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パステルカラーの可愛らしい作品を描いたマリーローランサンは、日本でも人気のある女性画家、彫刻家です。マリーローランサンの作品の特徴は、やわらかで可愛らしい、幻想的な画風。そのやわらかい表現は、いわさきちひろを思わせます。
また創作活動だけでなく、詩人アポリネールとの激しい恋や亡命生活などの波乱万丈の人生も、多くの人を魅了し続けている所以です。
目次
フランス・パリで活躍したマリーローランサンと作品が観れる美術館について
しかし今では有名なマリーローランサンですが、長らくフランスを含めたヨーロッパでは忘れられた存在でした。ルーヴル美術館をはじめとする美術館で展示されることはありましたが、回顧展などの大規模な展覧会はあまり開催されていません。
日本では、長野県・蓼科にマリーローランサン専門の美術館がありましたが、2011年に閉館。この美術館の収蔵品が2017年に東京・紀尾井町のホテルニューオータニに移転し、再オープンとなりました。しかしこちらも2019年に閉館しています。現在マリーローランサンの作品を見れる機会は展覧会しかないようです。こちらはあとで紹介していきます。
まずはマリーローランサンの生涯とその代表作について解説していきます。
波乱万丈な生涯
少女時代
マリーローランサンは1883年、フランス・パリで生まれました。母親はお針子をしていて、未婚のままで彼女を生んでいます。父親は高級官僚でしたが、マリーローランサンは父の名前さえ知らなかったようです。
しかし母と2人、穏やかな生活を送っていて、母の扇やレース、絹糸、糸巻などの所持品を持ち出しては眺めていたそう。そのような「きれいなもの」への関心はマリーローランサンの作品にも表れており、ここに彼女の画風の出発点を感じ取れます。
ローランサンの母は彼女をお嬢様が通う女学校に入学させました。しかし彼女が熱中したのは勉強よりも詩や絵画。後に詩も発表しています。
好きな画家はヴィジェ・ル・ブラン。18世紀に活躍した女性画家で、マリー・アントワネットのお気に入りの画家でした。どこかマリーローランサンとの画風に通じるものがあります。
女学校を卒業する頃には画家になることを決意します。母はマリーローランサンが教師になることを望んでいましたが、説得の末に画塾へ通うことを許可します。
ピカソやブラックとの出会い
20歳を過ぎたころ、画塾へ入学したマリーローランサンはデッサンなどの基本技術を学びました。そこで1歳年上のジョルジュ・ブラックと出会います。彼は後にキュビズムの中心人物になった画家。ブラックとの出会いはマリーローランサンに新しい絵画表現に目覚めさせるきっかけになる、重要なものでした。
またブラックを介してマリーローランサンはさまざまな芸術家と出会います。ピカソとの出会いも、ブラックを仲介としたものでした。
そしてピカソのアトリエ「洗濯船」に集まった画家、詩人などの前衛芸術家たちと知り合い、彼らのコミュニティの一因になっていきます。
その中でも一番の出会いは詩人ギヨーム・アポリネールとの出会いでしょう。
詩人アポリネールとの恋
アポリネールとマリーローランサンは出会ってすぐ恋に落ちました。
アポリネールは詩人でもありましたが、先見の明を持った人物で、美術評論家としても活動していました。彼は無名だったピカソや、下手だと揶揄されていたアンリ・ルソーを評価しています。そんなアポリネールに導かれマリーローランサンはキュビズムの道へすすみ、理論先行ではないキュビズムの画家として成功をおさめます。対してマリーローランサンはアポリネールの創作の源、いわば「ミューズ」になりました。お互いが刺激を与えあう存在だったのです。
しかしそんな芸術家にとって理想的ともいえる恋愛関係は長くは続きませんでした。きっかけとなったのは、1911年、アポリネールが《モナ・リザ》を盗んだとして拘束されたこと。もちろん、アポリネールはモナ・リザを盗んではおらず、すぐに釈放されましたが、マリーローランサンの愛はこの事件により冷めていくのです。
