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教養としての美術、フランス印象派画家の人気絵画

ルノワール
ルノワールの作品をそれぞれ解説付きでご紹介!
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印象派の中心人物として活躍し、巨匠として知られるルノワール。フランス人画家で本名はピエール・オーギュスト・ルノワールといいます。まばゆい自然光をふんだんに取り入れた色彩豊かな絵画全体を、柔らかな光が包み込む華やかな作風が特徴です。

ルノワールは生涯を通して悲しみを描くことなく、晴れやかで喜びに満ちた幸福な世界を描き続けました。被写体に選ぶのは常に愛らしくキレイなものだけに決めていたのです。

そんなルノワールはどのような人物で、生涯を通してどんな作品を残したのでしょうか?

この記事の前半ではルノワールの人生についてお伝えします。そして後半の記事では、ルノワールが残した傑作の数々をコメント付きで紹介。

ルノワールが生活した19世紀末のパリと彼の人生は、作品に大きな影響を与えました。時代背景と人生を知ることで、ルノワールの絵の魅力がより一層見えてくるでしょう。

最後にはホンモノのルノワールの名画を鑑賞できる、注目の展覧会もあわせてご紹介します! ぜひ最後まで目を通してみて下さいね。

ピエール=オーギュスト・ルノワールとは

ピエール=オーギュスト・ルノワール
ルノワールは幼いころから絵の才能を発揮していました。そんな才能あふれるルノワールの人生を、4つの時期にわけて紹介します。

1.陶器の町に生まれたルノワールの子ども時代

ルノワールは1841年、フランス西部にある陶器の町リモージュで仕立屋の父とお針子の母の間に生まれました。絵の才能に気づいた両親は、13才のルノワールを陶器の絵付け師見習いにだします。ルノワールはすぐに一流の職人になり、当時はロココ風の絵を描いていました。

ところが機械化の波が訪れて絵付け師の仕事がなくなっていったため、1961年に20才のルノワールは画家を志ざし国立美術学校へ入学。同時にスイス人画家グレールのアトリエに入門します。ここでルノワールは運命的な出会いを果たすことになります。モネやシスレー、バジールなど、のちの印象派の中心人物が同じアトリエに集っていたのです。

世界の芸術の中心地であったパリには、ほかにもドガやマネ、セザンヌ、ピサロなど未来の印象派の巨匠たちが集結していました。年が近かったこともあり若い画家たちはパリのカフェに集い語り合いながら、自然のなかで創作活動を続け、印象派の技法を発展させていくことになります。

2.ルノワール印象派の時代〜都会と郊外の近代生活を印象派の手法で描く

当時のフランスでプロの画家として生計を立てるためには、王立の美術アカデミーが主催する公式展覧会「サロン」に入選して認められる必要がありました。毎年1回春に開催され何万人もが訪れるサロンに出品できるのは、美術アカデミーの審査員に選ばれた作品だけ。

しかし当時のアカデミーは、神話・宗教画・歴史画などの保守的な絵画が主流でした。ルノワールやモネなど斬新な手法を用いる印象派の画家たちは、保守的なサロンに入選することができず、自分たちで展覧会を開催することにします。こうして、1974年に第一回印象派展が開催されました。

印象派展を通してルノワールも少しずつ評価を積み重ねていき、1977年の第三回印象派展に出品した「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」は高い評価を得ました。
ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会
しかし、サロンに入選していない画家の絵を買う画商やコレクターは殆どいなかったため、経済的には貧窮が続きました。こうして、ルノワールは再びサロンに挑戦することにします。

3.肖像画家としての成功

1879年、ルノワールに転機が訪れます。裕福な出版業者シャルパンティエの注文で描いた肖像画がサロンに入選。高い評価を得てサロンで初の大成功を収めます。パリ社交界の花形であったシャルパンティエ夫人の後押しもあって次々と裕福なパトロンがつき、ルノワールは肖像画家としての人気を不動のものにしました。このためルノワールは第四回印象派展には出展せず、その後は独自の道を歩んでいくことになります。

