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モネやルノワールなど有名なアーティストと人気の絵画

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印象派をわかりやすく解説:19世紀フランスの画家たち
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日本人が熱狂する芸術といえば、フランス印象派の絵画作品です。美術館で印象派展が開催されれば、休日は美術館が混雑し身動きが取れないほど。

ただ、鑑賞するときには「印象派とは何か」、その歴史的な成り立ちや技法などを気にかけず、なんとなく好きでみているという人もなかにはいるでしょう。

しかし、印象派の台頭は西洋美術史においてとても革命的な出来事であり、現代の私たちが「アーティスト」という存在を「自己表現をするひと」であると考える原点でもあるのです。

いま一度、印象派とは一体どんな美術なのかを学び、より深い鑑賞を目指しましょう。

印象派とは何か

もしあなたが誰かに、「印象主義、あるいは印象派とは、具体的にどのような成り立ちで、どのような技法を使った絵画なのか」と聞かれたとき、即座に答えることができるでしょうか。

日本人にも意外と知られていない印象派の内容について、ここで解説していきます。

印象派の成り立ち

印象派の先駆けとなったモネの日の出

印象派、印象主義(英語:Impressionism)とは、その名の通り風景や人物など、画家の目に入る映像の「印象」を描き出した絵画を特徴とする美術運動のこと。

印象派は1870年代を中心に、当時世界の中心的なアートワールドであったフランス、パリで活動していた、マネやモネを中心としたアーティストのグループが起こしました。

印象派が台頭するまで、パリの芸術はアカデミズムの保守的な権威が支配していましたが、その停滞していたアートの世界を打ちやぶろうとしたのです。

印象派の中心的なアーティストであるモネやルノワールが学生だった当時は、写実主義絵画が中心的でした。

写実主義は女性像や肖像画などの人物画が主であり、テーマも旧約聖書や神話に沿ったものが多く、現実よりも「理想」を写実的に描きだすスタイル。

写実主義は画家の個性やオリジナリティよりも、掟や固定された技法にこだわったスタイルといえるので、当時の画家は「アーティスト」というよりも「職人」的な仕事に近いかもしれません。

しかし印象派を切り開いたキーパーソンであるモネは我が強い人物でもあり、個性的な表現を求めました。

また、印象派の成り立ちに強く影響を与えた「外光派(バルビゾン派)」の画家であるウジェーヌ・ブーダンの教えにより、モネは写実主義などそれまでの屋内で描かれる絵画を脱し、屋外の自然風景を描くことを学友たちに教えたのです。

そしてモネを中心として開催され、印象派をパリ中に知らしめるきっかけとなった1974年の「第一回印象派展」は初めこそ「ピアノの鍵盤の上を歩く猫が奏でる音楽のようだ」などと批判されましたが、次第にパトロンを得て、またアメリカに市場を広げることでその地盤を確かなものとしました。

印象派が重要視するのは、人物の理想像や神話などの空想的な主題をあたかもそこにあるかのように描きだす写実主義と異なり、いうなれば描き手の画家の知覚を鑑賞者と共有することです。

光や色など、私たちが見えているものは必ずしも他者と同じではなく、個人の視覚には微妙な誤差があります。

よって、印象派絵画を鑑賞することとは、描き手の見た景色を追体験することだといえるでしょう。

そして、視覚と共に感情的な表現も印象派には現れています。かいつまんでいえば印象派とは、個人が独占し得る視界と感情を他者と共有することのできる画期的な絵画なのです。

印象派の絵画作品の特徴

印象派絵画は、学校の美術の授業で必ず触れるテーマ。その特徴について解説します。

・色彩

印象派の絵画の色彩について

印象派の画家たちの描く絵画にもっとも特徴的なのが、その色彩かもしれません。

写実主義絵画は黒を基調とした背景など、シックなスタイルでしたが、印象派絵画は黒の絵の具を使わないことがひとつのルールとして存在します。

なぜかというと、印象派の画家たちは「光」を描きだすことを重視したから。光には「黒」の波長がないためか、影の色や暗い色は多数の絵の具の混色により表現しました。

鮮やかな色使いで描かれる印象派絵画は、色彩に富み、ロマンチックな朝方、あるいは夕方の斜光の元で手がけられることが多く、屋外の移り変わる自然光に照らされるモチーフを描きました。

