MUTERIUMMUTERIUM

森美術館開催の展覧会が人気の現代アート芸術家について

Stories
塩田千春というアーティスト:癌との闘病の先に見たものとは
当メディア(MUTERIUM)の画像使用は作者による許可を得ているもの、また引用画像に関しては全てWiki Art Organizationの規定に準じています。承諾無しに当メディアから画像、動画、イラストなど
全て無断転載は禁じます。

六本木、森美術館での個展『塩田千春展:魂がふるえる』は平日にもチケットを買うために30分の行列ができるという盛況ぶり。展示内容はSNSでも話題を呼び、日本中の人がその展覧会に注目しています。

その人気アーティストである塩田千春の生い立ちを中心に紐解き、インスタレーション作品の内容を考察してみましょう。

現代アーティスト:塩田千春の生涯

塩田千春(しおた ちはる)は1972年大阪府出身で、現在はドイツのベルリンに在住している現代アートの作家です。細い毛糸を立体空間に張り巡らせたインスタレーション作品で知られており、2015年のヴェネチア・ビエンナーレには日本代表の招待作家として、作品《掌の鍵》を出展。空間全体を使った作品を得意とし、時には舞台美術も手がけました。

京都精華大学の洋画科を卒業後、オーストラリアのキャンベラスクールオブアートに交換留学をし、その後1997年からドイツのブラウンシュバイク美術大学にて現代芸術家のマリーナ・アブラモビッチに師事しました。そしてドイツを中心として海外のアカデミックの環境に身を置きます。1999年からはベルリン芸術大学でアーティストのレベッカ・ホーンに師事。以降、塩田千春はヨーロッパを中心として世界的に活躍を見せます。

塩田千春が制作する作品は空間芸術として、広い屋内の空間を使ったインスタレーション作品を主としています。赤、あるいは黒い毛糸を、少女のドレスやスーツケース、靴、ピアノなどといったオブジェクトに結びつけて空間全体に張り巡らせる作品は、大型であるほど鑑賞者がその場に「巻き込まれる」ことに。美術館の広大な展示空間全体を使ったインスタレーションは、映像的なイメージをその身に体感できるでしょう。森美術館の展示で撮影された作品写真も非常にエモーショナルです。

塩田千春が表現するテーマは、「生と死」といった芸術における普遍的な題目から、概念的な「存在」、「つながり」、「記憶」など。これらのテーマは塩田千春自身の個人的経験から現れたもので、私的イメージを可視化する形で具現化したのがその作品であるということができます。

アカデミックな美術の界隈の一部では、塩田千春の作品が「私的すぎる」「説明的すぎる」という批判もありますが、アーティストの表現とは、その人自身が制作を手掛ける限り、全て個人が得た経験や見てきたものがそのアーティスト自身の思考や身体を通して現れるもの。むしろ、塩田千春という「一人の人間の人生」を通した表現であるからこそ、生きることの「痛み」や「記憶」が鑑賞者の共感を生み、それぞれの精神の癒しのプロセスとなるのではないでしょうか。

師匠であるアーティストたち

ここで、塩田千春がその芸術活動において師事してきたアーティストたちについて追い、どのような影響源があるのかを考察してみましょう。

村岡三郎

1928年大阪府出身。塩田千春が京都府清華大学にいた時に関わりのあった彫刻家です。1990年に彫刻家の遠藤利克とともにヴェネチア・ビエンナーレに出展。戦中、戦後に経験した生死をめぐる記憶から、人間と物質の関係性を構築したアーティスト。

人間の生命や死についてをテーマとし、鉄、硫黄、塩など人体と関わりの深い物質を使って表現した作品で知られています。塩田千春は村岡三郎と、生と死について話を交わし、また作品制作や美術館での展示に立ち会うことで作品制作の手法を学びました。

マリーナ・アブラモビッチ

マリーナ・アブラモビッチは1946年ユーゴスラヴィア出身で、現在はニューヨークを拠点に活動をしているアーティスト。「パフォーマンスアートのグランドマザー」と呼ばれるアブラモビッチの活動は、本人と鑑賞者との関係性を臨界点まで求めたもの。レディ・ガガも彼女のアートに影響を受けているといわれます。

アブラモビッチはナイフや炎を使った、時に暴力的ともいえるパフォーマンスで何度も命を落としかけるほど精力的なアーティストで、鑑賞者がアブラモビッチ本人にあらゆるオブジェクトを自由に使用することのできる1974年の《Rhythm 0》というパフォーマンスは、作者自身を「モノ」とする極限の作品となりました。