肖像画家として経済的に安定したルノワールは、1980年からイタリアやアルジェリアなど海外へ旅に出ます。ルノワールはその後20年間に渡り、世界各地へ美術探求の旅へと赴きました。

4.裸婦を描いた晩年へ

1880年代に40代を迎えると、ノワールに画家としての危機が訪れます。イタリア旅行の際にラファエロのフレスコ画に魅せられたルノワールは、印象主義と古典主義の間で葛藤が起き表現技法で悩むようになっていきました。

こうして古典主義へ回帰した時期が結果的には4年ほど続きました。ルノワールは印象派から離れて、明瞭な輪郭や正確なデッサン、古典的な構図などを取り入れていきました。この時期は「乾いた時代」、または19世紀古典主義の巨匠ドミニク・アングルにちなんで「アングル風の時代」と呼ばれています。
ルノワールの乾いた時代の代表作

1988年以降になると表現の問題は解決を見せました。古典的主題の一つである裸婦像を彫刻的・記念碑的な様式で描きながらも、印象派時代の柔らかな筆使いと、光あふれる暖かく明るい色合いが戻ってきました。

同時に、晩年のルノワールは裸婦像や身近な女性と子どもを中心に描くようになります。1990年以降は、薄い絵の具を何層にも重ねることで絵の表面をなめらかな真珠色の光沢で仕上げるようになり、「真珠色の時代」とも呼ばれています。晩年は持病のリウマチの治療のため南仏で過ごす時間が増え、66才になった1907年からは南仏カーニュに家とアトリエを構え制作を続けました。
ルノワールの真珠色の時代の作品
ルノワールは現在では裸婦像の第一人者として知られ、1919年に78才で亡くなるまでに多くの傑作を残しています。

ルノワールの代表作品をコメント付きで紹介

ここからは「幸福の画家」ルノワールの代表作品を年代順に紹介します。どの作品も傑作として知られるそれぞれの美術館の人気作ばかりで、ルノワールの絵画が持つ普遍的な魅力が伺えます。

春の花束

春の花束
◆作品制作年 1866年(25才頃)
◆所蔵場所 フォッグ美術館
◆コメント
ルノワール25才、青年期の作品。芍薬(シャクヤク)、ライラック、アイリス、ゼラニウムなどが東洋の花瓶に豊かに生けられ、シルバーから青のグラデーションをあふれる光と輝かしい色彩で晴れやかに描いています。若いころから卓越した審美眼の持ち主であったことが伺える、「幸福の画家」ルノワールらしい静物画です。

ラ・グルヌイエールにて

ラ・グルヌイエールにて
◆作品制作年 1869年(28才頃)
◆所蔵場所 ストックホルム国立美術館
◆コメント
夏に戸外制作をするため、パリ近郊セーヌ河の水上カフェがある水浴場「ラ・グルヌイエール」に赴き、モネとキャンバスを並べて描いた風景画作品です。

印象派の技法的発明に満ちた記念碑的作品で、光の瞬間的な移ろいやすさを切れ切れのタッチでスケッチのように素早く描き、光と空気を捉えることに成功しています。柔らかで明るい色合いにも、ルノワールらしさが現れています。

桟敷席

桟敷席
◆作品制作年 1874年(33才)
◆所蔵場所 コートルードギャラリー
◆コメント
第一回印象派展に出品し、好評を博したルノワール初期の代表作。お気に入りのモデルだったニニ・ロペズと弟エドモントをモデルに、当時の女性がもっとも華やぐ場所だった劇場の桟敷席(さじきせき)で観劇するカップルを描きました。

薄い絵の具を重ねた淡い繊細な色合いと、厚塗りのハイライトで煌めきを表現した作品。また黒は使わない印象派画家が多いなか、ルノワールは黒と白の大胆なストライプでゴージャスなドレスに仕上げています。

陽光のなかの裸婦

陽光のなかの裸婦
◆作品制作年 1875-76(34-35才頃)
◆所蔵場所 オルセー美術館
◆コメント
第二回印象派展に出品。ルノワール印象派時代の傑作の一つで、印象主義で描かれた人物画の代表作とされます。モデルは19才のアンナ・ブルッフ。裸婦像は古典的な定番の主題ですが、ルノワールは印象派の技法を大胆に適応しています。

