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ルネサンス最盛期に活躍したイタリアの巨匠ミケランジェロ・ブオナローティ。自身のことは「彫刻家」と呼んでいましたが、絵画や建築でも才能を発揮しました。ローマ、バチカン、フィレンツェなどの美術館や博物館で見ることができるミケランジェロの代表的また特徴のある作品いくつかを解説します。
目次
ミケランジェロは「神の手を持つ芸術家」
ミケランジェロの作品を語るとき、驚かされるのは残した作品の数ではなく、残した作品の多様性です。ミケランジェロは自分自身を「彫刻家」と呼んでいましたが、その定義の通り、名作と言われる彫刻の作品をいくつか残しました。その一方で、システィーナ礼拝堂の天井画に代表されるように世界中を驚嘆させるような優れた絵画も残しています。またバチカンのサンピエトロ大聖堂の建築を手掛けるなど建築面の才能も持ち合わせていました。こうしたことからミケランジェロは「神の手を持つ芸術家」と称されているのです。このように多岐に渡る分野で活躍したミケランジェロの作品を彫刻、絵画、建築別に解説していきます。
ミケランジェロの彫刻作品
階段のマドンナ
ミケランジェロの最初の彫刻作品と言われているのが1489~1492年制作の「階段のマドンナ」です。聖母マリアが階段の四角い石に腰を掛け、幼子であるキリストに母乳を与えている様子が彫り込まれています。まだ2次元的な表現にとどまっていますが、マドンナの着ている服の皺などが細かく描かれている点など、ミケランジェロの芸術家としての才能がすでに開花していることが見てとれます。現在フィレンツェの「カサ・ブオナローティ美術館」に展示されているこの作品は、なんとミケランジェロが14~17歳の時に制作したものというのですから驚きです。カサ・ブオナローティ美術館はその名が示すようにミケランジェロが所有していたもので、後に甥のレオナード・ブオナローティに与えられ美術館として作り変えられたものです。
聖プロコロ
イタリアの地方都市ボローニャのドメニコ聖堂に飾られている大理石の像「聖プロコロ」は、1494年に制作された高さ58.5㎝の作品。制作はミケランジェロによるものと言われていますが、もう一つの説は、ミケランジェロの弟子であったニコロ・デラーカが大半を制作し、その後ミケランジェロが仕上げたというもの。一見美しく完成された彫刻作品に見えますが、実はこの像、1572年に梯子がぶつかり倒れ、ひどく破損。その後、修理を施していますが、きちんとした作業を行わなかったため、よく見ると破損の跡がわかります。こうした出来事もあり、この像の本当の作者の見極めは不可能だと言われています。
ピエタ
「ピエタ」はミケランジェロの彫刻作品の中で、最も美しいといわれる名作です。ピエタとはイタリア語で「哀れみ」のこと。死んだキリストを抱えるマリアの悲しそうな様子が見事に表現されています。マリアは頭に頭巾をかぶり、体全体は衣服で覆っていますが、健康な体つきが衣服を通して表れています。そしてその健康美が、息絶えて力のなくなったキリストの体と対照的であり、そのことでミケランジェロは哀れみを表現していると言われています。ピエタは1498~1499年に制作され、現在バチカンのサン・ピエトロ大聖堂で展示。一度何者かにより破壊されそうになったため、現在は防弾ガラスに囲まれての展示になっています。
ダビデ
ミケランジェロが1501~1504年に制作した「ダビデ」は、世界で最も有名な彫刻作品の一つ。この作品は、聖書に出てくる羊飼いダビデが、ペリシテ族の巨人戦士「ゴリアテ」を殺すために石を投げようとしている姿を現したものです。ペリシテ族は当時イスラエルの人々を圧迫していた民族。石は見事に当たりゴリアテは退治され、ダビデは英雄として崇拝されることに。彫像ダビデは、その精悍な顔と引き締まった肉体美を見事に表現しています。高さ4m以上あるこの巨大彫刻作品は、フィレンツェのアカデミア美術館に展示されています。
バッカス
「バッカス」はミケランジェロが、1496~1497年に制作した作品です。バッカスとはローマ神話に登場するお酒の神様。ミケランジェロだけでなく、他の彫刻家や画家にも題材として使われることが多かった神様です。お酒の象徴であるぶどうやワインカップなどを持たせてその特徴を表現することが一般的だったといわれています。ミケランジェロのこの作品では、片手にワインの器を持ち、向かって右側にいる子供がぶどうを持っています。ミケランジェロのバッカスは最初、ラファエーレ・リア―リオ枢機卿の依頼で制作したのですが、完成したバッカスの肉体があまり男性的でなかったことから、枢機卿は受入れを拒否。その後、銀行家のガッリによって購入されました。現在はフィレンツェのバルジェロ国立美術館に展示されています。
