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【2019年最新】現代絵画の有名日本人画家13人
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日本は明治に開国されると西洋文化の影響を急激に受けましたが、大正時代に入ると個人主義が芽生えていきました。日本の絵画の世界においても、個性の強い作品が数多く生み出されるようになり、この流れは現在にも届いています。

当記事では、大正時代から現代に至るまでの時期に活躍した、または、現在でも活躍を続けている現代絵画の有名日本人画家の中から、日本国内だけでなく海外とも接点のある画家13人をセレクトしご紹介します。

藤田嗣治

海外との接点を持った日本人画家ということで考える場合、大正時代にパリに一人で渡り、フランスの画壇に登場し、その地位を不動にした日本人画家がいたということは驚きに値します。それを成し遂げたのが藤田嗣治(ふじたつぐはる)でした。

フランスでの生活の長かったため、フランス名「レオナール・フジタ」の名前でも知られています。ピカソやモディリアーニなどとも交流があり、その影響を受けながらも独自の世界を作り上げていきました。特に、日本の伝統的な技法「面相筆(めんそうふで)」と彼自身の創作による「乳白色」を用いた手法は有名です。作品は「五人の裸婦」「争闘(猫)」、また自画像など多数。

片岡球子

片岡球子(かたおかたまこ)は1905年に北海道札幌市で生まれました。絵画というものがまだ社会的に高い地位を持たなかった時代、しかも女性というハンディキャップがありながらも、画家になるという強い意思を持ち画壇に登場。

歌舞伎、能、雅楽など日本の伝統芸術をテーマとした作品が多く、現代日本絵画の新しい面を切り拓いたことで有名になり、後年は、富士山をテーマにした絵画に取り組みました。45回院展出で、「渇仰」により芸術選奨文部大臣賞を受賞し、第46回院展では出品した「幻想」が文部大臣賞を受賞。その後も数々の受賞に輝き、またパリでも何度か個展を開いています。

東山魁夷

緑の森を背景に湖畔の道を一頭の白い馬が走る様を描いた絵画「緑響く」。だれでも一度は目にしたことのある作品ではないでしょうか。これは戦後を代表する日本画家として有名な東山魁夷(ひがしやまかいい)の代表作です。

東山魁夷は、1908年横浜で生まれ、東京美術学校研究科卒業後ドイツに渡りベルリンに滞在。翌年父親の危篤の知らせにより帰国するまでベルリン大学哲学科美術史部で勉学に励みました。帰国後、風景画である「残照」を第2回日展に出品したことを契機に、風景画を専門とするようになり、ヨーロッパに写生旅行にも出かけています。また、「光昏」により第12回日本芸術院賞を受賞するなど受賞数も多く、1970年以降は国内だけでなくドイツでも大規模な展覧会を開催しています。

岡本太郎

岡本太郎(おかもとたろう)は対象から昭和にかけて活躍した画家。1970年の大阪万国博覧会のシンボル「太陽の塔」は知らない人がいないほど有名。その斬新的なデザインは、当時多くの人を驚かせました。

作風の背景には10年ほど過ごしたパリでの生活が大きく影響しています。高校卒業後入学した東京美術学校を途中でやめ、パリに渡航。そこでピカソの絵画の影響を強く受け、またその他の多くの画家と友好を深め、抽象画を描き始めます。戦争勃発に伴い帰国し、復員後は壁画など建築物とかかわりのある絵画を多数創作しています。東京都庁舎の登板レリーフ壁画「日の壁」「月の壁」はその代表的な作品です。

藤城清治

かわいらしい妖精や夢あるれる世界を表現した絵画で有名な藤城清治(ふじしろせいじ)。1924年東京生まれ。子供の頃から水彩画、油絵、エッチングなどを学びました。ピカソやマチスなどの影響を受け、モダニズムの道を歩むことになります。終戦を迎えると、影絵に関心を持つようになり、1948年から「暮らしの手帳」に影絵を連載。

影絵で表現した最初の絵本「ぶどう酒びんのふしぎな旅」を暮しの手帖社から出版。これが有名になり、ソニーがプロモーションフィルムとして制作しました。以降も影絵を載せた絵本の制作に力を入れ、日本国内だけでなく、中近東、アメリカ、ヨーロッパなど海外でも数多くの個展を開き文化交流にも尽力しました。

加山又造

加山又造(かやままたぞう)は1927年に京都の西陣織の図案家の家に生まれました。東京美術学校で日本画を学んだ後、山本丘人に師事します。1950年ころから創造的な絵画に関心を持つようになり、関連の研究会に参加。同年開かれた創造美術展に出品した「自画像」「動物園」が初入選を果たします。

また、ヨーロッパの造形手法を積極的に取り入れるなど革新的な手法を習得。第2回グッゲンハイム賞国際美術展に出品した「飛翔」により、川端実や山口長男らとともに団体賞を獲得しました。加山又造の作品は金銀泥、切金など日本画の伝統的な技法を駆使しながらも、きらびやかな世界を描いたものが多く、表現は圧巻。全く新しい表現を通して日本画の良さを再現した画家として有名です。後年は水墨表現も展開。代表作は「春秋波濤」「黒い薔薇の裸婦」「千羽鶴」など。

草間彌生

黒と黄色の幾何学模様がかぼちゃのイメージをみごとに表現している「南瓜」。これは、幼い頃に悩まされた幻覚を克服するために絵画を始めたと言われている草間彌生(くさまやよい)の代表作です。草間彌生は1929年長野県松本市で生まれました。松本市や東京で何度か個展を開くうちに、その独特の画法が話題に。

