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現在ニューヨーク在住のアーティスト、キキ・スミス。人間の身体に関心を持ち、生命と死、再生、また人間と自然との関わりを表現のテーマとした彼女の作品は世界的に人気を博し、多くのコレクターや若手アーティストの「お気に入りの作家」として君臨しています。
身体への関心から作品制作のために救急医療技術者の資格を取るなど、表現にあたってラディカルな探求を惜しまないキキ・スミス。その生い立ちや作品、関連書籍について紹介します。
目次
キキ・スミスという現代作家
アメリカのコンテンポラリー・アーティストであるキキ・スミスは、人間の身体と生理的な現象にまつわる多角的な学習をもとに、シュルレアリスムを含んだポストモダニズムの視点から、死と再生、性と精神性との結びつきを探る作家。
キキ・スミスの表現は彫刻、版画、写真など表現のメディアや素材に固定されることなく、作品の内容(コンテクスト)に応じて制作方法を変え、個人的かつ普遍的な視線に基づき、作品を鑑賞する人と共鳴する表現を実践しています。
キキ・スミス(Kiki Smith)は1954年、ドイツのニュルンベルクに生まれた翌年、彫刻家の父とオペラ歌手の母の家族でアメリカ・ニュージャージー州に移住しました。父のトニー・スミスはミニマリズムの彫刻家であり、キキ・スミスは幼少期から父の職人的な仕事に触れることで、表現における造形のセンスを確かなものとしました。
1974年にキキ・スミスはコネチカット州のハートフォード大学の美術学部で映像を専攻しますが、一年と半年後には現在も拠点としているニューヨークに移住します。そして1976年にはアーティスト集団の「Collaborative Project (コラボ)」のメンバーとして活動を始めます。
コラボは既存のアートシーンの中心的な場であるコマーシャル・ギャラリーのシステムの外部で活躍するアーティストの共同体であり、1970年代の高尚なポスト・ミニマリズムや抽象表現主義からの脱却を目指し、あらゆる素材を用いた表現やアートへの近づきやすさ、コミュニティ性を支持するもの。
キキ・スミスの作品に見られる、あらゆる素材を作品コンセプトに依拠するミクストメディアの手法はこのアーティスト集団「コラボ」の影響であるといえ、またこの頃より、キキ・スミスは彫刻作品の対になる表現として版画制作を開始します。
キキ・スミスの初個展「Kiki Smith: Life Wants to Live」は1982年のニューヨークの「The Kitchen」というアートスペースで行われ、続いて1989のダラス美術館で開催された個展「Concentrations 20: Kiki Smith」、1990年にジュネーブからアムステルダムにかけた巡回展など、1982年を皮切りに現在にかけて25を超える個展を世界中で開催しました。
そうして活動が本格化した1989年、そして90年に父のトニー・スミスと双子の一方であるベアトリスを立て続けに亡くしたことから、キキ・スミスの「命を宿す容器である身体」についての考察が始まったといわれています。
以降キキ・スミスの主要な展覧会としては、1998年にワシントンDCのハーシュホーン博物館と彫刻の庭で開催された「Kiki Smith: Night」、また2003年にMoMAで開催された「Kiki Smith: Prints, Book and Tings」などが知られています。また、ヴェネツィア・ビエンナーレで連年参加作家として出展をするなど、キキ・スミスは世界的な現代アートの中心的な女性作家であることがわかります。
2005年にはアメリカ芸術アカデミーのメンバーに選出、2006年にTIME誌「世界で最も影響力のある100人」に選ばれ、その他数多くの芸術賞を受賞。アートシーンの重要な人物として、アメリカ各地の美術館や美術大学で講義を行うなど、次世代のアーティストへの多大な影響力も知られています。
キキ・スミスのアート
キキ・スミスの作品の多くは、人間の身体のパーツに加えて、18世紀の解剖学書やヨーロッパの神話や遺物、ビザンチン美術や祭壇画など、古い視覚文化に触発され、物語とシンボリックな図像の表現が繰り返し現れているのが特徴的。