塩田千春はブラウンシュヴァイク美術大学時代に参加したアブラモビッチの断食の授業は、自身を限界まで追い詰めた上で、自分の内部の根源的なソースを探るものでした。塩田千春の作品はアブラモビッチのものほど暴力的な面はみられませんが、その作品の人体の中を泳いでいるような生々しい感覚は、この経験が生かされたものなのではないでしょうか。

レベッカ・ホルン

塩田千春のベルリン美術大学時代の師匠は、ドイツのビジュアルアーティスト、映画監督のレベッカ・ホルンです。レベッカ・ホルンは若い頃に肺を患い、療養生活の中で外の世界との交流を渇望したことをきっかけとして「キネティック・スカルプチャー(動く彫刻)」のコンセプトにつながったといわれています。

20代で世界的なアートシーンに影響を及ぼす「ドクメンタV」に参加した鬼才であるレベッカ・ホルンはまた、「身体拡張」としてウェアラブルなモノを使った表現でも知られ、羽や拘束具、角などを用いて自身に「ツール」を付加したパフォーマンスやドローイングもレベッカ・ホーンの代表的な作品です。

2009年には東京都現代美術館で個展『レベッカ・ホルン展 − 静かな叛乱 鴉と鯨の対話』が開催され、日本でもその影響力をアートの世界に広めます。1990年に制作された、グランドピアノを逆さに吊るし、鍵盤が零れ落ちているようなインスタレーション作品の《アナーキーのためのコンサート》は、塩田千春が2008年に制作したグランドピアノと黒毛糸を使ったインスタレーション《静けさの中で》と対照的に見えます。

レベッカ・ホルンはそのインスタレーションやパフォーマンス・アートの展示において、空間の取り方が絶妙であり、また「対話」というコンテクストを持った表現は塩田千春の表現において大きな影響を与えたと考えられます。

生と死と存在のつながり:糸の色について

塩田千春は1996年にドイツに渡り、現地で現在の夫と結婚をし、現在もベルリンに在住しています。

これまでヨーロッパを中心としてアートを学んで来た塩田千春は、その旅の中で作品の着想を得ることもありましたが、日本で生まれ育ったこと、そして日本の仏教的な概念は、塩田千春の作品の中に直接的に影響を及ぼしています。

例えば、塩田千春がインスタレーションに使用する毛糸の色の意味について。赤は生命を象徴する「血の色」であり人と人の繋がりを表す色、白は死者が纏う装束の色であり「終わりと始まり」の色として意識的に使用しています。

癌との戦い

2017年、森美術館の個展の話が打診された翌日に、塩田千春は医師から12年前に患った癌の再発を告げられました。入院してその癌の摘出手術を受け、抗がん剤治療を受けながら森美術館の展示に向けた制作と対峙することになったのです。

塩田千春は森美術館の個展に寄せられたインタビュー記事のなかで、癌の治療はまるで「ベルトコンベアに乗せられたよう」であったと語っています。

人間ひとりの“個”を理解する形とは遠く、“モノ”としてシステマチックに病気を処理されていくような治療が進むうち、「なぜ自分に心があるのか、心がなければシステムにも疑問を持たず乗っていけるのに」と感じたなど。その感情を解き明かすために、塩田千春は作品制作に打ち込みました。

「生と死」という普遍的な芸術のテーマを持ちながら、塩田千春自身の私的な経験を元にした表現は、時に鑑賞者自身の記憶と呼応して別のコンテクストを持ち始めるなど、「一人歩きをする」ことがあると同じくインタビューで語っています。

塩田千春の作品はときに「個人的すぎる」と批判を受けることがありますが、実際に制作の際には個人的な感情移入をしすぎることはないように心がけていると本人は述べています。客観的に作品全体を構築するためには、ある意味で「自分の感情を殺す」必要があり、そうすることにより全ての人が共感する表現ができうるのです。

そして、自身に現実的に歩み寄る「死」の影と向き合うことで、塩田千春の表現はより一層深い地点へと到達したのだといえるでしょう。ひとの命と心、そしてそれをそれぞれ持ちうる他者同士のコミュニケーションで成り立っている世界と、その先に広がる未知の領域を、塩田千春の個人の記憶を通して顕在化する作品を前にすれば、それは「塩田千春」の作品ではなく、だんだんと「あなた」の世界に変貌するのかもしれません。

最大級の個展『塩田千春展:魂がふるえる』

2019年6月20日から10月27日まで、森美術館で塩田千春の過去最大の個展『塩田千春展:魂がふるえる』が開催されました。

この美術館で展示される塩田千春のインスタレーションは一貫して「不在」の表現を持って「存在」を打ち出し、空のスーツケースや幽霊のようなドレス、観客のいないコンサートホールのようなインスタレーションをもって、言葉にならない感情、心の動きを表そうとしています。

