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芸術大学、美術大学は日本のアートシーンを支えるアーティストを排出する美術教育・研究機関ですが、そこへ入学するためには絵画やデザイン、彫刻など、希望する学科に応じて基礎的な技術や知識を身につける必要があります。
その受験のために美術の基礎力を身につけるのが「美術予備校」という場。しかし、世界のアートシーンが進歩するなか、日本の美術大学のシステムと美術予備校のシステムは何十年も同じ型にはまり、停滞している印象が否めません。
そこに、制度化した美術教育のアンチテーゼとしてパープルーム美術予備校というアーティストコミュニティーが現れました。予備校と名が付いているものの元来の美術予備校とは異なるこの共同体がどのような場であるのか、紹介していきます。
パープルーム美術予備校とは
パープルーム美術予備校は、美術家の梅津庸一が立ち上げた美術教育機関、および美術運動です。「予備校」という屋号ですが、実際のところ他の美術予備校と異なり、美術大学の受験を目的にする場ではありません。
パープルーム美術予備校は中心人物である梅津庸一および参加しているアーティストの共同の住居であり、予備校生は生活空間と制作スペースの入り混じった雑多な空間で絵画の授業を受けます。その全体として「アーティストコミュニティー」という形をとり、パープルームを中心とした美術運動として新しいアートシーンを作り出すことを目的として活動しているのが「パープルーム美術予備校」という私塾および共同体なのです。
安藤裕美、アランをはじめパープルーム美術予備校に所属する作家たちはSNSなどを通じて集まりました。年齢も出身もバラバラでも共通した目的意識を持ち、パープルームの美術運動のプレーヤーとして寝食を共にしながら美術活動を続けるという一見奇妙な共同体ですが、活動内容は非常にシリアスなもの。
ワタリウム美術館の展示「パープルーム大学と梅津庸一の構想画展」やカオスラウンジとの合同企画「アーティストのための作品講評会」など、パープルームの活動は国内のアーティストに向けた啓蒙的なものであり、凝り固まったアカデミーと美大外部のアウトサイダーを橋渡しするものとしても現代美術のアートシーンに影響しています。
梅津庸一
梅津庸一(うめつ よういち)は1982年山形県生まれの画家であり、パープルーム美術予備校をはじめとする共同体「パープルーム」の活動を主宰。黒田清輝をはじめとし日本の近代美術から現代美術に至るまでの動向と、渦中にある自身の立場を探求しながら、洋画の歴史と梅津自身の私小説的なリアリズムを通して絵画作品を制作してきました。
梅津は東京造形大学絵画科に在籍中から日本の美術教育に疑問を持ち、形骸化し新しい表現様式の生まれなくなった美術大学を批判します。そうして自身の作品制作のかたわらでパープルームという共同体を形成し、実践を踏まえつつ現代の美術予備校および美術大学、芸術大学のあり方について考察し、日本の美術の世界に疑問を投げかけています。
パープルーム美術予備校は、19世紀の画家・黒田清輝が解説した画塾「天心道場」、そして黒田清輝が提唱した「構想画」という概念がモデル。構想画とは西洋絵画の理念をベースに、単なるスケッチや写実、また恣意的な感覚に任せた描画ではなく、「こうあるべき」という理想型を備え確固たる思想を持って取り組むべきとする絵画のこと。しかし、構想画は日本の美術運動としては定着しませんでした。
梅津は黒田の構想画という理念のポストとしてパープルームを据え、日本のアートシーンと美術教育、アーティストコミュニティーのあり方について問い続けながら、梅津個人の作家活動だけでなく、パープルームの代表として日本全国で活動を行なっています。
アーティストコミュニティーって?
