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もの派などに影響を与えたアメリカ発の現代・モダンアート

コラム
日本の美術にも影響を与えたミニマルアートとその特徴
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1960年代からアメリカのアートシーンに台頭した芸術スタイルであるミニマリズム。

なかでも彫刻や絵画のミニマルアートの分野において、無駄のない、限りなくシンプルな形状のインスタレーションは、初めて見る人に戸惑いを与えるでしょう。ミニマルアートとは、どんな意味があり、どんな価値のある芸術なのでしょうか?

その歴史や中心的な作家たちをはじめ、現代アートの根源ともいえるコンセプチュアル・アートと日本独自の芸術様式であるもの派へ影響を与えたミニマルアートの芸術精神について探ってみましょう。

ミニマルアートとは

ミニマルアート(Minimal Art)とは、直訳して日本語に直すと「最小限のアート」となります。1960年代から70年代のアメリカを中心として起こった芸術様式であり、絵画や彫刻などの美術の他にも、限られたパターンの繰り返しから全体の音楽を構成するミニマル・ミュージックも関連しています。

ミニマルアートに重要な要素といえば、彫刻や絵画の中の形状を最小限まで削ぎ落とすこと、そしてそれを反復、あるいは連続させることです。また、ミニマルアートは展示をする場との関係が非常にセンシティブ。どこにでも展示できる「置物」的な作品とは異なり、ギャラリーや美術館などの展示空間との関係性が重視されます。

第二次世界大戦が終結した20年後の頃に起こったミニマルアートはまた、それまでの抽象表現主義のポストでもあり、また抽象表現を継承しつつ、その「抽象」を限界までつきつめたものともいえます。そしてミニマルアートの起こりに最も影響を与えたのは、モダニズムの父ともいわれる彫刻家・コンスタンティン・ブランクーシの作品でした。

影響源であるブランクーシの《無限柱》

ブランクーシの《無限柱》
コンスタンティン・ブランクーシは20世紀の美術に革命的なアートをもたらした、ルーマニア出身の彫刻家です。マニエリスムを嫌い、孤独のうちに独創的な彫刻作品を生み出した天才的な人物であり、後世のミニマルアートに大きな影響を与えました。

その作品は木やブロンズ、大理石で作られ、ルーマニアの民間信仰のモチーフをもとに突き詰められたシンプルな形の美しい彫刻作品。また、ブランクーシは大戦時に発展した機械産業や飛行機のプロペラの無駄のない形に惹かれ、当時のフランスで主流だったクラシカルで保守的な彫刻から、独自に全く新しいアートを手がけたのです。

中でも、代表的な作品である《無限柱》のシリーズが、ミニマルアートにおける重要な影響源とされています。ルーマニアの神話をもとにした、天へまっすぐに伸びる柱のような作品ですが、ひし形のブロックを連続して積み上げたような構造をしており、まさにミニマルアートの「祖」といえるもの。この《無限柱》はミニマルアートを代表する作家であるカール・アンドレにインスピレーションを与え、美術史に新章をもたらしました。

幾何学的な形状を反復するという、単純ですが高い理解力と知性をもって紐解かれるミニマルアートを深く鑑賞するには事前知識が必要となりますが、より詳しい見地を得るには、まずはブランクーシの作品から追っていくことをおすすめします。

ミニマルアートで最も特徴的な要素

美術館やギャラリーなどでミニマルアートを鑑賞するときに注目したい、ミニマルアートにおいて重要な要素は大きく分けて3つ。「サイト・スペシフィック」、そして「同じ形の連続、反復」、また素材は何を使っているかという点です。

たまにミニマルアートは「ただ極端にシンプル」であるだけと勘違いされますが、美術史としてはより複雑なもの。おしゃれでカワイイ、インテリアだけではないミニマルアートについて、正しい知識を身につけましょう。

「サイト・スペシフィック」

ミニマルアートの特徴・サイトスペシフィック
サイトスペシフィック(Site-Specific)とは、直接日本語に直すと「場の固有性」といえたものであり、美術作品を展示するにあたって、特定の場所に展開し、その場所の特性や作品とその空間との関係性を作品のコンテクストの一部とすることです。

サイトスペシフィックを重要とする美術はミニマルアートのほか、環境アート(ランド・アート)や、ときにはパフォーマンスやインスタレーション、建築や屋外彫刻が該当します。

