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プリマヴェーラ(春)やヴィーナスの誕生で有名な画家の絵画作品を紹介

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初期ルネサンスの巨匠サンドロ・ボッティチェッリ、代表作品を中心に解説
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初期ルネサンス期に活躍した芸術家の中でも、ミケランジェロなど後世の画家に最も大きな影響を与えた芸術家と称賛されるサンドロ・ボッティチェッリ。聖書の場面を描いた宗教画から始まり、新プラトン主義の影響を強く受けた代表作などを残しています。そんな初期ルネサンスの天才画家サンドロ・ボッティチェッリの生涯とその作品について解説します。

サンドロ・ボッティチェッリの生い立ち

サンドロ・ボッティチェッリの肖像画
サンドロ・ボッティチェッリ(またはサンドロ・ボッティチェリ)は1445年にフィレンツェで生まれ、一時期ローマやピサに住んだこともありますが、一生の大半を出身地のフィレンツェで過ごしました。家族は、両親と兄弟が3人。4人兄弟の末っ子として生まれました。本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ 。画家として使われているボッティチェッリは、「太っている」とか「樽のような」という意味ですが、これはサンドロ・ボッティチェッリの兄がそのような体形をしていたために付けられたあだ名だと言われています。兄がそうだからといって、その特徴をあだ名として付けられるのは迷惑な話ですね。父は皮なめし職人で兄のアントニオは金細工職人でした。サンドロ・ボッティチェッリにとって、こうした工芸家の家庭に生まれたことが芸術に目を向ける要素になったのではないかと思います。

「聖母子」など宗教画を描いた修業時代

聖母子
サンドロ・ボッティチェッリは1464~1467年にかけて、フィリッポ・リッピに師事し本格的な絵の修業時代を過ごしました。その頃に描いた「聖母子」を見ると、フィリッポ・リッピの画風をそのまままねしていることが良く分かります。この作品はフィレンツェのウフィッツィ美術館に展示されています。この作品に限らず、下積み時代であったこの時期の作品はそのほとんどが聖母子や天使を描いたものになっています。1468年にはスポレートに移住し翌年の1469年まで滞在。ここではアンドレア・デル・ヴェッロッキオの影響を強く受けました。この時期の代表作には「バラ園の聖母」(ウフィツィ美術館)、「セラフィムの聖母」(同じくウフィツィ美術館)、「聖母子と天使たち」(カボディモンテ美術館)などの作品があります。これらの絵画では、画面の縁ぎりぎりのところで遠近法が使われているのが特徴です。

独立して手掛けた「東方三博士の礼拝」

東方三博士の礼拝
こうした作品によって次第に名声を高めて行ったサンドロ・ボッティチェッリは1469年に独立することになります。サンドロ・ボッティチェッリ24歳の時です。この頃から独自の様式を展開していくことになり、フィレンツェでの名声がさらに高まることになります。

サンドロ・ボッティチェッリは1870年代に、聖書に出てくる「東方三博士の礼拝」の場面を描いた作品を7つ制作しています。この7つの作品の中で最も有名なのが1475~1476年にサンタ・マリア・ノベラの礼拝堂のために制作した作品。この絵の中にはメディチ家の人物が何人か描かれていますが、さらに注目したいのが右端の最前列にいる人物。これはサンドロ・ボッティチェッリ自身を描いたもので、唯一彼の自画像にもなっているものです。

新プラトン主義の影響を受けたサンドロ・ボッティチェッリ

ナスタジオ・デリ・オネスティの物語
1480年代に入ると、サンドロ・ボッティチェッリの作品には新プラトン主義の影響が見られるようになってきます。新プラトン主義とは、古代ギリシャやローマ帝国で崇拝されていた多神教と、サンドロ・ボッティチェッリが生きていた時代に信仰されていた一神教であるキリスト教の両方を融合しようとした考え方です。つまり、多神教の方は「俗」である現実的な世界を反映し、キリスト教は「聖」を表現し精神的な世界を意味しました。ここから「美と愛」が中心的なテーマとして取り扱われ、絵画では装飾的な要素が強まりました。この新プラトン主義こそがサンドロ・ボッティチェッリの作品に最も大きな影響を与えたものであり、初期ルネサンスの特徴になっており、さらにその後に続く本格的なルネサンスに強い影響をあたえた要素になっています。サンドロ・ボッティチェッリのこの時期の作品として有名なのは、「プリマヴェーラ」と「ヴィーナスの誕生」があげられます。

