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遠目に見ると高貴な人物の肖像画と思いきや、なんとその顔は、隙間なく組み合わされた野菜や果物で構成されています。強烈なインパクトを残すジュゼッペ・アルチンボルドの絵画は、奇想天外な発想力はもちろんの事、その花一輪、小枝の先端に至るまで精緻で写実的に描かれ、見る者を圧倒します。
イタリアに生まれ、ハプスブルク家の王侯貴族に愛されたアルチンボルドの生涯とはどのようなものだったのか、華麗でグロテスクな彼の絵画作品を解説しながら辿っていきます。
目次
アルチンボルドってどんな画家?
人間と動植物を融合し、唯一無二の絵画スタイルを確立させたアルチンボルド。出生からどのように絵画を学び、そして宮廷画家としての成功を収めたのでしょうか。
生い立ち
《自画像》 制作年不詳 プラハ国立美術館蔵
1526年、ジュゼッペ・アルチンボルドはイタリア・ロンバルディア州ミラノで、画家である父ビアージョ・アルチンボルドと母キアーラ・パリシの息子として誕生しました。高貴な家柄で、先祖を辿ればもともとドイツ南部にルーツがあり、一族の一部がロンバルディアに移住したとされます。
絵の手ほどきは父から受けたほか、当時のロンバルディアの高名な画家たちからも学べるという恵まれた環境に育ちました。
ミラノ修業時代〜宗教的な作品を制作
ミラノといえば、イタリア・ルネサンス期を代表する芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチが活躍した地であり、後進の画家たちにとって、この「万能の天才」の存在は大きなものでした。父ビアージョは、レオナルドの弟子ベルナルディーノ・ルイーニと親交があり、アルチンボルドもレオナルドの芸術性に多大な影響を受けたとされます。
若き日のアルチンボルドは、父の仕事を引き継ぎ、ミラノ大聖堂のステンドグラスのデザインや、モンツァ大聖堂のフレスコ画、タペストリーの下絵などを手がけました。
ハプスブルク家の宮廷画家として活躍
1562年、36歳のアルチンボルドは宮廷画家としてハプスブルク家に招かれ、ウィーンに赴き、フェルディナント1世、マクシミリアン2世、ルドルフ2世と三代にわたる皇帝に仕えました。
アルチンボルドの唯一無二の才能は、宮廷の庇護のもと遺憾なく発揮されることになります。
王侯貴族の顔で《四季》を表現?
宮廷でのアルチンボルドは、主に肖像画家として働きました。そしてその肖像画が、アルチンボルドという画家の名を後世に残す代表的な作品群となります。
「春夏秋冬」それぞれの季節をモチーフにした連作《四季》は、時の循環や人間の一生を表現したものと考えられます。人物の顔が季節にちなんだ植物で構成される「寄せ絵」の手法を用いていますが、果物のみずみずしさや、むせ返るような花々の香りが伝わってくる写実的描写は、静物画としても一級品です。
「春」
1563年 マドリード、王立サン・フェルナンド美術アカデミー美術館蔵
人生に例えれば、誕生から子供時代にあたるはじまりの季節。約80種類もの植物でかたち作られた人物の横顔は、春らしく淡い色合いの花々によって、表情も柔らかな笑顔に見えてきます。
「夏」
1563年 ウィーン、美術史美術館蔵
《四季》の中でも一番鮮やかな作品。夏野菜で構成された若々しい横顔は、生命力に溢れ、人生の青年期が力強く表現されています。描かれているナスやトウモロコシは、当時のヨーロッパではまだ珍しいものでした。王侯貴族のなかでは、新しいもの、奇妙なものを集めることが富の象徴とされ、アルチンボルドも、皇帝たちを満足させるため、このような珍しい野菜を描き込んだとも考えられます。
「冬」
1563年 ウィーン、美術史美術館蔵
豊富な種類の植物で埋め尽くされた他の季節と違い、「冬」は1本の枯れた幹で人物が描かれています。ごつごつとした険しくグロテスクな樹皮の顔は、生命の衰え、人間の老年期を思わせますが、アルチンボルドは、この絵の中にマクシミリアン2世の肖像であることを示すしるしを描き込んだとされます。
皇帝の支配力を礼讃《四大元素》
《四季》シリーズと並び、もう一つのアルチンボルドの代表的な連作《四大元素》。
「大気」「火」「大地」「水」は、それぞれ《四季》の「春」「夏」「秋」「冬」と対になるよう制作されました。
時の皇帝マクシミリアン2世の支配力を、宇宙を構成する元素にたとえ、ハプスブルク家の繁栄を讃えました。
「火」
1566年 ウィーン、美術史美術館蔵
頭はくべられた薪がごうごうと燃え盛り、首は蝋燭、顎はオイルランプ、そして体は武器で構成されている作品。《四季》の「夏」と対になるこの作品は、燃えるような暑さという点で共通しています。人物の首飾りには、神聖ローマ帝国の象徴である双頭の鷲の紋章があしらわれ、戦いにも強いハプスブルク家の軍事力を表しています。