この森美術館での個展をまとめた展覧会カタログも328ページにも及ぶ大作であり、塩田千春のファンならば必ず手に入れたいもの。作品が撮影されたポストカードなど、販売された関連グッズも魅力的です。

また、今回の展示では多くの作品が撮影可であり、多くの来場者がSNSに塩田千春の作品の写真を上げ、時にはその作品の内容について議論が生まれました。この森美術館の巨大な空間のなかで展示された作品について、いくつか情報を追っていきましょう。

作品紹介

森美術館の個展『塩田千春展:魂がふるえる』にて展示された作品を紹介していきます。

《どこへ向かって》

ヴェネチア・ビエンナーレで展示された作品《掌の鍵》でもみられたように、塩田千春は「舟」のイメージや形をたびたびその表現の中で使用しますが、今回はまず美術館の入り口にこの舟の作品が展示されました。

このインスタレーションでは森美術館の入り口のエレベーターホールの天井から65隻の幻想的な白い舟が吊され、来場者はその舟の下をくぐり抜けて展示室へ向かうことに。まるで「死出の旅路」から始まるような展示であり、そこから「生と死」の関わる塩田千春の作品世界へと誘われます。

《不確かな旅》

こちらも、塩田千春の舟の作品です。形式はヴェネチア・ビエンナーレに展示された《掌の鍵》とほど近い、舟と赤い糸のインスタレーションですが、それよりもこちらはよりシンプル化されたもの。骨組みのみで作られた舟と赤い毛糸の作品です。

鑑賞者は舟から空間全体に張り巡らされた、「命のつながり」を表す赤い毛糸を潜りながら、まるでインスタレーションの一部になったように会場を歩くことになります。そこの会場にいる鑑賞者同士が、たとえ直接のつながりがないとしても、「命の糸」を通じて人間存在としてどこかで繋がっていることを示すようです。

《静けさの中で》

奏者のいないグランドピアノと誰もいない観客席の空間が、黒い糸で網羅されたインスタレーションです。

この作品は塩田千春が幼少期に見た火事の記憶から発想されたもの。燃えて音の出なくなったグランドピアノが奏でる「沈黙」が、黒い毛糸を用いて表現されています。

《時空の反射》

2メートル四方ほどの枠組みの中に張り巡らされた黒い毛糸により、白いドレスが宙に浮いているような作品。枠の中には鏡があり、実像と虚像の存在が現実空間で鑑賞者に混沌をもたらします。

《集積 − 目的地を求めて》

こちらは2016年に制作された、赤いロープで天井から吊るされた400個以上のスーツケースが、モーターでゆらゆらと揺れ動く大型のインスタレーション。これらのスーツケースは塩田千春がベルリンで中古で手にしたもの。

所有者のいたスーツケースが揺れる様は、まるでそこに目に見えないその人がいるかのように感じられます。スーツケースは「旅の記憶」を表すアイテムであり、《不確かな旅》などの舟の作品と合わせて、塩田千春の打ち出す人々の概念的な「生命の旅」を示唆しているかのようです。

《外在化された身体》

こちらはこの森美術館の個展に寄せられた塩田千春の新作です。赤いシートで作られた網と、切り取られた手足のパーツの作品。

2017年に癌の再発が告知されて、「まるでベルトコンベアーに乗せられているかのよう」に自身の体を扱われたことで、人の身体に内在する「魂」のありかを感じ取ってきた塩田千春の、リアリティのある仕事であるといえます。この作品を通して、鑑賞者は自分の身体と魂の存在について疑問を感じることがあるかもしれません。

まとめ

今回、森美術館の個展で塩田千春の存在を知った人も多いのではないかと思われます。ときに「個人的すぎる」「説明的すぎる」と批判を受けることの多いインスタレーション作品の数々ですが、これらの作品が鑑賞者一個人の感情に強く訴えかけ、塩田千春が作品を通した鑑賞者との「個々との対話」を生み出したことは、美術の世界で他のアーティストが成し遂げない成果であることは注目しなければなりません。

塩田千春の作品はおそらく、その作品だけその場所にあっても意味がなく、鑑賞者がその場にいてこそ意味の生まれるもの。人間の命のつながり、そしてその魂の存在は「どこに」あるのかということを、能動的な鑑賞を可能にしたそのインスタレーションのなかで深く考えることになるでしょう。

関連記事
No Comments
    コメントを書く