MUTERIUMMUTERIUM

東京都写真美術館にも出展したコンセプチュアルアートの写真家

Stories
日本の美術家・杉本博司の哲学と写真作品
当メディア(MUTERIUM)の画像使用は作者による許可を得ているもの、また引用画像に関しては全てWiki Art Organizationの規定に準じています。承諾無しに当メディアから画像、動画、イラストなど
全て無断転載は禁じます。

杉本博司は現在、ニューヨークに拠点を置き活動する写真家、および美術家。杉本博司は現代美術分野以外にも明るく、古典芸能などの日本伝統文化や料理といったあらゆるジャンルに精通している人物です。

杉本博司について最も知られているのがその写真作品。コンセプチュアル・アートとしての背景を持つ美しいモノクロームを中心とした写真は多くのアートファンをうならせ、2016年に東京都写真美術館で開催された「杉本博司 ロスト・ヒューマン」展は人気を博しました。

今回はこの杉本博司という作家、そしてその作品について、解説していきます。

杉本博司という現代美術作家

アーティスト杉本博司
杉本博司(すぎもと ひろし)は1948年東京都台東区(御徒町)生まれのアーティスト。立教大学で経済学を学び、1970年に渡米しロサンゼルスのアートセンター・カレッジ・オブ・デザインで写真を学びました。その後帰国し、1974には再び渡米、ニューヨークに移り、自身のアトリエを構え「Hiroshi Sugimoto」として活動します。

杉本博司の作品は時間、経験主義、形而上学といったテーマをもつ、コンセプチュアル・アートの領域に踏み入れたもの。写真のほか、彫刻や建築、絵画などあらゆるジャンルで表現を試みています。

はじめ、杉本博司がニューヨークでデビューするきっかけとなった作品は「ジオラマ」のシリーズで、アメリカ自然史博物館に展示されている、今はすでに滅びた古代の生物や古代人のジオラマを作成し、あたかも実際にそこに存在しているかのように写したもの。

写真がありのままの「真実」を映し出すメディアではなく、虚構も写し得るというテーマであり、美しいモノクロームの写真はニューヨーク近代美術館の写真部門に評価され、キュレーターに買い上げられるという名誉を勝ち得ました。1976年の、杉本博司が28歳の頃です。

その後、アメリカで奨学金を得ながら写真作品の制作を続けますが、奨学金が終了するとニューヨークのソーホーにて日本の古美術商を開業し、生活費を稼ぎながら作家業を続けるという生活をしていました。この経験が、杉本博司が日本の古美術や伝統文化に博識である一つの理由であると考えられます。

撮影のコンセプト

杉本博司の劇場
杉本博司の作品には、1960年代から世界的に活発になっていった前衛芸術運動である「コンセプチュアル・アート」の影響が強く現れています。

コンセプチュアル・アートとは、作品を視覚的な効果(色彩、形など目に見えるもの)で表現することよりも、その作品のコンセプト(意味、説明文)にこそ重きを置いたアート。

杉本博司の作品のコンセプトには、主に「時間」そして時間にともなう「物語」という観念が含まれています。表現することが不可能だと考えられる「時間」の表現、そして「物語」とは「ストーリー」のことではなく、考古学でも未だ証明できない人間の起源をたどる神話のようなもののこと。

杉本博司の「時間の表象」というコンセプトに関しては、《劇場》の作品に目立って見られます。映画劇場にカメラを持ち込み、2時間の映画の上映の間、シャッターを解放し撮影をしたこのシリーズでは、一枚の写真にその映画の時間が込められています。

また、同じく時間の概念を写真に留めた「蝋燭の一生」を記録する《陰翳礼讃》のシリーズには、蝋燭の炎が灯って燃え尽きるまでの光が撮影されており、静止した写真の中に数時間分の蝋燭の炎の光が収められました。

そして、《海景》のシリーズの作品には「物語」の概念が込められています。「我々はどこからきてどこへいくのか」とは19世紀フランスの画家ゴーギャンの言葉ですが、「物語性」という概念にはこのように人間誰もに共通する問題提起がなされます。杉本博司も海や湖の水平線の風景など、世界各地で同じ風景を撮影することで、古代に世界中に散らばった人類が見ただろうと考えられる同じ光景を捉えようと試みました。