「プリマヴェーラ(春)」

プリマヴェーラ(春)
サンドロ・ボッティチェッリが1482年に制作した「プリマヴェーラ」は「春」と訳されることもあります。木版にテンペラで描いたこの作品は初期ルネサンス絵画の傑作と高く評価されています。同時にこの作品の意図するものが何なのかを解釈するのは難しいとも言われてきました。ここでは最も一般的に理解されている内容について解説していきたいと思います。

テーマはローマ神話

プリマヴェーラ(春)の一部
まず大事なのがプリマヴェーラは、キリスト教ではなくローマ神話に基づいたものであるということです。そのためキリストも登場しませんし聖母マリアも登場しません。それまでのサンドロ・ボッティチェッリの作品とは大きな違いがあることがわかります。

登場人物の説明①

ボッティチェッリが描くヴィーナス
タイトルの通り春の美しい光景を華やかなタッチで描いています。登場人物を見てみると、中央に描かれているのはヴィーナス。背後の森はアーチ型をしており、後光がさしているようにも見えます。向かって右側にいるのは、西風の神であるゼフィロス。ゼフィロスの役目の一つは春の訪れを告げることですが、絵の中ではその隣にいる女性クロリスの腕をつかみ何やら異様な雰囲気が漂っています。とは言うもののこの2人は恋に落ち結婚するのですが、その時にクロリスは花の神であるフローラに変身。クロリスの口から植物が出ているのが分かりますね。ではクロリスの隣にいる女性は誰なのでしょう。これはクロリスが変身したフローラなのです。つまり同一画面に同じ人物の変身前と変身後の姿が描かれていることになります。しかも、フローラはゼフィロスの子を身ごもっています。

登場人物の説明②

三美神
次に画面の左側にい入る人物を見てみましょう。3人の女性が輪を作り春の訪れを祝うかのように踊っています。この3人は「三美神」と呼ばれヴィーナスの侍者と言われています。三美神の中で真ん中にいて、こちらに背中を向けている喜びの神エウプロシュネーの視線を辿ると、それが左端にいる商売の神マーキューリーに投げかけられていることがわかります。そして頭上には恋愛の神であるキューピッドがエウプロシュネーに向けて今にも矢を放とうとしている姿が描かれています。このあと矢が当たり二人は恋に陥ることになります。なんという神秘的でありながら世俗的なテーマを表現した絵画でしょう。

作品の依頼者とモデル

ジュリアーノ・ディ・メディチとたシモネッタ・ヴェスプッチ""
このプリマヴェーラの制作をサンドロ・ボッティチェッリに依頼したのはメディチ家とされていますが、その目的は結婚式の装飾に使うためだったとのこと。この作品に登場する人物の中ではマーキュリーとエウプロシュネーは、実存の人物をモデルにして描かれています。マーキュリーはフィレンツェの実力者だったロレンツォ豪華王の弟ジュリアーノ・ディ・メディチをモデルにしたものであり、エウプロシュネーは当時、フィレンツェ一の美女と言われたシモネッタ・ヴェスプッチがモデルになっています。サンドロ・ボッティチェッリはこのシモネッタの大ファンだったそうで、その他の作品、特に「ヴィーナスの誕生」のヴィーナスのモデルにも使っています。

「ヴィーナスの誕生」

ヴィーナスの誕生
サンドロ・ボッティチェッリのもう一つの傑作「ヴィーナスの誕生」は1483~1485年に描かれた有名な作品です。この絵もローマ神話に基づくもので、愛と美の女神ヴィーナスが誕生した場面を描いています。ヴィーナスは海の真ん中で泡から生まれたと言われています。この泡はただの泡ではなく、別の神から作られたものですが、ここではその説明は省くことにします。

