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アメリカのポップ・アートといえば、アンディ・ウォーホル、そしてロイ・リキテンスタインです。
これぞアメリカの漫画、というイメージを世界的に知らしめたリキテンスタインのバイオグラフィーと作品、そして1960年代に全盛期を迎えたアメリカのポップ・アートについて紐解いていきましょう。
目次
ロイ・リキテンスタイン
ロイ・リキテンスタイン(Roy Lichtenstein/リキテンシュタインとも)はアンディ・ウォーホルらとともに、1960年代のアメリカのポップ・アートという当時最新のアート・ムーヴメントを引率した人物です。
リキテンスタインは1923年、ニューヨークに生まれました。当時のアメリカ、ニューヨークは、移民のピーク、地下鉄の発達など、現代の「ニューヨーク」が形づくられるはじめの一歩を歩んでいた時代です。
ロイ・リキテンスタインは1940年、17歳の頃にオハイオ州立大学美術学部に入学しますが、第二次世界大戦の兵役を経験しています。そして終戦後は修士号を取得、オハイオ州立大学で美術講師を務めるなど、アカデミックのアートシーンに身を置いていました。
リキテンスタインの初個展は1951年のニューヨークで行われましたが、リキテンスタインは当初からポップアートの技法で制作していたのではなく、ジャクソン・ポロックやバーネット・ニューマンらが牽引していたニューヨークの抽象表現主義の絵画です。現代で知られているような、リキテンスタインの「アメコミ」風のポップアートが生まれたのは、1960年代に突入するほんの少し前のこと。
リキテンスタインは自身の子供と過ごす中で、漫画にはこれまでのアートにはないインパクトがあること、そして子供にとっての「偶像」であることに注目します。
そうしてリキテンスタインが1958年からはじめたのが、漫画を元にしたポップ・アートです。1961年制作の《Look Mickey》はその最初期の作品であり、現在ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー(National Gallery of Art)が所蔵しています。
リキテンスタインのポップ・アートは、アメリカの漫画、イラストを題材にしたもの。ポップ・アートの前に台頭し、リキテンスタインが大学で学んだアメリカの抽象表現主義からミニマル・アートまで継承する原色の色使い、漫画の印刷の荒さに見られる陰影のドットなど、ただ漫画の絵をコピーするのではなく、アカデミックな美術の分析に基づいて制作されています。
アメリカのポップ・アートで取り上げられる漫画の平面性は、現代の日本で村上隆がスーパーフラットと新たに定義した芸術の概念の原始ともいえるでしょう。
アメリカのポップ・アート
「ポップ」という言葉からは、どのようなイメージが連想されるでしょうか。おそらく、カワイイ、カラフルなどといった「グッズ」の印象が強いのではないかと思われます。
しかし、その本当の意味はより皮肉で社会に対する問題提起を含んだもの。戦後の資本経済社会や大量生産され、消費される「モノ」の存在を浮き彫りにするのがポップ・アートなのです。ロイ・リキテンスタインもアンディ・ウォーホルも、現れては消えていく商品ポスターや広告など、加速していく消費社会に注目していました。
ポップ・アートの「ポップ」とは、「Populer(大衆)」の「Pop」でもあり、また「Pop!(ポン!)」と弾ける音を表すもの。ポップ・アートとはそのインパクトのある平面的な絵画をもって、日常にありふれた大量生産の製品に対する皮肉でもあるのです。
ただし、ポップ・アートの先駆者であるジャスパー・ジョーンズがアメリカの美術に向けてアートをもって積極的な行動を仕掛けたのに対し、リキテンスタインがポップ・アートを手がけるようになったのは、子供とミッキーマウスを描いて遊んでいたことがきっかけとなっています。
ポップ・アート作品に共通するキーワード
ポップ・アートを語る上では、以下がキーワードになります。
- 平面性
- 大量生産・消費社会
- アイコン(偶像)
まず、ポップ・アートに見られる平面的な画面は、ジャスパー・ジョーンズの《旗》のアメリカ星条旗の絵画が始まりとされています。原色を使い、立体感のない平面的な絵画であることは、全てのポップ・アートに共通する要素です。