「大地」
1566年? リヒテンシュタイン侯爵家コレクション
草原や森林に生息する多数の野生動物で構成された迫力の人物画。《四季》の「秋」と対になっており、どちらも豊かな大地の恵みを表現しています。アルチンボルドは動物のスケッチも多数残しており、現在の動物図鑑にあたるような、正確で写実性の高い描写力に圧倒されます。
「水」
1566年 ウィーン、美術史美術館蔵
冷たく暗い印象を受ける《四大元素》シリーズ最後に描かれたこの作品は、《四季》シリーズの凍てつくような「冬」の世界と対をなしています。冷たい海中を連想させる魚や甲殻類で構成されていますが、前頭部の赤いサンゴやオレンジのエビがアクセントとなっているほか、耳と首にあしらわれた真珠の飾りから、この人物が女性であることが想像できます。
アルチンボルドの2つの連作が意味するもの
アルチンボルドの代表作、《四季》《四大元素》は共に皇帝へ献上されました。高貴な人物の顔を動植物や魚介類でかたち作るなど、とんでもない事かと思いきや、大変喜ばれ大人気のシリーズとなりました。
当時の宮廷では、上級階級の人間でなければ知ることのできない、珍しい動植物を収集することが「富の象徴」とされていました。アルチンボルドは、宮廷でしか見ることのできない動物や植物を熱心にスケッチし、奇想天外な肖像画を生み出しました。
自然科学も芸術も、不思議や驚異に感じる物事を知的財産として尊ばれる時代に、アルチンボルドの、奇妙奇天烈な世界を精緻に描くという芸術性がぴったりと当てはまりました。
アルチンボルドは、季節の移り変わりという時の流れも、万物の根元を成す元素も、ハプスブルク家の力が働いていると表現し、庇護者である皇帝を礼讃したとも想像できます。
絵だけじゃない、マルチに活躍するアルチンボルド
《ソムリエ(ウェイター)》 1574年 大阪新美術館建設準備室蔵
肖像画家として宮廷に就職したアルチンボルドですが、絵を描くだけではなく、宮廷でのイベントなどでマルチな才能を発揮しました。大先輩のレオナルド・ダ・ヴィンチは「万能の天才」と称されますが、アルチンボルドも「ハプスブルク宮廷のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の異名をとったともいわれています。
宮廷の祝賀行事をプロデュース
宮廷での婚礼や祝典、祭りやパレードの企画・演出を手掛け、参加者の衣装までデザインしたというアルチンボルド。マクシミリアン2世は、自身の戴冠式において、祝典の一部のプロデュースをアルチンボルドに任せたとされ、いかに皇帝に信頼され、寵愛された存在であったのかが窺えます。
プラハでの文化的な日々
マクシミリアン2世の逝去により、皇帝に即位した息子のルドルフ2世は、在位中に首都をウィーンからプラハへ移します。アルチンボルドも随行し、ミラノへ帰郷するまでの4年間をプラハで過ごしました。
政治には無頓着だったルドルフ2世ですが、芸術や学問を愛し保護した皇帝の下には、たくさんの芸術家が集い、プラハは文化的、特にマニエリスム様式において重要な拠点となりました。
プラハでのアルチンボルドも、絵画制作だけではなく、発明家のような仕事も行ったとされます。自然科学や哲学などの専門家との交流の機会にも恵まれ、充実した日々を過ごしていたと考えられます。
知っておきたいアルチンボルド絵画の傑作
「庭師」
1590年頃 クレモナ、市立アラ・ポンツォーネ博物館蔵
アルチンボルド絵画の象徴である「寄せ絵」の手法はもちろんのこと、この作品は、「さかさ絵」としても楽しめます。大皿に畑で採れた野菜がどっさり盛られた静物画ですが、さかさまにすると、玉ねぎの頬やキノコの唇がユーモラスな「庭師」の顔に見えてきます。
「ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像」
1590年頃 ウプサラ(スウェーデン)、スコークロステル城蔵
25年もハプスブルク家の宮廷画家として務め上げ、故郷ミラノへ帰還したアルチンボルドですが、君主への忠誠心は消えることなく、ルドルフ2世にこの肖像画を献上します。《四季》や《四大元素》から長い年月を経て、堂々と正面を向いた威厳のある肖像画を描き上げました。進化したアルチンボルドの「寄せ絵」の画法は、ここで頂点に達したといえるほどの傑作ではないでしょうか。
おわりに
1593年7月11日、ジュゼッペ・アルチンボルドは故郷ミラノで死去しました。溢れる才気と創造性を大いに発揮し、ハプスブルク家の三代にわたる皇帝に寵愛され、宮廷画家として大成功を収めたアルチンボルド。奇想天外な彼の作品は、現代においても不思議な謎に満ち溢れ、「わからないけれど堅苦しくなくて楽しい」絵画の世界へ招待してくれます。