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小林陽介という彫刻家のことをご存知でしょうか。美術大学卒業後、木彫の世界に彗星の如く現れ、若手彫刻家としてより多くの活躍が期待された人物ですが、36歳という若さでこの世を去ってしまいました。
しかし小林陽介が遺した作品やその「イキザマ」は今にも語り継がれています。その小林陽介という彫刻家、そしてその遺作についてこの記事で解説していきましょう。
彫刻家小林陽介のプロフィールや背景
小林陽介(Yosuke Kobayashi)は1981年長野県生まれ。東京造形大学で彫刻の基礎を学び、2004年に卒業後、岐阜県で3年間木を伐採していました。その後、奈良県明日香村に移住。
現代彫刻家としての活動にて、国展新人賞、京展賞、木彫フォークアートグランプリや秀桜基金留学賞など数多くの賞を受賞した鬼才でもあり、西日本を中心としてギャラリー展示や瀬戸内市立美術館での個展も開催され、そのアート活動が非常に期待された作家です。
木彫りの彫刻、つまり「木彫」というカテゴリを主として作品制作をしてきた小林陽介ですが、その制作モチーフは天狗や達磨、不動明王、太陽神のアマテラス、龍などといった、日本仏教や神話の世界における神仏や霊獣、動物など。日本の美術において、古来から木彫は仏教彫刻や神像を作るマテリアルでしたが、小林陽介もその潮流に則り制作していました。
小林陽介の活動は、ギャラリーや美術館での自身の個展にとどまらず、作品展の開催やライブアート・パフォーマンスなど、アート文化の中で幅広い活躍を見せました。
2016年ごろ、「熊野川王国おはからいまつり」に彫刻家として参加したのち、舌癌が発覚。2019年に2回目の個展を予定していた矢先のことでした。しかし病院に入院中も2,000枚を超える書画を制作するなど、その凄惨なくらしの中でも彫刻家、芸術家として自身ににできうる限りの作品を残したといいます。
そうして、闘病ののち2017に小林陽介は36歳という若さで息を引き取りました。その翌年、小林陽介の遺作展などが瀬戸内市立美術館で開催されるなど、今なおその喪失が惜しまれるなか、彫刻家として小林陽介が残した作品が息づいています。
“Yosuke Kobayashi”が暮らした熊野の地
晩年以前から、小林陽介が暮らしていたのが、日本の「カミ」の息づく古の地・熊野。熊野は和歌山県南部と三重県南部にわたる地域で、「熊野信仰」の中心地であり、熊野川や那智の滝などといった自然を依代とした自然信仰の土地です。
小林陽介は木こりとしての仕事を経て、自然神信仰と祖先神信仰、そして土地や農耕の神の三つの信仰が合わさった神道、そして仏教や浄土信仰など、古代から日本に根付く信仰の地で過ごすことを決めました。
小林陽介は自身の病状が発覚して、その病魔の痛みと闘うなか、神棚に跪き神仏に祈りを捧げていたといいます。自身が制作する彫刻作品も神仏をモチーフにしたものが多く、その信仰心あってこそ小林陽介の彫刻には「凄み」があったのではないでしょうか。
小林陽介はその周囲の彫刻家仲間に、文字通りその人生を通して大きな影響を与えました。彫刻家として、また「コバヤシヨウスケ」という一人の人間として、自身の残された時間をどのように過ごすか、という人間の難題に真っ向から向き合った人物なのです。
小林陽介の遺作たち
小林陽介亡き後、その遺作展である個展が2018年に瀬戸内市立美術館で開催されました。小林陽介が残した作品を美術館の展示作品とその他の作品を一覧で紹介します。
《空ニウカブ顔》
日本を代表する木造彫刻の彫刻家・田中平櫛を彫った作品。接木をせず丸太を丸ごと彫りあげる「一木造り(いちぼくづくり)」という、仏教彫刻にも使われる方法で制作されています。一木造りはより自然物の丸太を活かす方法で、小林陽介の自然信仰に対する深い関心が伺えます。
その像の顔は翁のようにたゆたう髭に立体感があり、まるで生きているかのような表情がありますが、首から下の体はかなり平面的で薄く、横から見ると背中側のみのシルエットのように見えます。しかし、正面から見ると肩からボウっと影がさすように彫られており、夢枕でこちらへ向かってくるかのような幻想的なイメージを作り出しています。