次に、大量生産・消費社会というモチーフ。アンディ・ウォーホルのシルクスクリーン作品に見られる「キャンベルスープ缶」や女優のポスターなど、ポップ・アートは大量に消費される商品やイメージがモデルになることがしばしば。リキテンスタインがモチーフとしたアメリカン・コミックも大衆文化(ポップカルチャー)として流布した世俗的なモノとなります。
そして、ポップ・アートの最大の要素ともいえる「アイコン」という要素。星条旗や大衆的アイドルのマリリン・モンロー、労働者を象徴する食事であるキャンベルスープ、戦争や恋愛の漫画など、ポップ・アートにはアメリカ国民の精神的な礎であるイメージの数々が使われたのです。
リキテンスタインとアンディ・ウォーホル
ポップ・アートの作品はそのインパクトある存在感だけではなく、経済効果も衝撃的なものでした。アートの歴史において最も売れたポップ・アートですが、そのイメージを代表するのがロイ・リキテンスタインとアンディ・ウォーホルのふたりの作家です。
リキテンスタインはそのアカデミックな考察に基づき、漫画の手法と過去の名画の題材を組み合わせた作品も多く制作しています。一方、ウォーホルのオリジンとしては商業イラストレーターであり、マリリン・モンローやキャンベルスープ缶などの大衆的イメージの「表層」を記号として切り取りました。
ウォーホルの作品において重要なのは、「イメージのイメージ」を生み出したという点。難しい美術の用語を使うと、アウラ(複製の元、オリジナルしか持ち得ないもの)の喪失を、シルクスクリーンの版画による技術的複製で繰り返し同じ図像をもたらすことによって転換し、新たに生まれる電気信号のようなイメージを実現したのがウォーホルです。
要するに、アイコニックな缶詰めやマリリン・モンローそのものには決して迫らない、オリジナルのイメージからその表面的な印象を引き剥がして新しい「イメージ」を作った、といったところでしょうか。
ロイ・リキテンスタインとアンディ・ウォーホルの作品は、美術館のポップ・アート展などが開催されると同時に展示をされることがしばしばですが、実際のところ、リキテンスタインとウォーホルはそのポップ・アートの黎明期にお互いに影響を与えあった、ということはありません。
しかし共通する点といえば、両者のポップ・アートは高所得層が独占的に得ていた高尚なアートの世界を大衆の世界に引きずり下ろしたということ。ポップ・アートは当時のアメリカにおいて、教養を必要とするハイ・アートと、鑑賞に知識の不要なロウ・アートの境界線を突き崩したのです。
リキテンスタインの作品
ここからは、リキテンスタインの作品について具体的に解説していきましょう。
《ルック・ミッキー》
《Look Mickey》はリキテンスタインの1961年の油彩画であり、リキテンスタインが最初にポップ・カルチャーを取り入れた作品です。
この作品はリキテンスタインの息子が持っていた1960年のディズニーの絵本である『Donald Duck: Lost and Found』のワンシーンを元に制作されたもので、画面左上にディズニーのキャラクターであるドナルドダックの「LOOK MICKEY, I’VE HOOKED A BIG ONE」というセリフが漫画の吹き出し風に描かれています。
リキテンスタインはこの絵をオリジナルの絵本の通りに描いたのではなく、より色彩や構成を統一させ、簡略化しました。原作の絵本をよりチープなペーパーバックの漫画風にし、自身の作風にユーモアと皮肉をもって表現しましたが、著作権の問題などにおいて批判にさらされることになります。
この《Look Mickey》をもってリキテンスタインは当時のニューヨークタイムズの芸術評論家から「アメリカで最悪のアーティストのひとり」と呼ばれます。アメリカのアーティストの中でもリキテンスタインは「悪名高い作家」として認識されていましたが、この作品はリキテンスタインの抽象表現主義絵画からポップ・アートの表現への転換点となる、重要な作品として現在は知られています。
《ヘアリボンの少女》
ロイ・リキテンスタインは1963年からおよそ2年間にわたって、アメリカン・コミックにおける普遍的なヒロイン像をその作品のテーマに取り上げます。そうして漫画のパロディを作り上げるなど大衆的なイメージを使用し、技術的な絵画構成に取り組みました。この《ヘアリボンの少女/ Girl with Hair Ribbon》もそのひとつです。