ミケランジェロの絵画作品
聖アントニウスの苦悩
ミケランジェロは彫刻家になる前、ドメニコ・ギルランダイオの所で絵の修業をしていました。その時に描いたのが「聖アントニウスの苦悩」。ミケランジェロ12歳の時の作品です。聖アンソニーが砂漠で悪魔に囲まれ誘惑を受けている様子を描いています。躊躇する聖アンソニーの表情や意地わるそうな悪魔の表情が見事に表現されていますね。この絵からは、ミケランジェロの絵の才能はすでにその頃から開花していたことが見てとれます。聖アントニウスの苦悩は、現在アメリカテキサス州のキンベル美術館に所蔵され、常設コレクションとして展示されています。
聖家族
「聖家族」は1507年に、ミケランジェロがフィレンツェの商人ドーニに、ドーニ自身の結婚を記念して依頼を頼まれ制作した直径120㎝の円形の作品。ミケランジェロの作品の中で、唯一、パネルに描かれ完成したものです。絵には、抱きかかえられたキリストをいとおしく見つめるマリアとヨセフの姿が描かれています。この作品では絵それ自体だけでなく、絵を囲む円形の金色の額も見どころの一つ。金色に輝く額縁に5人の男性の頭部が3次元的に彫り込まれ、その周辺に複雑な掘り込み模様が施されています。聖家族はフィレンツェのウフィツィ美術館で見ることができます。
システィーナ礼拝堂天井画「天地創造」
ミケランジェロの大作の一つ「天地創造」は、バチカンにあるシスティーナ礼拝堂の天井に描かれた作品です。中央の9枚の絵が、旧約聖書の創世記の物語を表現し、その周りに5人の預言者と7人の巫女が描かれています。この中でも世界的に特に有名なのが天井画のほぼ中央に描かれた「アダムの創造」。ミケランジェロは天井画の制作を時の教皇ユリウス2世の依頼で引き受けたのですが、「彫刻家」を自負するミケランジェロは最初乗り気ではなかったと言われています。ところが4年の歳月を掛けて完成させたこの作品は、だれもが驚嘆する素晴らしいものでした。
最後の審判
最後の審判は、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の祭壇の壁に制作した作品です。絵の上部中央にはキリストがマリアと共に、死んだ人を天国に送るか地獄に送るか審判している様子を描いています。最後の審判は、天井画の天地創造を完成させてから26年たった1537年に始めていますから、ミケランジェロはすでに62歳。この年齢で、総数300人以上という多数の人物を一つの絵に描いたことはまさに驚異的。最後の審判もミケランジェロの大作の一つとして世界的に称賛されています。
ミケランジェロの建築作品
サン・ピエトロ大聖堂
サンピエトロ大聖堂はバチカン市国にある大聖堂。ミケランジェロが手掛けた建築物の中では最もよく知られたものですが、実はこの建物の建築はミケランジェロが着手する前から何人かの建築家によって行われていました。ミケランジェロはそうした建築家亡き後、仕事を受け継いだのですが、ミケランジェロはすでに72歳になっていたこともあり、完成を見ずに亡くなりました。
ポルタ・ピア
ポルタ・ピアは、ローマの中心部に繋がるノメンターナ通りの入口に建てられたアーチ型の門です。この建物の建築はミケランジェロの最後のものになります。門には前と後ろにファサードがありますが、それぞれに特徴があります。ローマの町から向かって外側のファサードにはローマのフォーラムの建物を称賛する記念碑的な要素を織り込み、内側のファサードには塔を付け装飾も華やかなものになっています。このポルタ・ピアの完成も、ミケランジェロが亡くなってからになります。
ロレンツォ・メディチ図書館
ミケランジェロはフィレンツェにあるロレンツォ・メディチ図書館の設計も手掛けました。この図書館はメディチ家の聖堂の回廊に作られたもので、内部装飾や階段の配置などが素晴らしく、世界でも最も美しい図書館の一つと称賛されています。ミケランジェロは1523年、時の教皇クレメンス7世から依頼を受けたのですが、当時ミケランジェロはローマに移る必要があったため、実際の建築作業はジョルジオ・ヴァサリとバルトロメオ・アンマナティによって続けられたと言われています。図書館の完成は1571年でした。
まとめ
彫刻、絵画、建築と、どの分野においてもその才能を十分に発揮したミケランジェロ。作品の一つ一つには、高度な美的感覚と長い年月を掛けても作品を完成させようとした忍耐力が表れています。500年以上もたった現在でも観る者の心を動かしてやみません。