ニューヨークで開かれた「第18回国際水彩画ビエンナーレ」のことを知ったことで1957年渡米。後年日本に戻るまでニューヨークを基盤として創作活動を続けました。絵画の他にも個性あふれるオブジェの制作や小説の執筆、また映画の制作など幅広い分野で活躍し「前衛の女王」として有名になりました。

絹谷幸二

絹谷 幸二(きぬたに こうじ)は長野冬季オリンピック公式ポスターの原画を制作したことで有名な画家です。1943年奈良市で生まれ、現在も活躍中。東京芸術大卒業後イタリアのベネチアに留学し、アフレスコ古典画法を学びました。

1974年、日本における画家の登竜門である「安井賞」を受賞し、当時最少年でこの賞を獲得したことから有名になりました。その後メキシコにも留学しエネルギー溢れる独自の画風を確立。現在では、抽象表現主義とシュルレアリスムを合わせた構成方法を用いており、そうした絵画にさらに漫画に使う吹き出しを入れるなど、斬新的な技法が注目されています。代表作は「アンセルモ氏の肖像」「アンジェラと蒼い空II」など。大阪市北区に「絹谷幸二 天空美術館」があります。

千住博

日本画の雰囲気の漂う風景画で有名な千住博(せんじゅひろし)は1958年東京で生まれました。小学4年の時には父親の仕事の関係でアメリカに渡り家族で6か月滞在。幼少の頃は家の壁や襖に絵を描くほど絵画が好きだったと言われていますが、画家になる気はなかったとのこと。ところが、高校の時に見たデザイン雑誌に衝撃を受け画家の道に。

1978年には東京藝術大学に入学し日本画を専攻。修士課程の修了作品「回帰の街」が首席で通り大学により買い上げとなったことから画家になる決意を固めます。そのような過程を経て誕生したのが1995年のヴェネツィア・ビエンナーレで名誉賞を受賞した「The Fall」。縦3.4m、横14mの大作ですが、滝を描いたのではなく「落ちる」ことを絵にした作品だと解説されています。現在ニューヨークを起点に活躍中。日米特別功労賞の受賞者でもあります。

奈良美智

奈良美智(ならよしとも)はドイツやアメリカと強い接点を持った現代絵画の画家です。1959年、青森県弘前市に生まれました。愛知県立芸術大学卒業後、ドイツの国立デュッセルドルフ芸術アカデミーに留学。アカデミー卒業後に住んでいたケルンでは活発な創作活動を続けました。

奈良美智の代表的なスタイルにもなっている挑戦的な眼差しをした子供の絵は、この時期に創作されたものです。またこの時期はヨーロッパや日本で幾度か個展を開いており、その独自性の高い画風が注目を浴びるようになり有名になりました。2000年に帰国後は、ニューヨークでの個展が多く、2010年には米文化に貢献した外国人に与えられる「ニューヨーク国際センター賞」を受賞。作品のいくつかは、東京都現代美術館を初め、ニューヨーク近代美術館にも所蔵されています。

村上隆

村上隆(むらかみたかし)は、現代美術家またはポップアーティストとして有名な画家です。1962年の東京都生まれ。東京芸術大学では日本画を学びましたが、最終的には現代美術家としてデビュー。1994年にニューヨークに渡り、客員講師を務めながら個展も開催し注目されるようになりました。

受賞歴としては第56回芸術選奨文部科学大臣新人賞やニューヨーク/AICAの「ベスト展覧会賞」受賞。また2008年にはタイム社の「世界で最も影響力のある100人」の1人にも選ばれています。現在は、アートの総合商社「カイカイキキ」の取締役社長を務めています。作風はアニメポップ的ですが、浮世絵や琳派の影響を受けている部分も見られます。作品は「五百羅漢図」「ぽぽろけの谷」「かわいい夏休み」など多数。

会田誠

会田誠(あいだまこと)は、1965年新潟県で生まれました。東京藝術大学大学院卒。新ジャポニズムを代表する画家で、戦争や美少女などをテーマにした奇想天外でセンセーショナルな発想がしばしば物議を醸すことも。それにもかかわらず幅広いファンを持ち、海外でもその名を知られている有名な画家でもあります。

1996年に発表した「紐育空爆之図(にゅうようくくうばくのず)」は、自身が住んでいた借家の襖をキャンバスにして屏風に仕立てたものですが、その壮大な絵は「日本美術の伝統様式を引用、再解釈した」ものとして高く評価されています。

鈴木ヒラク

 
モノクロで表現された鈴木ヒラクの作品。「描く」と「書く」の狭間の世界を表現した絵画で有名です。1978年宮城県生まれ。武蔵野美術大学で映像学を学んだ後、東京藝術大学大学院で美術研究科を卒業。その後、日本以外でもシドニー、ロンドン、サンパウロなど世界各地に滞在し創作活動を展開しました。

2010年には自身の作品集「GENGA」を発表。また、2016年からは「第8回恵比寿映像祭『動いている庭』」「ヒツクリコ ガツクリコ ことばの生まれる場所」「21世紀の美術 タグチ・アートコレクション展」に出展しています。作品は「道路(接触)」「鍵穴」「Constellation」など多数。

まとめ

「現代絵画の有名日本人画家13人」と題し、大正時代から現代に至るまでの間に、日本国内だけでなく、海外とも接点のあった有名日本人画家13人を選びご紹介しました。明治時代に急激に入ってきた西洋文化の影響を多大に受けながらも、伝統的な日本の様式を取り入れていることがしばしば共通点として見受けられます。こうした画家達がそれぞれの作品をどのような思いで制作したのか、その背景を感じ取っていただければ幸いです。

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