なかでもファンを集めるのが、ブロンズをはじめとしたキキ・スミスの彫刻と、銅版画やモノタイプなどを用いたロマンチックな版画作品。キキ・スミスの作品の中でも、今回はこれらのふたつのジャンルのなかから紹介しつつ、よりキキ・スミスというアーティストについて紐解いていきます。
彫刻作品
キキ・スミスの彫刻作品はブロンズ彫刻を中心とし、女性あるいは少女の身体をモチーフとしていることがほとんど。
フェミニストとしても知られるキキ・スミスは、作品の内容にフェミニズム的説教を取り入れることはありませんが、自身が女性であることを自然に受け入れ、造形する作品も女性としての一人称視点を含みながら制作しています。
《Rest Upon》
《Rest Upon》は2009年に制作されたブロンズ像の作品。
横たわり眠っている女性の体の上に実物大の羊が休んでおり、人間と自然界との関係を表しているといいます。この作品は2019年にニューヨークのロックフェラーセンターで開催された「Frieze Sculpture New York」というパブリックアートの展覧会に展示されました。
キキ・スミスはカトリックの家庭において、キリスト教絵画に見られる図像が意味を持つ「イコノグラフィー」の考えの元に育ち、そのためキキ・スミスの作品には時折宗教的な図像、また18世紀までの歴史的な宗教形式を用いる事があります。
キキ・スミスは宗教性を捉えどころのない美しさとし、また美しさについて流動的で曖昧な概念であると考えながら、「できる限り美しくする」と心がけながらも「美」の概念に懐疑的な姿勢を持つ、現代美術家としての哲学を元に作品を制作しています。
《Rapture》
「Rapture/ ラプチャー」とは、キリスト教の終末論にまつわる語、また医学用語で「破裂」を意味する語でもあります。狼の身体の中から女性がこちらに向かって歩んでくるようなこの彫刻作品は、「赤ずきん」の物語、またフェミニズムの精神に関連しているといわれています。
キキ・スミスが使用するオオカミのモチーフは全て雌オオカミであり、直感に従って本能的に行動する女性を表すもの。女性を野生を象徴するイメージで描写することで、人間に潜む最も根源的な動物的な性質、また文化や物語、伝統のなかの家長制度の転覆を図っているとも読み取れます。
キキ・スミスの作品は一見優しげで儚く、優美ですが、時折残忍な物語性を打ち出してきます。
版画作品
キキ・スミスの作品の中でも版画の作品は彼女の作品の中でも代表的な位置を占めます。
2003年の「Kiki Smith: Prints, Book and Tings」では版画家としての地位を確固たるものとし、2018年には東京・ギャラリーキドプレスで開催された個展「Kiki Smith / キキ・スミス『Implosion -身体、そして星- 』」にて新作版画が展示されました。
《Catchers》
《Catchers I-XV/とらえるもの1-4》の4点からなる銅版画のシリーズは、エングレービングに加え「フォトグラビュール」という技法を用いて写真を銅版の上に焼き付けて印刷されたもの。
キキ・スミスによる手描きのドローイングを光にを用いて印画する手法により、ドローイングの繊細で柔らかな線描と淡いトーンをそのままに、エングレービングのえぐれたような星をかたどる線が組み合わさっています。
《Catchers》のシリーズに描かれる、寄り添い手繰るような両手にまとわりつく星の図形は星座のようでもあり、また有刺鉄線のようにも見え、美しさだけではなくどこか痛ましい印象もある、魅力的な現代版画です。
《Puppetry》
引用元:http://www.kidopress.com/img/img_works/kiki_smith/gift.gif
キドプレスで出版された5枚1組の版画集《Puppetry /あやつり人形》は、白黒の《Catchers》のシリーズとは対照的にフォトポリマー・プレートという版画技法で印画されたカラーの作品。
フォトポリマー凹版とは紫外線で感光し凹凸のできる樹脂を用いた版画であり、キキ・スミスはその制作過程で生まれる「ノイズ」(不完全・不明瞭な部位)の偶然性を生かしています。光とネガで作られる版画は「Automation(機械仕掛け)」の要素があり、シュルレアリスムの様相を醸し出すことから、版画集は「あやつり人形」の名を冠しました。
