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戦後、日本の現代美術を推し進めた「もの派」という芸術運動をご存知でしょうか。
イタリアの芸術運動「アルテ・ポーヴェラ」とアメリカの「ミニマルアート」の影響を汲んだもの派の作品は、展示場所のサイト・スペシフィックの塾考、コンセプチュアルアートとしての側面など、読み解くのに時間を要する、難解なアートでもあります。
しかしもの派の作品はいま、アメリカのアートシーンで再評価される動きもあり、改めて注目するべきもの。日本の現代美術にも影響を与えるもの派について、そしてもの派の代表作家について紐解いていきましょう。
「もの派」とは一体どんなアート?
「もの派」とは、1960年代後半から70年代中期ごろまでを中心として活動のあった日本の美術運動です。李禹煥、関根伸夫をはじめとした10数名をもの派の主な作家とし、自然物や工業製品などを造形したり加工せずに用いた作品が特徴です。
もの派の起こりとして最も大きな契機といえば、1950年代を中心とした「反芸術」という、世界的なアートムーブメントでしょう。「反芸術」とは1910年代のダダイズムからはじまり、いま現在の一部の現代アートにも続いている大きな動きのこと。
1950年代にはアメリカのネオダダ、ジャンクアート、フランスのヌーヴォー・レアリスムなどを代表する非伝統的な美術運動が起こるなど、既存の芸術の価値観を批判し逸脱しようとする反芸術の動きは世界中で活発になっていました。
そうして1960年代、「貧しい芸術」を意味するイタリアの「アルテ・ポーヴェラ」、そしてアメリカの「ミニマリズム」などの動向と並走するように日本で発生したのが「もの派」の運動です。
ただ、もの派と同時期にあった「具体派」という組織的な運動とは違い、もの派は意識的に起こした運動ではなく、その作家たちの動向に対して揶揄を含んだ「もの派」というあだ名がついたようなもの。
もの派が行ったのは、極限まで作品を「作る」ということはせず、自然物と人工物をそのまま「置き換える」という行為で構成する手法ですが、作家によって方法論が異なるどころか、グループとして結成していたわけではないので、ある意味もの派とは日本の美術に起こった「現象」ともいうことができます。
今なお、もの派の動向については日本のアートシーンで物議を醸すことがあり、アメリカでも具体派と並んで再評価をされつつあります。日本の土着的な自然信仰の意識も含んだもの派の美術を、現代アートファンも一度見直してみるといいでしょう。
モノ派と具体派、戦後日本の現代美術
モノ派と並ぶ代表的な戦後日本美術の動向として、1950年代以降に「具体派」というグループが結成されたことも覚えておくべきでしょう。「具体派」とは抽象画家の吉原治良が1954年に創設した、「精神が自由であることを具体的に提示」することを目標とした具体美術協会に所属する、当時の若手作家たちによる、もの派と異なり組織化された運動です。
具体派の特徴は、絵の具を投げつけたり、キャンバスを地面に置いて足で描区など身体の運動を駆使した間接的な描画を行う抽象絵画、またパフォーマンスや煙、光などを用いた体験型インスタレーションなど、反芸術的な要素を持ちながら制作過程の「アクション」がみられるもの。
フランス人のキュレーターであるミシェル・タピエの批評により、具体派はもの派に先駆け、戦後日本の現代美術の動向として国際的に知られることとなりました。具体派はタピエの提唱した「アンフォルメル」という、世界的な通説となっていった非定型の美術の志向における日本の代表として高く評価されています。
このような具体派の動向と比較して、もの派の台頭は1960年代と当時の具体派より新しい志向であったこと、また組織化されたグループではなく「発生した」というにふさわしい存在であることが挙げられます。また、李禹煥が構築したもの派の理論と、多摩美術大学の斎藤義重の生徒であった彫刻家が中心的な存在となっていたため、もの派はまたそのアーティストの一部が「李+多摩美系」と呼ばれることも。
「作らない」という反芸術の姿勢においては具体美術協会は日本を代表する存在ですが、もの派はその中でも最も極端な傾向であり、そして李禹煥を中心とした非常に哲学的な美術です。もの派の作品を鑑賞するには、まずは作品そのもの以上に説明文であるキャプション、および書籍や論文を参考にする必要があるでしょう。
海外の評価
もの派はグループを形成しない日本の美術の傾向でしたが、現在でも李禹煥、菅木志男はもの派の延長線上といえる位置で研究、制作を続けており、もの派は長期にわたる課題として再考されるべきであるということができます。2005年の国立国際美術館における展覧会「もの派-再考」展や、森美術館で2015年に開催された「シンプルなかたち展」でも、もの派の作品は取り上げられました。