日本では近年、あまりアーティスト同士で共同体を組むことはなく、パープルームのようなやや特殊な形態だとしても、アーティストコミュニティーのかたちは珍しいものだといえます。
「アーティストコミュニティー」というのは、現代アートのなかではカオスラウンジのようなユニットとしての活動ではなく、制作における理念や作品のスタイル、活動範囲など、個別のアーティストとしての手法を統合することなく集った共同体のこと。
いわゆる「井戸端会議」をする場のようなもので、互いの作品を批評しあったり、アートの現状や制作方法、展覧会についての情報交換などを行い相互的に作家としてブラッシュアップしていくための集まりですが、日本のアーティストはいわゆる画壇やギャラリー、大学や専攻などの枠組みで固まりがちで、若いアーティスト同士で思想や作品ジャンルを飛び越えた集団的な交流は稀であるといえます。
日本は年々、世界的にもアートにおいて後進的な立場であり、「日本のアート」として代表的な傾向がなく停滞しています。この傾向の一因として、若いアーティスト同士の画壇や大学などの垣根を超えた繋がりの薄さが挙げられるでしょう。
そして日本のアートシーンの実態として、美大、芸大における専門的な美術教育、研究機関の形骸化がみられ、梅津庸一をはじめとしたパープルームなど現代アートに関わる作家が警鐘を鳴らしているという場面が起こっています。
日本の若手作家は全体として作品傾向、および美術史における立ち位置のばらつきが目立ち、ある意味ではダイバーシティのアート傾向であるということもできるでしょう。しかし、パープルームのような共同体において美術教育を学校外でも実践することがあれば、美術作家たちの意識も変わっていくのかもしれません。
パープルームギャラリー
「パープルーム」とは、美術予備校を基本的な活動として、「パープルームギャラリー」の運営や機関紙「パープルームペーパー」の発行など、幅広く現代美術に働きかけるもの。
パープルームギャラリーは2018年からホワイトキューブの展示スペースとなりましたが、それまではダンボール製の移動式のギャラリーという草の根的活動でした。ギャラリーは梅津が「パープルタウン」と呼ぶ神奈川県相模原市に位置し、商業的な方向性に依らない、美術批評を重視した展示を行ないます。
パープルームギャラリーは郊外に位置する小さなスペースながら、展覧会の内容は非常にアカデミックな批評に裏付けられた知性のものであり、作家の世代や社会派アートのような時代の潮流に流されず、現代のアートシーンに向けて一石を投ずることを目的とします。
パープルームギャラリーはパープルームという共同体において、鑑賞者よりも表現者に対して働きかける活動をより重視し、これらの活動を通し、パープルームは日本のアートコミュニティーの発足に積極的に関わり、現代美術のシーンをより拡大するよう試みてるようです。
美術大学と予備校、日本のアートシーン
梅津庸一が危惧するように、日本のアートシーンの基盤を作っている美術、芸術大学、そして受験のための美術予備校という二人三脚のシステムはもはや形骸化しており、国際基準で芸術文化が遅れをとっている状況です。
国際的に活躍している日本を代表するアーティストは海外の評価を経て逆輸入の形でその地位を得たケースがほとんどであり、逆に日本国内で支援し育ったアーティストが海外で売れるという場合は稀。なぜこのように日本はアート後進国という立場になってしまったのでしょうか。
ひとつは、美術のマーケットの不活性があげられるでしょう。欧米では美術作品が非課税対象になるなど、国として文化を推し進める経済政策を行うことがあり、アメリカが世界的なアートの中心地となっているのも政府の政策としてアート文化を援助していた理由があります。
しかし、日本では高校生までの美術教育も不要なものとして扱われる傾向があり、国全体として文化的情緒が育ちにくい一面も。また美術作品を購入するという習慣が一般に根付いていないため、特に若手を中心としたアートマーケットは不況の煽りも受けて低迷する一方となっています。
またもうひとつ、アートアカデミーの停滞も日本のアートシーンを後進させている一因でしょう。日本には美大、芸大受験のための予備校があり、受験者のほとんどがそこで技術的な基礎を身につけます。しかし、数十年に渡り受験のシステムがほぼ固定されてきた結果、「受験のためのデッサン」「受験絵画」といったような、創造やオリジナリティ、また作者個人の思想やコンテクストを含まない特異なジャンルが生まれます。