《Kiki Smith 1993》
引用元:https://www.cinra.net/uploads/img/news/2018/20180502-kikismith03_full.jpg
版画《Kiki Smith 1993》はキキ・スミス自身の消化管をモチーフにした185×93cmの大きさにおよぶ大作。
人間の皮膚にも似た質感の手漉き和紙に印画されたこの版画は、キキ・スミスのセルフポートレート的な作品でもあり、身体性を探求するキキ・スミスの代表的な版画作品です。
キキ・スミスは、アートが行うことのひとつは「隠されたものをあらわにすること」と語っています。キキ・スミスはたびたび血液や体液のイメージなど、人間の肉体に直接関わりのあるモチーフを用い、「内臓」という身体の秘めた部位を明らかにすることがキキ・スミスの作品の傾向のひとつとして見られます。
90年代までキキ・スミスは解剖学書の「Gray’s Anatomy」を手に医学の学習に魅了され、人間の身体について深い調査をしていました。この《Kiki Smith 1993》は、その解剖学的学習の一端としての作品でもあります。
この《Kiki Smith 1993》は《Catchers I-XV》や《Puppetry》とともに2018年にキドプレスで展示されました。
画集など関連書籍
キキ・スミスの作品はその繊細さ、優美さだけではない残酷性、また手芸、ブロンズ像などの伝統的な手法に民芸的なアプローチも加わり、制作のテーマも一辺倒ではなく、常に前進するアーティストとして世界的に人気を博し、注目されています。
キキ・スミスのファンは画集や作品集を是非とも手に入れたいところ。それら関連書籍についていくつか紹介しましょう。
『Kiki Smith』
『Kiki Smith』と作家の名前そのものを冠したこちらは、2019年11月にフランスから出版された最新の作品集。
1990年から現代に至るまでのおよそ100点の作品を集めた、キキ・スミスの集大成ともいえるハードカバーの一冊になっています。
『Kiki Smith: Her Memory』
引用元:https://www.amazon.co.jp/dp/849347309X/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_nI52DbKVTSGQS
ジョアン・ミロ財団が主催した、ドイツで行われた展覧会「Kiki Smith: Her Memory」の画集。キキ・スミスの身体にまつわる作品を中心にインタビュー記事も掲載された一冊。
銅版画の作品が表紙のハードカバーです。
『Kiki Smith Postcard Book』
https://www.amazon.co.jp/dp/1584180277/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_0P52Db8DCSAWF
こちらはキキ・スミスの作品を集めたポストカード集で、テキストはありませんが室内でキキ・スミスの彫刻作品やドローイングを鑑賞するにはぴったりのもの。写真のクオリティが高く、キキ・スミスのアートファンなら一冊は手に入れたいアイテムとなっています。
まとめ
身体、そして女性性にフォーカスしたキキ・スミスのアートは、人として肉体を伴って生きる私たちの物理的な側面について考えさせられます。
また、キキ・スミスが台頭するまでのアートシーンでは身体、または性について露骨な表現が忌避されていましたが、その「隠されるべき」であった身体、生命の表現を中心として表現するキキ・スミスは、現代アートの開拓者でもあるのです。
現代の日本のアートシーンではどこかで「美的」である表現が避けられ、90年代から流行した「キッチュ」な表現や、壊れやすい一時的な作品に偏りがちですが、キキ・スミスの確固とした作品の物理性や、露骨なコンテクストでも「美しくする」という姿勢は見習われるべきかもしれません。
キキ・スミスの作品はどこか少女の宝箱のような、純粋さと残酷さ、脆さを併せ持ち、目を離せない魅力を備えています。今後日本でも展覧会が行われる時には、情報を見逃すべきではないでしょう。