もの派は英語で「Mono-ha」あるいは「School of Things」と表記し、国際的な活動としてはまず1970年に開催された「人間と物質(第10回日本国際美術展)」にて、ミニマリズム、アルテ・ポーヴェラ、コンセプチュアル・アートとともにもの派の作品が並んだことで、その美術運動としての地位を固めたことからはじまります。
そしてパリのポンピドゥー・センターで1986年に行われた展示「前衛芸術の日本 1910-1970」で紹介されたことで、もの派という日本の前衛芸術は世界的に活躍の幅を広げました。
もの派の批評に関しては国際的に活動する美術評論家の峯岸敏明による功績が大きく、現在は具体派と並んで戦後の日本美術運動として海外からも高い評価を得た動向として知られています。
海外で知られる日本の美術は日本画などの伝統から派生した作品が中心的だと思われがちですが、またアニメや漫画などサブカル的なものだけでもなく、もの派のようなハイ・アートの存在があることも忘れずにいたいものです。
もの派を代表する作家たちとその作品
もの派を代表する作家は、その理論を発表することでもの派の基盤を固めた李禹煥、そして李禹煥の理論の基礎となった作品《位相-大地》を発表した関根伸夫、「多摩美系」で関根伸夫の後輩にあたる吉田克朗、本田眞吾、成田克彦、小清水漸、菅木志男、「芸大系」の榎倉康二、高山登、また「日藝系」の原口典之らが挙げられます。
この中でももの派の最も中心的な人物である関根伸夫と李禹煥をはじめ、多摩美系、芸大系、日藝系の作家から一人ずつ、作品とともに紹介します。
関根伸夫
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%A0%B9%E4%BC%B8%E5%A4%AB#/
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関根伸夫(せきね のぶお)は1942年埼玉県出身の彫刻家で「李+多摩美系」と呼ばれるもの派の作家たちの先輩にあたる現代美術家でもあります。
もの派の発端は、1968年の「第一回野外彫刻展」にて関根が出展した作品《相位-大地》が原点ということができます。これは地面を直径2.2m、深さ2.7mの円筒状に掘抜き、その付近に同じ大きさ・形状の円柱形の土の巨大な塊を設置した作品であり、関根が美術制作において理論の中枢においていた位相幾何学に基づいたもの。
位相幾何学とは数学および哲学の分野の学問であり、関根は固定した「かたち」ではなくそのものの構造、「相」を捉えることを重視しました。また、東洋哲学の影響も関連しているといいます。関根の思考実験でもあるこの作品は、美術ないし彫刻において「造形しないこと」をもたらし、日本の美術の世界に衝撃を与えました。
難解な数学、哲学が関わり、なおかつその土塊の巨大な質量が圧倒する《位相-大地》は、森羅万象と人間の関係性にメスを入れる、もの派のアイコン的な存在となりました。そして、関根伸夫の作品と李禹煥という作家が出会うことが、もの派という思想グループが誕生するきっかけになったといえます。
李禹煥
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李禹煥(り うーふぁん)は1936年に韓国に生まれ、東洋思想、西洋哲学を学び、日本を拠点として活動する美術家および著作家。李禹煥はもの派の理論的な基盤を築き上げた中心人物です。
李禹煥は関根伸夫の《位相-大地》を見て、物質−モノによる「あるがままの世界」の直接的な表現を肯定し、モノとモノ、モノと人との出会い、そしてそれらの関係性を表現することを重視しました。ある意味、関根伸夫の位相幾何学による思考実験とは異なり、知性よりも感覚的な知覚を優位に置く「反主知主義」的な概念を提唱したのです。それがもの派という現象の起こりといえます。
李禹煥の作品《関係項》は、地面に置いた鏡面のガラスの上に直方体の石材が乗っているもの。当然、重い石がガラスの上にあればガラスは割れますが、ガラスの割れ方は作者である李禹煥の意図に関係なく生じ、偶然性により発生するかたちです。しかし、このかたちは作者が「ガラスの上に石を置く」という行為なくては起こりえない現象。
このアーティストと石との緊張感のある関係によって起こるガラスが割れるという作用を作品として捉える、というのが李禹煥の意図です。アーティスト不在によって起こる自然現象に対し、アーティストの介入によって起こす意図的な「形成」を極限まで突き詰め、「モノと人」の相互的な作用の純化を試みたのです。