そして美大、芸大入学後も予備校の傾向を引きずる美術の学生は多く、具象的な絵画や彫刻の基礎学習を勧める美術予備校に対し、その外部の非具象的な現代アートの世界とは隔たりがあるのです。
よって、入学の時点で日本の美大、芸大生はコンテンポラリーの国際基準のアーティストとして、知識および思想的なハンデがあるということになります。パープルーム美術予備校はこうして日本のアートシーンを後退させる原因のひとつである美大・芸大受験というシステムを危惧し、この普遍的な日本の美術予備校の問題をパープルームは共同体が展開する美術運動の核とし、アートと教育を後押ししています。
パープルームの展覧会
これまでパープルームが行ってきた展覧会は、実験的な展示も含みながら、テーマごとに構成されます。
これら梅津庸一のキュレーションで行われる展覧会は文字資料にも富み、ただ作品を展示するだけではなく「学び」があります。パープルーム美術予備校の目的ならではの教養的な美術展示であり、またアートの界隈の内外問わず鑑賞できるため、アカデミックな内容を含みつつも美大、芸大生、一般の方問わず入る余地のあるもの。
近年のパープルームの展覧会を紐解き、どのような意図でどのような作品が展示されたのか、その傾向を見てみましょう。
パープルーム大学付属ミュージアムのヘルスケア
2018年9月15日から29日にかけて、茨城県常陸太田市郷土資料梅津会館にて、展覧会「パープルーム大学付属ミュージアムのへルスケア」が開催されました。
この展覧会は郷土資料館の資料展示室の中で行われ、梅津をはじめとしてパープルーム美術予備校生の安藤裕美、アラン、吉田十七歳、シエニーチュアン、わきもとさき、また現代美術とその近隣の領域の作家たちの作品が展示されました。
資料館一階は、ガラスケースの中に収まる文化財はそのままに現代美術作品が共に混在し、あえて美術館やギャラリーの展示のように美術鑑賞に集中できない「ノイズ」のあふれた構成。梅津は美術手帖に掲載されたこの展示に関する記事の中で「不完全かつプリミティブなミュージアムの姿」であると語ります。
美術ではないものに囲まれた「美術作品」を鑑賞するには見る人の集中力が要り、またこのような環境において、展示作品も時には作品に見えないものも出てくるでしょう。
パープルタウンでパープリスム
2018年11月17日から12月1日まで、パープルームギャラリーをはじめパープルームの関連施設6ヶ所で行われた展示「パープルタウンでパープリスム」は、パープルームギャラリーがホワイトキューブのギャラリーとして再稼働した記念的な展覧会となります。
それまでの「段ボール製の移動ギャラリー」という形式は、2016年の野外展覧会の最中に撤去され消滅するという結末を辿りました。あらためて、パープルームは確固とした独自の展示空間を持つことにより、梅津が「パープルタウン」と呼ぶ相模原の地域と一層連携した活動となったといえます。
梅津とパープルーム予備校生、14人のゲスト作家を迎えてのこの展示は、「美術とは一体何か」という課題について、美術教育や美術史、そして地域や生活環境をまたいで問いかけました。
恋せよ乙女!パープルーム大学と梅津庸一の構想画
展覧会「恋せよ乙女!パープルーム大学と梅津庸一の構想画」は2017年6月1日から18日にかけてワタリウム美術館で行われました。
この展覧会は、梅津庸一の個展としての「視神経と鏡」、そしてパープルームの3つの展覧会「恋と蒙古斑と4室の装飾画」「パープルームとは構想画である」「パープルームの蟻塚」で構成され、梅津のほか安藤裕美、アラン、智輝らパープルーム予備校生と、18名のゲスト作家により展開されました。
ワタリウム美術館にパープルームのアートスペースおよび生活空間をそのまま持ってきたという展示内容であり、一角では「ゲルゲル祭」というパープルームの芸術祭も開催。美術館内のいたるところに作品が散財し、またパープルームのアーティスト/住人が生活するという異様な空間であり、綱渡りをするようにして生きる現代日本の若手アーティストの暮らしを、リアリティ全開で見つめることができる場となりました。
まとめ
パープルームはアーティストの集団として一般世間に作品を公開するよりも、美術業界に疑問を投げかけ、対決するという形をとる共同体です。日本の進路を見失ったアートシーンに、これから先パープルームがどのように影響していくのか、注目し続けるべきでしょう。
また日本の閉鎖的な美術の環境を刷新していくには海外のアートシーンとの交差が必要不可欠であると思われ、日本の土壌だけではなく海外に向けての活動も期待されるところです。