全ての水平線の風景を同じ構図で捉えることにより、杉本博司は全ての撮影地の水平線の風景の個別性を霧散させ、「古代の人類が見たはずの風景」という概念に作り上げたのです。

これらのように、杉本博司の作品は全て「視覚的に美しい」だけであったり、目に見えるものだけを記録するのではなく、より深いコンセプトをもって「視覚で捉えられないもの」を表現しています。

写真家、杉本博司の「建築」と江之浦測候所

杉本博司は写真作品以外にもあらゆるメディアで表現を試みていることで知られる作家ですが、なかでも建築に関して、写真についで注目されています。

杉本博司は2008年に、建築家の榊田倫之とともに建築設計事務所「新素材研究所」を設立しました。この新素材研究所は、「旧素材こそ最も新しい」というスローガンのもとに、古材を取り入れた「新しい」建築に取り組むというもの。

新素材研究所はコンクリートや鉄、ガラスなどの現代建築素材でカタログから選ぶ建築は劣化がはやく、日本に伝わる大工技術のいらない簡易な大量生産型の建築は「文化後退」であると提言し、良い素材と、現代の技術と古くからある技術を組み合わせ時間と手間をかけて、長い年月残す事のできる建築を生み出す事を目標としています。

また、新素材研究所は、小田原文化財団の基地、江之浦測候所の理念も引き継ぐもの。江之浦測候所は、杉本博司が設立した小田原文化財団の建築であり、日本文化の精神を発信する本拠地として設定されました。

「アート」が宗教のもとを離れ、表現するべき対象を失いさまよう現代において、もう一度人類全体としての意識に立ち戻る、というコンセプトのもと設計された江之浦測候所は、清水寺の舞台にも用いられている「かけづくり」という建築法を用いるなど、古代からある伝統文化としての建築を受け継いでいます。

「アナログニズムが趣味」という杉本博司は、その作品の表現手法において最先端の技術を追いかけるということはせず、古来からある手法を重視します。それはただの「趣味」というには頼りない言葉であり、アナログニズムは「人類」のスケールで人間存在と文化のあり方を問い続ける、杉本博司の情熱のありかなのだといえるでしょう。

杉本博司の写真作品

ここから、杉本博司の作品を紹介していきましょう2016年に東京都写真美術館で開催された展覧会「杉本博司 ロスト・ヒューマン」展に展示された作品含め、写真作品を主に見ていきます。

《ジオラマ》

《ジオラマ(Diorama)》シリーズは、杉本博司の最初の写真作品です。ロサンゼルスのアートセンター・カレッジ・オブ・デザインを卒業後、1976年にニューヨーク近代美術館の写真部門に持ち込んだ作品であり、これをきっかけに杉本博司は写真家としての道を確かなものにしました。

《ジオラマ》シリーズはその名の通りジオラマを撮影したもので、ニューヨークのアメリカ自然史博物館のジオラマを被写体としています。今はすでに絶滅した生物や古代人のジオラマを、遠近感や構図などを工夫して撮影することで、あたかも本物を撮ったスナップ写真のように見せています。

1960年代末から写真は美術作品としての市場が確立され、杉本博司が渡米した1970年代当時はオリジナルプリントの黎明期でした。それまで隆盛だった報道写真は「真実を写しているとは限らないもの」として陰りを見せ始め、作品の新たな表現手法を追い求める美術家たちが芸術写真を開拓してった時代です。そして、杉本博司もその一人でした。

《肖像写真》

《肖像写真(Portraits)》シリーズも《ジオラマ》シリーズに続いて、写真の「虚構」と「真実」を行き来するような作品です。

イギリス・ロンドンにあるマダム・タッソー館にある蝋人形をまるで生きている人物のポートレート写真のように撮影した作品であり、また撮影時の照明は16世紀の宮廷画家ホルバインの描く肖像画のように設定されています。杉本博司は、ホルバインが王侯貴族を描写したルネッサンスの光源を研究し、作品に取り入れました。

「こうして絵という唯一の記録方法によって伝わった王の面影が、写真という代替え記録方法によって再現されもしこの写真に写された人物が、あなたに生きて見えるとしたら、あなたは生きているということの意味を、もう一度、問い正さなければならない。」このように杉本博司は作品について語り、写真という表現手法における「見えているもの」と「真実」の狭間について問題提起しています。