登場人物の説明

西風の神ゼフィロスと妻のフローラ
海の泡から生まれたヴィーナスは貝殻に乗って陸地にたどり着こうとします。その時に現れたのが、「プリマヴェーラ」にも登場した西風の神ゼフィロスです。「ヴィーナスの誕生」ではゼフィロスは妻となったフローラを抱えて空を飛びながらヴィーナスが陸地に着けるよう息を吹きかけています。画面の右側には、季節と時間の女神ホーラが大きなマントを持ってヴィーナスが来るのを待ち構えています。

「ヴィーナスの誕生」は、サンドロ・ボッティチェッリが当時の詩人アニョロ・ポリツィアーノの詩に触発されて描いたと言われています。

「ヴィーナスの誕生」の特徴

ヴィーナスの誕生のヴィーナス
「ヴィーナスの誕生」は、「プリマヴェーラ」と並んでサンドロ・ボッティチェッリの作品の中でも華やかな表現が特徴になっていますが、特にゼフィロスの息を吹きかける動作など一瞬の動きを巧みに表した躍動感にあふれる作品になっています。ただし、遠近法は正しく使われていません。それは背景にある森がやたらと大きく表現されていることなどから理解できます。またヴィーナスは首が長すぎ、極端な撫で肩であるなどプロポーションは決して良いとはいえません。それはサンドロ・ボッティチェッリはデッサンがあまりうまくなかったからなのではと思うかもしれませんが、他の作品を見るとサンドロ・ボッティチェッリのデッサン力はしっかりしたものであることが分かります。それでもどこかに不合理さを感じさせる「ヴィーナスの誕生」。それはサンドロ・ボッティチェッリが、計算されたイメージよりも自分の頭に浮かんだイメージを大切に表現したからだと言われています。

サンドロ・ボッティチェッリの肖像画作品

ダンテの肖像
サンドロ・ボッティチェッリは、これまで解説してきた宗教画や神話をテーマにした作品の他に肖像画もいくつか残しています。ただ、男女とも、特定の人物を描いた肖像画と言うよりは、理想的な姿を描いた作品がほとんどです。その女性の理想の姿となったのが、「プリマヴェーラ」や「ヴィーナスの誕生」のところで触れたフィレンツェ一の美女シモネッタとも言われています。こうしたサンドロ・ボッティチェッリの肖像画の中で特異なのが「ダンテの肖像」。サンドロ・ボッティチェッリよりも一時代前に生まれて同じくフィレンツェで活躍した詩人ダンテに対し、サンドロ・ボッティチェッリは深い関心を抱いていました。その尊敬の念を表現したのが「ダンテの肖像」です。

詩人ダンテを尊敬したサンドロ・ボッティチェッリ

地獄の見取り図
ダンテは有名な詩編「神曲」を残しています。この詩編は、人間の死後、その霊魂が罪悪の世界から浄化し天国へと向かう過程を詩として表現したものです。サンドロ・ボッティチェッリは、この「神曲」に基づいて「地獄の見取り図」という作品を制作しました。この絵の中の地獄は逆さ円錐の形をしていて、全部で9層に分かれています。劣悪な人生を送った人ほど下の層に送られるという仕組みになっています。なんとも恐ろしい作品。上述の華やかな2作「プリマヴェーラ」や「ヴィーナスの誕生」とは大きくかけ離れたサンドロ・ボッティチェッリの別の世界を垣間見ることのできます。

まとめ

初期ルネサンスの画家として後世に最も大きな影響を与えたサンドロ・ボッティチェッリ。代表作の「プリマヴェーラ」や「ヴィーナスの誕生」は絵にあまり関心のない人でも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。華やかで美しく、しかも神秘的でありながら世俗的といった不思議な魅力にあふれる作品の制作。その一方で、「地獄の見取り図」のような暗いイメージの作品も残しています。そんな複雑な側面を持ち合わせた初期ルネサンスの画家サンドロ・ボッティチェッリ。奥が深くてどっぷりはまってしまいそうです。ぜひサンドロ・ボッティチェッリの他の作品にも触れて、フィレンツェのこの偉大な画家にさらに近づいてみてください。

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