こんな形で終わってしまった恋愛を、アポリネールは「ミラボー橋」という詩にしています。これは彼の代表作となり、今でもシャンソンとして歌われています。マリーローランサンは、自分の棺桶にアポリネールからの手紙を入れるように遺書に残していました。アポリネールとの恋は一過性のものではなく、生涯にわたって彼女の心に残るものだったということがわかります。
結婚・亡命生活
さて、アポリネールと別れたあと、母が亡くなります。その翌年の1914年、知り合ったばかりのドイツ人男爵、オットーと結婚。
その後、第一次世界大戦がはじまると、ドイツ国籍になっていたマリーローランサンはフランスにいることができなくなったため、スペインに亡命。スパイ容疑をかけられ、スペイン国内を転々とする生活の中で夫婦生活は悪化していきました。
画業はというと、亡命生活のためにフランス・パリの美術界からは遠ざかっていましたが、その間に新たな表現に挑戦していました。それまでのはっきりとした輪郭線が消え、パステルカラーがより多く使われ始めます。この頃から、マリーローランサンの代名詞でもある可憐なスタイルに近づいていく兆しがみられるようになりました。
スタイルの確立
第一次世界大戦も終わり、1921年に関係が悪化していた夫と離婚します。そして再びパリへと戻ったマリーローランサンは個展を開催。大盛況となり、ローランサンは一気に人気画家へ上り詰めました。写実的ではない、可愛らしい表現が当時の人々に受け入れられ、マリーローランサンの肖像画を壁に飾るのが流行ったというほどでした。
この頃によく知られるマリーローランサン独自のスタイルが確立されたのです。
晩年
「狂乱の時代」と呼ばれた1920年代が終わると、マリーローランサンの生活も落ち着いたものになり、それほど絵画も売れなくなります。しかし、画家としての評価は高まり、一流画家として認められます。
作風にも変化が見られるようになりました。それまで嫌っていた赤や黄色といった色が現れ、より明るい画面になり、構図も安定。さらに人物の影も描きこまれるようになります。このことは、マリーローランサンの儚げで幻想的な特徴的な画風を失うことにもなりました。しかし、より現実味のある、深みを持った表現を獲得したともいえます。
私生活では家政婦のシュザンヌと穏やかな生活を送っていました。そんな中、1956年、73歳で心臓発作で息を引き取りました。遺書の通り、白い衣装を身に着け、赤いバラとアポリネールからの手紙を胸に抱き、フランス・パリの墓地に埋葬されました。
可愛いだけじゃない代表作品
次に、マリーローランサンの代表作品を紹介していきます。年を追うごとに少しずつ作風も変わっているので、その変化を比較してみるのも面白いのではないでしょうか。
《頭の尖った女性の肖像画》
細長い尖った形をした頭の女性が印象的な作品です。黒い帽子のようなかぶったこの女性は、横を向いているのに正面から見た形の目をしており、鼻もなく口も一筋線が引かれただけの個性的な顔をしています。
この女性はエジプトの壁画のような人物にも見えるのではないでしょうか。このようなエジプトやアフリカなどの原始美術は当時ピカソなどの芸術家が注目していて、作品の中にそのエッセンスを取り入れていました。ピカソの代表作《アヴィニョンの娘たち》はその影響がよくわかる作品です。
またこの女性の尖った頭とあごは、恋人アポリネールの大きなあごをした顔をコミカルに表現したもの。顔の特徴をこのようなユーモアのある表現にしてしまうことに、2人の気の置けない関係性がうかがえます。
《家具付きの借家》
画面上に書かれた「MAISON MEUBLEE」は家具付きの貸家という意味。
2つの窓にはそれぞれ女性がいて、左の女性はベランダから外を眺め、右の女性はタバコを吸う男の人と向き合っています。2人ともどこか物憂げな表情。その表情が、画面全体に用いられている淡い色彩とマッチしてこの作品のアンニュイさをより際立たせています。
この作品の家具付きの貸家はマリーローランサンと恋人のアポリネールが逢瀬を重ねた貸家を描いたものと考えられていて、この作品が描かれた1912年に2人は破局することになります。
