い感情が活き活きと表現されています。