背景の緑は躍動感あふれる筆さばきで表現。木の葉ごしに降り注ぐ光の濃淡が肌を美しく際立たせるとともに、移ろいゆく野外の光で輪郭が消失し、人物が背景と融合しています。

ぶらんこ

ぶらんこ
◆作品制作年 1876年(35才頃)
◆所蔵場所 オルセー美術館
◆コメント
第三回印象派展に出品。17才のジャンヌと弟エドモント、画家仲間のノルベール・グヌットをモデルに、ぶらんこで遊ぶ姿を描いた作品。

木漏れ日が水玉の斑点のように降り注ぐ点描写表現は当時初めて用いられた技術で、印象派展では理解されず酷評される結果となりました。今では70年代の印象主義を代表する作品の一つです。柔らかな色合いとモデルたちの優しい表情が、この絵の華やかさを引き立てています。

ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会

ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会
◆作品制作年 1876年(35才頃)
◆所蔵場所 オルセー美術館
◆コメント
第三回印象派展に出品。もっとも大きな作品の一つで、「舟遊びする人たちの昼食」と並ぶルノワールの代表作です。ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレットは若者たちに人気の社交場で、パリの北にあるモンマルトルの丘にあったダンスホール。

被写体は、ルノワールの知人とお気に入りのモデル10人ほどが務めています。パリっ子たちの日常を大作絵画の主題として描くことは、当時は非常に大胆な試みでした。

シャルパンティエ夫人と子どもたち

シャルパンティエ夫人と子どもたち
◆作品制作年 1878年(37才頃)
◆所蔵場所 メトロポリタン美術館
◆コメント
1879年のサロンで入選し、ルノワールが初の大成功を収めた肖像画作品です。モデルは、フランス屈指の出版業者ジョルジュ・シャルパンティエの妻マルグリットと子どもたち。「日本風の居間」と呼ばれた夫人の部屋で描かれました。黒と青をメインカラーに、背後の珊瑚(サンゴ)色が黒と青を引き立たせています。

イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢

イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢
◆作品制作年 1880年(39才頃)
◆所蔵場所 ビュールレ・コレクション
◆コメント
肖像画の傑作として知られる作品。モデルのイレーヌは8才で、パリの裕福なユダヤ人銀行家ルイ・カール・ダンヴェールの長女。のちのザンピエリ伯爵夫人。透き通るような白い肌と、印象主義の手法で描かれるふんわりとした髪とドレスが、少女の清らかな美しさを引き立てています。

舟遊びする人たちの昼食

舟遊びする人たちの昼食
◆作品制作年 1881年(40才頃)
◆所蔵場所 フィリップス・コレクション
◆コメント
ルノワールの代表作の一つ。「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」と並ぶ大作で、同様にモデルもルノワールの友人たちが務めています。

手前で犬を抱いているのは、後のルノワールの妻アリーヌ。場所は川を見下ろすレストランのテラス。ルノワールは日常生活の出来事を豊かで輝かしい色彩で描き、生きる喜びを讃えています。

ブージヴァルのダンス

ブージヴァルのダンス
◆作品制作年 1883年(42才頃)
◆所蔵場所 ボストン美術館
◆コメント
「ブージヴァルのダンス」は「田舎のダンス」「都会のダンス」とあわせた3部作。等身大の大きさで迫力があります。場所は、パリ郊外のセーヌ川沿いブージヴァルにあったパリ市民に人気の野外カフェ。ルノワールはこの作品でも、自分が生きた時代の魅力を美しく讃えています。

雨傘

雨傘
◆作品制作年 1881-86年(40-45才頃)
◆所蔵場所 ナショナル・ギャラリー(ロンドン)
◆コメント
1880年から始めた世界旅行の影響で、古典主義に回帰した頃(乾いた時代)を代表する作品。幼い少女2人は印象主義の手法で明るく柔らかに表現され、左側手前の男女は古典的手法による明確な輪郭と暗い色合いで描かれています。1917年にナショナル・ギャラリー(イギリスの国立美術館)にこの「雨傘」が展示されると、100人の連名による祝辞がルノワールに届けられました。