《海景》

《海景(Seascapes)》のシリーズ
《海景(Seascapes)》のシリーズは、世界各地の海や湖などの「水面」を撮影した作品。杉本博司はそれぞれ異なる地の水辺を継続して撮影しており、《海景》の作品全て、水平線を中央に平行に捉えています。

杉本博司は、海の水平線こそ人類が最初に見た「風景」であるとし、人類が始まり世界各地へ散らばって、ばらばらのコミュニティーを築き上げていった後にも同じ風景を見ていたと想定しました。そうして、「古代人が見ていた景色を現代人が同じようにみること」をコンセプトにこの作品の撮影に取り掛かったといいます。

水平線に見える「水と空気」が、神話の世界が解くこの世の始まりの存在であり、「偶然」という神が作り出したこの地球の恵みを象徴する海は、見るたびに先祖返りをするような心地よさを与えられるのだと杉本博司は語っています。

《キャンベルスープ缶》

2016年9月から11月にかけて、東京都写真美術館がリニューアルオープン、また開館20周年を記念して、杉本博司の個展「ロスト・ヒューマン」展を開催しました。この写真作品《キャンベル・スープ缶》(写真右下)も、展示作品のひとつです。

キャンベルスープ缶、といえば思い浮かぶのが、アンディ・ウォーホルの版画作品。キャンベルスープ、というのは実際に今でも売られている安価な缶詰のスープであり、アメリカの労働者階級を象徴する商品=労働階級の「アイコン」として据えられたもの。

「アンディ・ウォーホルの作品は本物のキャンベルスープ缶よりも安くなってしまった。そして世界金融恐慌が始まり、アートが世界の滅亡の引き金を引いた」というシナリオのもとに撮影された杉本博司のこの作品は、ポストアポカリプスの空想を写しています。

「ロスト・ヒューマン」展は世界の滅亡を仮定し、人類のあり方について問いかける内容の展示。杉本博司の作品は芸術作品であるとともに、世界や文化、人類全体についての問題提起を強く私たちに問いかけています。

《パラマウント・シアター、ニューアーク》

この作品は、東京都写真美術館の展覧会のポスターを飾ったもの。杉本博司が継続して扱ってきた《劇場》シリーズに伴う、世界初公開となった新しい《廃墟劇場》シリーズのうちのひと作品であり、2015年に撮影された新作でもあります。

Netflixなど新しい動画配信サービスの台頭などによる現代の映画鑑賞の環境の変化や経済的な影響から捨てられ、廃墟となったアメリカの劇場を撮影地とし、杉本博司自らがスクリーンのみ貼り直して、これまでの《劇場》シリーズと同じく映画を上映している間にカメラのシャッターを解放して撮影した作品。

真っ白に輝くスクリーンは2時間分の映画の物語の映像の重なりであり、光と時間の集積を見せています。《廃墟劇場》のシリーズが《劇場》と異なるのは、「生きている」劇場か廃墟となった劇場であるかの点。人間と文化が退廃していくことを危惧する杉本博司の視点を象徴しています。

東京都写真美術館で行われたこの展覧会の図録は現在オンライン通販でも販売されています。気になる人は、入手可能なうちに手に入れておきましょう。

まとめ

現代アートを手がける美術作家の多くは、最先端の技術を使用することに関心を集めています。新しいアートを生み出すならば、新しい技術を使うということは当然誰しも考えることでしょう。

しかし、「アナログニズム」の愛好者である杉本博司の哲学に基づけば、わたしたちはいま一度、暮らしや文化のありようについて考え直さなければいけないのかもしれません。

美術館や美術作品は、あるところでは「教育」の場でもあるということを杉本博司の作品は思い起こさせます。美しいモノクロームの写真作品はただ目にみえる白黒のコントラストだけではなく、より多くの物事を語っています。

「新しい」「早い」を常に求め続ける結果、「美」という概念や文化のあり方が崩壊していくことに注意深く目を凝らす、ということを杉本博司の作品からは学ぶことができるでしょう。

関連記事
No Comments
    コメントを書く