ミニマルアートでサイトスペシフィックを考慮するのは、絵画作品より彫刻作品の場合がほとんどです。ミニマルアートの彫刻それ自体に対し、作品を展開する場の広さや光の当たり方、天井の高さなど、空間のかたちと調和させることを重要視します。

同じ型を反復すること

ミニマルアートの外見上で最も特徴的なのは、キューブや円形、線などの同じ形、または同じパターンが連続して現れていること。

ドナルドジャッドの《スタック》のシリーズやフランクステラの絵画のように、ミニマルアートの表現において装飾的な動作を行うことは決してなく、抽象表現を極限にまで高めることで、アートの「純粋」さを追及することがひとつの目的といえます。

限られた造形で表現されたものがどのようなものなのか、その空間全体を感じながら鑑賞しましょう。

素材の特性について

ミニマルアートは、特に彫刻において、作品の素材を限定的に扱うこともしばしばです。

基本的に複数の素材を組み合わせることはなく、特にリチャード・セラは鉄や銅アルミなどの金属やアクリル樹脂などの工業製品に用いられる素材をもとにして制作しています。

ミニマルアートは、その表現から鑑賞者の「イメージ」を喚起するものではなく、その「物体」「物質」に注意を向けさせることによって、鑑賞者を取り巻く現実空間を知覚させるもの。そのため絵画作品はともかく、立体作品については写真で見ただけでは理解できないものかもしれません。美術館やギャラリーでミニマルアートを鑑賞できる機会があれば、是非その空間に身を投じてみましょう。

ミニマルアートの作家たち

ミニマルアートをアメリカだけではなく世界の美術史に残した作家をご紹介しましょう。

カール・アンドレ

カール・アンドレは1935年、マサチューセッツ州出身のアーティスト。ブランクーシに影響を受け、1950年代から木やアルミのブロックを用いたシンプルな形状の作品を発表しました。そして1965年よりロバート・モリス、ドナルド・ジャッドらミニマルアートのグループの一人として活動します。

カール・アンドレは同じくミニマルアートの作家であるフランク・ステラと共同アトリエをもち、互いに影響を与え合いました。また、カール・アンドレは詩作などの執筆活動にも積極的な作家であり、ミニマルアートをはじめとして自身の作品についての考えを発表し、のちのコンセプチュアル・アートにも影響を与えた作家でもあります。

1966年の作品《ブリックス(Equivalent VIII)》のシリーズはカール・アンドレのミニマル彫刻において最も有名なものであり、120個もの耐火レンガを2層に積み上げた作品です。この8つのシリーズは全て同じ数と質量の耐火レンガを用いながら、全て異なる形状に仕上げられています。《ブリックス》はロンドンのテート・ギャラリーが1972年に買収し、現在も企画展やコレクション展などで展示されます。

ドナルド・ジャッド

ドナルド・ジャッドは1928年ミズーリ州出身の、ミニマルアートのなかでも最も人気のある作家。その作品は全て《無題》であり、《スタック》とも呼ばれるシリーズは、壁面に長方形の形状を縦に等間隔に設置したもので、皮肉にも現代もセレブやアートコレクターの興味を誘っています。

ドナルド・ジャッドは1965年より自身の作品を絵画でも彫刻でもなく「スペシフィック・オブジェクト」であると発表しています。それまでに台頭していた抽象表現主義絵画の情念的で不明瞭な表現に、対極的なミニマルアートをもって対抗し、絵画の鑑賞時に起こりうる錯覚=イリュージョンを現実空間に実現しました。

感情を排斥し、工業的・都会的な素材を用いて合理的に表現されたドナルド・ジャッドのミニマルアートはひたすら冷たく、理性の先にあるもの。ジャクソン・ポロックのような抽象絵画と対照的に鑑賞をおすすめします。

フランク・ステラ

フランク・ステラは1936年、カール・アンドレと同じマサチューセッツ州の出身。ネオダダおよびポップアートの作家ジャスパー・ジョーンズの作品《旗》の縞模様に影響を受け、立体制作をするカール・アンドレと同じアトリエでミニマルアートの絵画制作を中心的に行いました。