アメリカの大衆に人気のあったブロンド・ヘアーの少女の典型的な感情表現−報われないロマンスに涙を流したり、こちらに向かって微笑んだりする、時代が期待した少女のイメージを借りて、リキテンスタインは三原色とエッジの効いた描画で画面を構成しています。
リキテンスタインが用いた画材は、古来からの油彩画と、その当時新しかったアクリル絵の具である「マグナ」と呼ばれるもの。筆蹟を残すことなく、キャンバス上を平坦に仕上げ、漫画の機械印刷のプロセスで現れるトーン(ドット)まで画中に表現しています。
この《ヘアリボンの少女》は東京都現代美術館が1995年当時に6億円という価格で購入し話題になりました。現在も同美術館が所蔵しています。
《溺れる少女》
《ヘアリボンの少女》と同じく、この《溺れる少女/ Drowning Girl》もロイ・リキテンスタインが1963年より手がけた「ラブ・コミック」シリーズの作品です。
リキテンスタインはとりわけポップ・アートの作品において、たびたび自身の私生活に起こった出来事を絵画の題材に取り入れますが、リキテンスタインがラブ・ロマンス漫画の女性をピックアップして描いたのも私的な出来事を発端としているといいます。
中でもこの《溺れる少女》のように、漫画のメロドラマの中で涙を流す少女像は、リキテンスタインの不倫や妻との別居など、うまくいかないプライベートの恋愛の悲観的な精神状態を表しているとか。
この《溺れる少女》もリキテンスタインのポップ・アートの最初期作品として、現在はMoMA(ニューヨーク近代美術館)が所蔵しています。
キャリアの後半と《Mirror》シリーズ
リキテンスタインはアメリカン・コミックのヒロインのシリーズのほか、アーティストとしてのキャリアの後半において、ピカソやセザンヌ、ゴッホなど現代にも知られる巨匠の作品をポップ・アートに再現する「モダン・ペインティングシリーズ」を続けました。
また、リキテンスタインは1970年に映画監督のジョエル・フリードマンとのインスタレーションの制作や映画製作も行い、ポップ・アートの絵画を立体に置き換えたような彫刻制作も開始するなど、表現手法を広めます。
そして同時期の1969年から、リキテンスタインは《Mirror》という鏡をモチーフとしたポップ・アートの絵画制作を始めました。
《Mirror》シリーズの構想は、まずリキテンスタインが1965年に制作した《鏡の中の少女/ Girl in Mirror》から語るべきでしょう。磁器とエナメルで作られたこの絵画は8から10ほどのエディションが制作され、描かれた「鏡を覗き込む女性」というイメージはベラスケスの《鏡を見るヴィーナス》をはじめとした古典的な絵画のテーマでもあります。
《Mirror》シリーズは「鏡」をモチーフにし、「ラブ・コミック」シリーズと同様に油彩とマグナ(アクリル絵の具)で描かれました。
「鏡」は視覚的な作用を持つアイテムであり、美術史の中でも探求されてきたテーマです。《Mirror》シリーズは抽象絵画的、あるいはミニマルな構成に、以前のシリーズでも用いていた漫画のポップ・アート作品に見られる印刷時のトーンの表現を流用し、鏡の表面的な効果を探った、リキテンスタインの最も野心的な挑戦ともいえるものです。
リキテンスタインはこのシリーズに家具やガラス製品のカタログ写真を参考にし、漫画などと同じように大衆文化や消費社会の源を表しました。「ラヴ・コミック」シリーズほどこの《Mirror》のシリーズは有名ではありませんが、リキテンスタインのアカデミズムを垣間見れる作品として再評価されるべきシリーズともいえるでしょう。
まとめ
ロイ・リキテンスタインは、スキャンダラスな女優のポスターなどを手がけたアンディ・ウォーホルほど逸話が残されていない画家でもあります。
しかし、たとえリキテンスタインという名を知らない人にとっても、そのポップ・アート作品はインテリアやTシャツなどのファッションに使われることもあり、現代に生きる誰もが生涯で一度は目にしたことがあるはずです。
リキテンスタインの作品において、ウォーホルの作品とは対照的にアカデミックな考察がなされていることは知られていませんが、リキテンスタインの作品を通して、いま一度そのポップ・アートがただ「おしゃれ」であるだけの様式ではないことを知っておきたいところです。