・描き方

印象派の絵画の描き方

印象派の技法は、豊かな色彩による光の表現のほか、ダイナミックな筆跡が特徴的です。

ストロークを残さず細部の描写にこだわる写実主義と比較して、印象派は素早く筆を動かし、主題の概念と移りゆく自然光を即座に捉えるために荒々しい筆跡が残ることがあります。

また、綿密に仕上げ密度を上げることよりも、全体的な印象を表すことに注力するため、ときには作品が未完成だと指摘されることも。

印象派の荒々しい筆跡は、ゴッホなどポスト印象派に受け継がれ、またフォーヴィズムに影響を与えました。

ポスト印象派とは

ポスト印象派で有名なゴーギャンのNEVERMORE

印象派とは自然物や人物など、目に見えるものの「印象」を切り取った絵画のスタイルですが、では「ポスト印象派」とは何でしょうか。

ポスト印象派、および後期印象派とは薄命であり狂気の画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホに代表される様式といわれていますが、印象派との違いは何でしょうか。

英語でポスト印象派は「Post-Impressionism」であり、「Post」とは「〜の後」を意味する語です。

つまりポスト印象派とは「印象派の傾向を引きつぎつつ、独自の様式を生み出していった画家」のグループということです。

印象派はその代表であるモネをはじめ、マネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ、シスレーなどフランスの画家たちが中心ですが、マネやセザンヌはポスト印象派にもまたがる作家に数えられます。

ポスト印象派以降、画家はゴーギャンなどフランス出身の画家のほか、オランダ出身のゴッホなど他の国籍の画家の存在も目立っていきます。

また、ポスト印象派はたびたび印象派の対義語ともいわれるドイツ表現主義やキュビズムなど、20世紀美術に影響を与えました。

印象派の画家たち

ここで、印象派を代表する画家たちを簡単に紹介し、解説していきます。

クロード・モネ

クロード・モネ(Claude Monet)は、印象派を導いた代表的な画家です。第一回印象派展に出展した作品《印象・日の出》は、「印象派」という様式が名付けられる由来ともなりました。

モネを代表する作品は《印象・日の出》のほか、《積みわら》など、同じモチーフを繰り返し描いたことでも知られています。

そして、日本でもっとも人気のあるモネの作品といえば《睡蓮》のシリーズでしょう。

うっとりとするような美しい色彩が特徴的な《睡蓮》のシリーズは、モネが晩年まで過ごしたジヴェルニーの邸宅の庭の睡蓮の池をモデルにして描かれたもの。

その睡蓮の池は、ジャポニズムに憧れていたモネがこだわり作った庭であり、現在でも訪れることができます。

モネは《睡蓮》のシリーズの大作である大装飾画をオランジュリー美術館に展示し、最晩年まで加筆を続けたといいます。

晩年の1920年代には印象派の評価は下がり、フォーヴィズムやキュビズムなどの20世紀芸術が栄えましたが、モネは生涯を通して印象派の技法を貫き通しました。

しかし、1950年代にはモネの絵画は抽象表現主義の画家や批評家たちにより再評価される動きとなり、現代ではモネの絵画は美術史の上で大変貴重とされています。

エドゥアール・マネ

マネのオランピア

エドゥアール・マネ(Edouard Manet)は印象派の画家として属したわけではないものの、印象派に大きな影響を与えたとして重要な人物です。

マネはサロン・ド・パリに《オランピア》を出展したことで猛烈な非難を浴びます。

しかし、保守的な写実主義やアカデミズムに捉われない作品はモネやルノワールなど当時の若手画家の尊敬を集め、マネの作品は美術界の革命を起こすきっかけとなりました。

マネは印象派の画家たちにインスピレーションを与え、印象派の代表格としてみなされることがありましたが、マネはサロンでの成功を求めていたため、印象派展へは参加せず生涯を終えています。

ピエール=オーギュスト・ルノワール

ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)は貧しい家庭に産まれながら画家を志し、印象派のグループに属しながらも多数サロン・ど・パリに入選しました。

印象派の画家たちにとって、美術界の中心的な場であったサロンの存在は非常に気がかりなものでした。

サロンに入選することが画家としての出世と結びついているため、貧しかったルノワールにとってサロン入選は経済的にもより重要なことだったのです。

ルノワールの代表作のひとつ《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》は現代では印象派の作品の中で日本でも高い人気を誇る有名な絵画作品ですが、当時の評価は芳しいものではなく、ルノワールは徐々に印象派展から脱退していきます。

ルノワールのムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会

ルノワールは印象派の代表作家の一人ですが、他の画家と異なりサロン入選の経験が多かったためか、19世紀末には作品が高く評価され、政府から勲章を授与されました。

職人として自立し、画家として身を立てたルノワールはまた、誠実な人柄を持った作家であったといわれています。

ポール・セザンヌ

セザンヌのリンゴとオレンジのある静物

ポール・セザンヌ(Paul Cezanne)は印象派のグループに属していましたが、しばしば後期印象派の画家としても知られ、また「近代絵画の父」と呼ばれる画家です。

セザンヌは今では美術史の上で重要な作家とみなされていますが、生前はサロンに落選し続けていました。

カミーユ・ピサロとともに屋外で絵画制作をし、印象派のスタイルを身に付けていきますが、当時は印象派の作品は全体として評価が低く、パリで成功を逃したセザンヌは故郷のエクスにアトリエを戻します。

エクスにて、セザンヌは代表作の《リンゴとオレンジのある静物》に見られるような、印象派にも伝統美術にも捉われない、特徴的な独自の絵画を追求しました。

セザンヌは晩年まで作品が評価されませんでしたが、没後に開催された1907年の回顧展にはパブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックが訪れ、キュビズムのヒントとして多大な影響を与えたといわれています。

カミーユ・ピサロ

カミーユ・ピサロ(Camille Pissarro)はモネと同じアトリエで絵画を学んだ学友であり、生前のモネにもっとも影響を受けた人物だといえるでしょう。

全8回開催された印象派展の全てに参加した画家であり、また非常に柔軟な思考の持ち主で、自身より若手の画家の新たな試みにも積極的に挑戦し、ポスト印象派にもまたがる作家として知られています。

ピサロは印象派のグループの中でも年長で、また温厚な人格であり、印象派のグループが解体に至る不仲を調和しようとしました。

またピサロは後期印象派の画家であるポール・ゴーギャンの師でもあり、後期印象派のスタイルを後押しした人物でもあります。

ピサロの絵画は印象派と後期印象派のふたつの時期に分かれ、印象派時代の作品としてはピサロが1872年から1882年まで住んでいたオワーズ川のほとりのポントワーズ近郊の風景や農民の様子などを描いた絵画が代表的。

ピサロの絵画(印象派時代)

また、後期印象派時代はジョルジュ・スーラに学んだ点描の技法が特徴的な絵画作品が知られています。

ピサロの絵画(後期印象派時代)

印象派絵画が見られるおすすめの美術館

日本では印象派の作品が人気であり、東京都台東区の国立西洋美術館をはじめ国内の美術館で年に数回展覧会が開催されます。

丁寧な解説が人気の印象派の作品展ですが、期間限定の特別展は非常に混雑し、なかなか解説文を見ながらゆっくり鑑賞できないことも。

しかし、美術館が所有している作品なら、国内でいつでも鑑賞することができます。

印象派絵画を所有する日本の美術館をピックアップしたので、解説を参照しつつ、印象派とはどのような絵画であるか、ゆっくりと鑑賞するために、機会があれば訪れてみましょう。

国立西洋美術館

東京都台東区上野に位置する美術館。松方コレクションを核とし、常設展ではマネ、モネ、ルノワール、ピサロ、セザンヌの絵画を見ることができます。

国立西洋美術館公式サイトへ

ポーラ美術館

神奈川県足柄下郡の美術館。モネ、ルノワール、セザンヌの作品を所蔵。

ポーラ美術館公式サイトへ

横浜美術館

神奈川県横浜の美術館。セザンヌなど、近代的な絵画を中心としたコレクションを所蔵しています。

横浜美術館公式サイトへ

まとめ

印象派とは、近代絵画を切り開いた美術の重要なターニングポイントでもあります。

日本では現代でも絵画制作の基礎として印象派の技法が教えられることが多く、絵画といえば「印象派」といったイメージもあるでしょう。

確かに印象派の絵画は革命的なスタイルでしたが、やや日本人は印象派絵画以降の芸術に疎い傾向があるのも事実です。

画家の個性が絵画に見てとれ、「なんとなく芸術的」という感想を持たれることの多い印象派ですが、印象派絵画の一体何が「芸術」であるのか、美術館や画集の解説をじっくり読んで理解しながらの鑑賞をおすすめします。

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