《アノ山デ見タ空》
こちらは明治期の画家・熊谷守一をモデルにした作品。小林陽介はたびたび、自身が尊敬すべき日本の画家や彫刻家などの芸術家をモデルとして彫刻制作をしました。
この像も田中平櫛の像と同じく、頭部を立体的に彫り、体は平面的な作用を意識して作られており、宗教彫刻のようにおよそ正面からの鑑賞を想定して、視覚に絵画的な印象をもたらしています。
《自刻トルソ》
こちらは小林陽介自身をモデルにした作品。鳥居のようなモチーフに、長い髭をたくわえた頭部が引っ掛けるようにして彫刻されています。
奈良時代や鎌倉時代の仏教彫刻は「感得像」といって、仏像彫刻家である僧侶の「仏師」が瞑想によって得た宗教イメージを元に制作されることがあります。この《自刻トルソ》も、小林陽介が空想や瞑想によって得たイメージから着想したのではないかと考えられます。
また、「自刻像」とは、画家が描く「自画像」と同じようにして、自分自身をモデルにした彫刻のこと。そうして彫刻家はたびたび自身の像を作ることがありますが、小林陽介はこのトルソ像の他にも面のような形として自刻像をいくつか制作しています。ちなみに「トルソ」とは胸像のことをいいます。
《ざおうごんげん》《だいにちにょらい》《ふどうみょうおう》
こちらは3点の小作品。その名の通り、それぞれ仏教彫刻の蔵王権現像、大日如来像、不動明王像となりますが、これらは小林陽介自身がその古来のイメージを現代に深化させたもの。
中央の《だいにちにょらい》は自然石を台座に、穏やかな表情のマスクが据えられており、静謐な印象が漂っています。現代の仏教彫刻として、新しいイメージの仏像といえるでしょう。
《空(The Sky)》
小林陽介の主に学生時代の作品で、日本の木彫よりも荒々しい、アフリカン彫刻に似た作品も制作しておりこの《空(The Sky)》もその作品群のひとつ。手足の誇張された大きさや全体のフォルムはロダンのブロンズ作品を思わせ、たびたび過去の彫刻家自身やその作品を参照してきた小林陽介の、彫刻家としての勤勉さが伺えます。
「空」というタイトルがついていますが、そのイメージと反対に、この作品はうずくまって下を向く大柄な男性象。アフリカ黒人のイメージを思わせます。タイトルと対照的な重苦しい彫刻ですが、中空のフォルムで空間を抱え込むような構造になっているのが特徴的です。
小林陽介の彫刻の特徴は、多くが一木造りであること、そして全てが中空(中心がくり抜かれている)の構造であることです。制作のプロセスでは木の芯をくり抜くことから始めるという、小林陽介の独自のスタイルで制作され、彫刻の「内部」および内包する「空間」という概念に働きかける芸術作品となります。
瀬戸内市立美術館「小林陽介 遺作展」映像
瀬戸内市立美術館での個展の様子は写真や記事だけでなくYouTubeに映像記録が残っているので、小林陽介という彫刻家の仕事を具体的に観たいときには、こちらでいますぐに鑑賞することができます。
まとめ
彫刻家・小林陽介の遺作展としての瀬戸内市立美術館の個展は、多くの来場者に祈り生きたその小林陽介のアーティストとしての生き様を提示しました。木彫という日本に根付いた古いジャンルの作品群は一見、老練した彫刻家の回顧展のようだったといいます。
この瀬戸内私立美術館の個展は、小林陽介の近しい友人の尽力で実現したものということで、彫刻家としても人間としても、小林陽介がいかに愛された存在であったかをうかがい知ることができます。もし現在も健在であったなら、より多くの名作を残したことでしょう。
この記事を通して、小林陽介という、その短い生涯の中で彫刻家としての自身の使命を全うしたアーティストに敬意を表すとともに、ご冥福をお祈りいたします。
我が家にも小林さんの彫刻があります。
一本だけ足の無い猪と金太郎らしきおかっぱ少年が相撲を取っている木彫と、RC造の壁に嵌め込まれた家族3人のそれぞれの干支の木彫です。
美術館で出会った削ぎ落としたような槌あとの作品に惹かれ買い求めました。
小林さんは亡くなられましたが、その彫刻は今も、これからもずっと我が家の玄関に威風堂々を孕んで存在すると思います。
陽介君を、紹介して頂きありがとうございますm(__)m
最後は、熊谷守一、平櫛田中に並びました❗️見事な最期でしたー|ー。