するとベランダに立っている女性はアポリネールを待っているマリーローランサン自身で、隣の部屋の女性はアポリネールとの逢瀬を楽しんでいた頃のローランサンとも考えられます。また、右側の順調な恋人たちの情景と、うまくいかない恋愛している自分をセットで、対比的に表現しているのかもしれません。
この作品は、ピカソやブラックのキュビスムの影響を受けつつも、独自の路線を歩んだ初期の代表作です。
《接吻》
ピンクの服を着た少女の頬に青いターバンを巻いた少女がキスをしています。2人のピンク色の唇と物憂げな黒い瞳も印象的なこの作品は、これぞマリーローランサン!といえる作品です。
1920年頃に確立されたマリーローランサンの曲線的で優美な表現、パステルカラーを用いたスタイルが凝縮されています。濃い輪郭線で描かれた、キュビズムの画家として名を博したころの作品とは対照的です。
パステルカラーを多用したマリーローランサン。しかし、ピンクの服を着た少女の帽子には黒のリボンがついていることからわかるように、この頃からローランサンは黒も用いるようになりました。それは画面を引き締めるアクセントというよりは、パステルカラーをより引き立てる色として黒が使われたようです。
《マドモアゼル・シャネルの肖像》
黒のスカーフに青いドレスを身に着けた女性が頭に手をやり、くすんだピンクの椅子に腰かけています。女性の表情は物憂げですが、ピンク色にそまった頬が滑らかな肌に血色を与えています。女性の手元には犬がおり、小鳥も飛んでいます。
この女性はココ・シャネル。パリのモード界の寵児で、20世紀を代表するファッションデザイナーです。この作品はシャネルの注文により制作した肖像画。
当時マリーローランサンには肖像画の注文が相次ぎ、上流階級の間でローランサンに描いてもらった肖像画を部屋に飾ることが流行したほどの人気でした。
マリーローランサンは決して注文主の見た目を写実的に表現することはありませんでした。それでも注文主は、ローランサンのフィルターを通して可憐で優美な自分の肖像画を描いてもらいたかったのです。
しかしシャネルはこの絵を、自分に似ていないからという理由で受け取りを拒否してしまいます。そんなシャネルのことをマリーローランサンは「田舎娘」と揶揄したとか。
《三人の若い女》
3人の女性が寄り添っている作品。真ん中の女性はギターを弾いています。それぞれパールなどのアクセサリーをはじめ、赤や黄色、青の衣装に目が行きます。
背景には陸橋のようなものが描かれていますが、よくわかりません。背景の色は、全体的に灰色が使われていて、生涯を通してマリーローランサンの作品によく用いられていることがわかります。
寄り添う3人の構図には安定感が感じられ、それまで避けていた赤や黄色を用いた鮮やかな色彩を見ることができます。これらはマリーローランサンの晩年の作風の特徴。これはその晩年の特徴ががよくわかる作品です。
マリーローランサンの絵画が見れる展覧会、美術館
残念ながら、蓼科に合ったマリーローランサン美術館、ホテルニューオータニでニューオープンしたマリーローランサン美術館も閉館してしまいました。
マリーローランサン美術館の収蔵作品は、館長である高野将弘氏の個人コレクションで構成されていました。500点もの作品があったそうで、それが見れないのは大変悔やまれます。
しかし、いくつかの展覧会で、ローランサンの絵画を見ることができます。
ルノワールとパリに恋した12人の画家たち
- 横浜美術館 2019年9月21日~2020年1月13日
- この記事で紹介した《マドモアゼル・シャネルの肖像》が展示されます。
- 三菱一号館美術館 2019年10月30日~2020年1月20日
- 《5人の奏者》《羽扇を持つ女》が展示されます。
どちらの展覧会にも、マリーローランサンに関連した、エコール・ド・パリの画家の作品が展示されます。
横浜美術館も、三菱一号館美術館も駅からアクセスしやすいところなので、ぜひ、こちらの展覧会に足を運び、マリーローランサンの優美な世界観を鑑賞してください。本物を見るとまた違った気づきがあるかもしれません。