大水浴図

大水浴図
◆作品制作年 1884-87年(43-46才頃)
◆所蔵場所 フィラデルフィア美術館
◆コメント
1880年代の古典主義に回帰した時期に、3年間の試行錯誤を経て描かれた「乾いた時代」の集大成的作品。古典的な主題である妖精(ニンフ)のような裸婦たちが水辺で戯れている様子を、ラファエロやアングルなど複数の古典主義作品へのオマージュを散りばめて描いています。

ピアノを弾く少女たち

ピアノを弾く少女たち
◆作品制作年 1892年(51才頃)
◆所蔵場所 オルセー美術館
◆コメント
「真珠色の時代」初期に、フランスの国立現代美術館からの依頼で制作された人気作です。赤やオレンジなどの暖色を用いて、家庭的なぬくもりと安らぎが溶け合うように表現されています。

ルノワールは5枚のヴァリエーションを描き、政府買い上げとなった1枚はオルセー美術館に、それ以外のヴァージョンはオランジュリー美術館とメトロポリタン美術館に展示されています。

髪長き水浴の乙女

髪長き水浴の乙女
◆作品制作年 1895年(54才頃)
◆所蔵場所 オランジェリー美術館
◆コメント
1990年代に始まるルノワールの「真珠色の時代」を代表する裸婦画像作品。非日常的で時代を超越した雰囲気があり、エデンで水浴する女神のようにも見えます。少女のあどけない表情とあわせて、明るく甘美であると同時に穏やかで優しい無垢な裸婦画像に仕上がっています。

浴女たち

浴女たち
◆作品制作年 1918-19年(77-78才頃)
◆所蔵場所 オルセー美術館
◆コメント
ルノワールが最後に手がけた作品。ルノワール自ら集大成として臨みました。モデルは、後に息子ジャンの妻となるアンドレ・ヘスリング(通称デデ)。豊満で肉感に富んだ裸婦たちが、時代を超越した自然のなかにいます。

現代社会の要素を排した地中海的な風景は、ローマ・ギリシャなどの伝統的な主題。豊かな色使いが用いられ、美しくふくよかな女性たちは牧歌的でこの世の楽園を思わせます。

作品を観ることができるおすすめの展覧会はこちら

オランジュリー美術館コレクション ルノワールとパリに恋した12人の画家たち
2019年9月、神奈川県・横浜美術館では開館30周年を記念して『オランジュリー美術館コレクション ルノワールとパリに恋した12人の画家たち』が開催されます。期間は2019年9月21日〜2020年1月13日。

パリのオランジェリー美術館は、画商ポール・ギョームが基礎を築いた印象派とポスト印象派のコレクション146点もの作品が展示される国立美術館です。ヨーロッパで最高級のコレクションの一つとして知られ、21年ぶりの貴重な来日となります。

オランジュリーとは、オレンジやレモンなど柑橘類の木を寒さから守るための温室のこと。もとはモネの「睡蓮」を、陽光の下で鑑賞できるようにと美術館へ改装されました。歩いて10分のところにはオルセー美術館とルーブル美術館があり、小ぶりながらも高い人気を誇る美術館です。

今回は、オランジェリーのヨーロッパ屈指のコレクションから70点の作品が横浜に来日。ルノワールをはじめ印象派を代表するモネ、セザンヌ、シスレー。さらにポスト印象派のマティス、ピカソ、モディリアーニ、ルソー、ローランサンなど有名画家13人の名作が一同に会する贅沢な催しです。

最大の見どころは、ルノワールの代表作「ピアノを弾く少女たち」。ルノワールの「ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル」などの注目作品も一緒に来日します!

まとめ

19世紀末を生き、印象主義という新たな表現を用いて、パリ市民の日常生活を大胆に描いたノワール。普通の人びとの日常生活のなかの喜びから美を見つけ出し、優しく柔らかくそして明るく描くことで後生に伝えました。ルノワールが絵画作品を通して運んでくる幸福は、今もわたしたちに微笑みを届け続けているのです。

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