最低限の表現を突き詰めたフランク・ステラの絵画のなかでも、黒のエナメル塗料で刷毛の幅のストライプを描いた《ブラック》シリーズは、絵画における「イメージ」を徹底的に排除し、必然的に「絵画」にあるべきものだけを表現しました。そして、そのストライプはジャスパー・ジョーンズの《旗》の絵画に由来しています。

またフランク・ステラはアルミニウムの塗料を用いたり、「シェイプト・キャンバス」という変形したキャンバスを使ったミニマルアートの先駆者でもあります。

ロバート・モリス

アメリカのアーティスト、ロバート・モリスの作品
ロバート・モリスはミズーリ州出身の美術作家であるとともに、ミニマルアートをはじめコンセプチュアル・アート、プロセス・アート、ランドアート(アースワーク)などの美術運動を推進し定義した美術評論家でもあります。

ロバート・モリスははじめ、自身のパフォーマンス作品の小道具としてミニマルアートのような立体を制作しました。

1965年の《無題》は明らかにドナルド・ジャッドやカール・アンドレら同様のミニマルアートのグループ内の作家たちに影響を受けたもの。しかしロバート・モリスは他の作家のように1つの美術運動だけにかかわらず、理論的に複数の運動を定義し、関わった作家です。

1973年から制作が始まったドローイングのシリーズ《ブラインド タイム》などをはじめとし、いくつもの実験的な手法で常に新しい表現を追及したロバート・モリスは、アメリカを現代美術史の中心地へと据えたキーパーソンなのです。

コンセプチュアルアートやもの派への影響

ミニマルアートは、カール・アンドレやロバート・モリスによりコンセプチュアルアートに影響を与えました。

コンセプチュアルアートはいわゆる「現代アート」の礎であり、1910年代のマルセル・デュシャンの活動から長年を経て1950年代に再評価され、アートシーンに台頭したものです。又の名を「アイデアアート」ともいい、アートを「美的」なものから「知的」なものへと価値観を変貌させました。

コンセプチュアルアートにおいては、作品そのものよりもコンセプト−アイデアが重視され、文章による支持のみの作品が最も純粋なコンセプチュアルアートです。ミニマルアートの後期に再発生した美術運動であり、純粋性をさらに突き詰め、絵画や彫刻などといった表現すらも排斥したアートの形といえます。

一方、ミニマルアートは日本の現代美術に独自の美術運動である「もの派」に大きな影響を与えたムーヴメントでもあります。もの派はイタリアのアルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)やミニマルアートの限定的な表現を受け継ぎ、1960年代後半から1970年代にかけて日本で発展しました。

もの派の表現は工業的な素材を用いるミニマルアートとは異なり、石や木など未加工の自然素材=「もの」を美術の舞台の中心に据え、その「もの」と「場」の関係や自然素材である「もの」そのものから感受性、あるいは芸術にまつわる言語を引き出そうと考えました。

もの派は自然信仰(神道)の土着的に根付いた日本ならではの現代芸術運動とも考えられますが、その「アート」としての立ち位置のゆらぎ、その後の「ポストもの派」による伝統的な美術の再定義などを経て、今もなおアカデミックなアートの場面において物議を醸しています。

ミニマルアートに影響を受けた日本人の作家としては、ミニマルアートの「輸入」から流れを汲み独自に変容させたもの派のアーティストよりも、純粋にミニマルアートに参入した桑山忠明が挙げられます。1958年に渡米して以降アメリカで活動を続ける作家であり、今日までミニマルアートのアプローチを継続しています。

まとめ

美術という「学問」は総合して、人間の世界の知覚や感覚、またイマジネーションを具現化させたものであり、ときには信仰の世界、ときには喜怒哀楽のエモーションの世界、そしてあらゆる「存在」そのものを追及してきました。そのなかでもミニマルアートとは、感情的な表現を徹底的に排除し、理性による表現と理解を究極に突き詰めた表現です。

アートとして「そこにあるべきもの」を限りなくゼロに近づけ高めていった結果あぶり出された物体、あるいは形状、と考えていいでしょう。一時期、断捨離やミニマルライフといった生活シーンが流行しましたが、そういった日常的なのんびりとした部分はミニマルアートとは切り離して考えることをおすすめします。

ミニマルアートは人間の感情の部分からは縁遠いため、ミニマルアートを鑑賞をするときは自分から「気持ち」を切り離し、ひたすら「いまこの場で目に見えるもの」に集中してみてください。

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