菅木志男
引用元:https://d2jv9003bew7ag.cloudfront.net/uploads/Left-Kishio-Suga-Situated-Underlying-Existence.-Image-via-artinasia.com-Right-Lee-Ufan-Relatum-Silence-2010.-Image-via-forbes.com_.jpg
菅木志男(すが きしお)は1944年静岡県出身の美術作家で、関根伸夫の後輩にあたる李+多摩美系のひとりです。
菅の作品に使用される素材は石や木などの自然素材をはじめとして、鉄板やガラス、電球やロープなどの工業製品からレディメイドに及びます。菅は未加工の自然の物質と工業的な物質、そしてそれらと空間との相互作用を「状況(景)」として作品化し、探求しました。
菅の作品は壁面に微妙なバランスで素材を設置したり、異なる素材を緊張感のある状況に組み立てることで、そこにある力関係や物質の精密さに見るものの注意を促します。
また、菅は現在も、もの派の延長線上において制作を続けている作家です。「ポストもの派」という、もの派を批判的な視点で捉えつつその後継に位置する美術作家とも異なる位置から独自の手法で作品を発表し、世界的に評価されています。
現在、東京都の小山登美夫ギャラリーでの発表を中心として活動をしています。
榎倉康二
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榎倉康二(えのくら こうじ)は1942年東京生まれの現代美術作家。東京藝術大学で油彩画を専攻し、その作品はもの派の「芸大系」と呼ばれる区切りに分類されます。
榎倉はもの派の作家の中でも、モノと人間との関係性を重視します。人の身体とモノとが空間のなかで関わりあう時のリアリティ、自らの身体と事物、そして空間との相互関係をテーマとし、インスタレーションや写真、版画などを中心として作品を発表しました。油を浸透させた紙を床一面に敷き詰めた作品《場》など、素材に油を沁みこませる手法が代表的です。
この《場》という作品は1970年の「第10回日本国際美術展」において、ミニマルアートを代表するリチャード・セラやアルテ・ポーヴェラを代表するヤニス・クネリスらとともに出展した作品。以後、1974年までパリを中心として活動をし、今なお国際的に関心を集めています。
現在、榎倉康二の作品は東京都のタカ・イシイギャラリーを中心に取り扱いがあります。
原口典之
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原口典之(はらぐち のりゆき)は1946年神奈川県出身、日本大学美術学部を卒業した現代美術作家で、もの派のグループの中でも「日芸系」といわれる人物にあたります。1970年の「人間と物質展」でリチャード・セラのアシスタントをしたことで、セラの影響を受けながらも、もの派の中心的な作家として特に西洋の美術界から高い評価を受けています。
1977年にドイツ・カッセルの「ドクメンタ6」に平坦で巨大な鉄のプールに廃油を満たした作品《オイルプール》を出品し、ヨーロッパのアートシーンに衝撃を与えました。水平を保つ漆黒の廃油のプールは退廃的な美しさをもち、鏡面に反射する風景は戦争を思い起こさせるような暴力的な印象を備えています。
他のもの派の作家と違い、原口典之は「作らないこと」を基礎としつつも素材の存在感をより引き立てるために積極的に場を作ったため、もの派というよりもミニマリズムの分野に近いかもしれません。
ミュンヘンやハンブルグでの大規模な個展、また2012年にはMoMA(ニューヨーク近代美術館)の「TOKYO 1955-1970:新しい前衛」展への出品など、海外での活動の目覚ましい作家です。
まとめ
いま、日本の現代美術は国際的なシーンにおいて、村上隆や奈良美智など、日本のサブカルチャーと関連深い作家が中心的となっています。
視覚的に親しみやすい作品の数々ですが、もの派のようなより知的な理解を必要とするアートは入りづらく、美術のアカデミーの場以外であまり知名度がないのが現状です。
しかし、国際的に評価を受ける具体派、そしてもの派の動向は、日本が誇れる芸術文化の軌跡として再度見直してみるべきではないでしょうか。
煩わしいSNSなど情報社会から離れて、自分ともの、リアルな世界との関わりをいまいちど思い出すためには、もの派の美術作品は非常に深い意味を持っています。ギャラリーや美術館でもの派の作品が展示されるときには、その佇まいとじっくり対峙してみましょう。