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ポール・セザンヌ(Paul Cezanne)といえば、印象派もしくはポスト印象派の画家の一人と考えられていますが、セザンヌには「近代絵画の父」と呼ばれるもう一つの側面があります。
セザンヌはいったいなぜそのように呼ばれているのでしょうか。セザンヌの生き方と作品からその理由を解説していきます。
目次
セザンヌの生い立ち・人生の方向転換
ポール・セザンヌは1839年に南フランスのエクスという町で生まれました。銀行経営者であった父の力入れもあり、法学部に進み弁護士を目指します。と同時に、素描画も好きで勉強を続けていました。
ところが中学校時代に、後に小説家となったゾラと友好を深めるようになり、ゾラから次のように言われ画家の道を志すことに。
僕が君の立場なら、アトリエと法廷の間を行ったり来たりすることはしない。弁護士になってもいいし、絵描きになってもいいが、絵具で汚れた法服を着た、骨無し人間にだけはなるな。
ゾラ
セザンヌは、先にパリに引っ越していたゾラの後を追ってパリに移住。この頃のセザンヌのほとんどの作品は暗い色彩で描かれていました。
ところがセザンヌの絵はどの展覧会でも認められません。現実の厳しさを知ったセザンヌは、ここで故郷のエクスに戻ります。
エクスでは父の銀行で働きながら絵の教室にも通い絵の技法をみがいていきますが、ここでの生活はわずか1年。資産家の父親からの経済的な援助を受け、セザンヌは再びパリに移るのです。
印象派の一画家として
パリに再び赴いたセザンヌは、シュイスアカデミーで絵の勉強を始めます。当時のパリは印象派の最盛期でした。
セザンヌは、この時にパリに在住していた印象派の画家モネ、ピサロ、ルノワールなどと交友を深め、本格的に絵の世界に入っていきます。
新しいものが生まれるときは、往々にして古いものとの対立が起こります。印象派の誕生もその一つで、印象派の画家達の作品はフランスの王立絵画彫刻アカデミーである「サロン・ド・パリ」の展覧会で軒並み落選を味わいます。
ところが、やがて世間の印象派にたいする評価にも変化が現れるようになり、1868年のサロン展では、モネやルノワールなど一部の印象派の画家の作品が入選します。その一方でセザンヌの作品は落選に次ぐ落選を重ね、1860年代を通して入選することはありませんでした。
それにもかかわらず、セザンヌは自身の画風を信じて創作活動を続けていきます。その時の気持ちは、1874年に母に宛てた手紙の中でよく表現されています。
私が完成を目指すのは、より真実に、より深い知に達する喜びのためでなければなりません。世に認められる日は必ず来るし、下らないうわべにしか感動しない人々より、ずっと熱心で理解力のある賛美者を獲得するようになると本当に信じてください。
セザンヌ
印象派展覧会の出品をあきらめ個展開催
印象派に影響を受け画家として生きるようになったセザンヌでしたが、やがて印象派の技法に不満をいだくようになっていきます。そのため、1877年開催の「第3回印象派展」に16点の作品を出品したのを最後に、セザンヌは印象派とは一線を画するようになっていくのです。
ただし、この時期、セザンヌだけでなく他の印象派の画家同士の間でも画法の考え方について対立が生まれるようになっていたことを考えると、セザンヌが印象派から離れて行ったのも自然の成り行きだったのかもしれません。
やがてセザンヌは再びパリを離れ、故郷のエクスに戻りそこを基盤として創作活動を続けます。
1895年、それまでセザンヌの絵画を高く評価していた画家ピサロの勧めで、画商ヴォラールがパリでセザンヌの最初の個展を開きます。この個展では、セザンヌの作品に対して批判的な意見もまだありましたが、高く評価する声も上がるようになっていました。
特にピサロは、セザンヌの絵を次のように称賛しています。
実に見事だ。静物画と大変美しい風景画、何とも奇妙な水浴者たちがとても落ち着いて描かれている。・・・蒐集家たちは仰天している。彼らは何も分かっていないが、セザンヌは、驚くべき微妙さ、真実、古典主義を持った第一級の画家だ。
画家ピサロ
ポスト印象派への移行と「キュビズム」の基礎構築
ではセザンヌは印象派のどのようなところに不満をいだくようになったのでしょうか。
それまでの印象派の画家の作品は、マネやドガなど暗い色彩を使った絵画が主流でしたが、ピサロの絵の影響も受け、セザンヌは作品の中に明るい色を取り入れて行くようになります。こうした画家たちを、ポスト印象派と呼んでいます。
セザンヌが印象派の画法の中でもう一つ不満をいだくようになったのは、印象派の作品のほとんどが、瞬時に感じ取った印象を絵に落とし込んでいくという点にありました。
つまり、印象派にとって大切なのは、あくまでもその画家の「印象」であって、そこに描かれる物の形状にはほとんど配慮が払われていないということでした。
セザンヌは、このことに不満を感じるようになり、漠然としたイメージを絵に落とし込むのではなく、しっかりとした画面構造を持つような絵画を創作したいと思うようになったのです。この技法は一般的に「構築的筆致」と呼ばれています。
この構築的筆致こそが、後にピカソが取り入れた「キュビズム」に結び付いて行く新しい手法だったのです。そしてこれがポール・セザンヌが「近代絵画の父」と呼ばれる所以なのです。
セザンヌが着目したのは、物や風景を1つの方向から見るのではなく、多角的な視野から観察し、そこで見えたイメージを一つの画面に3次元的に再構築するという手法でした。
セザンヌよりも先にこの手法に近いものを確立していたのがルノワールでしたが、ルノワールは、輪郭線を用い形状を表現していました。セザンヌはこの輪郭線を使わず、静物や風景の形状を幾何学的な形で表現することに力を入れました。そのため一つ一つの形状を見ると面取りされたいくつもの面の集合のように見えます。
ただし、1895年以降になると、形状だけでなく色彩の方も多様化していきます。形状を細かくし、それらにより多くの色彩を配することによって、明暗や量感を表現しようとしたのです。この手法は「転調(モデュラシオン)」と呼ばれています。
セザンヌのこうした新しい技法は、当時フランスで創作活動を続けていたゴッホやゴーギャンにも影響を与えました。
セザンヌの作品解説
以上のようなセザンヌ特有の手法を用いた作品をいくつか詳しく見ていきましょう。
メダンの館
セザンヌの画家人生の中でも初期の頃に描かれた「メダンの館」には、すでにそれまでの印象派の特徴とは異なるセザンヌ特有の画風が現れています。
この絵は友人であったゾラの家を描いた作品ですが、この絵を観た時に、まず目に飛び込んでくるのが垂直に並ぶ木々の幹。そして次に注意を惹かれるのが、単調なストロークで描かれた土手と川の流れです。
印象派のどこかぼんやりとした絵とは異なり、線や形がはっきり表現されているのがわかります。
果物籠のある静物
「果物籠のある静物」は、セザンヌがキュビズムを積極的に取り入れて行った時期に描かれた作品です。
果物籠だけを見ていると、正面から見て描いているように見えますが、壺は斜め上から見て描いているように見え、また他の容器は傾いているようにも見えます。つまり、セザンヌはここで多角的な視点を取り入れて描いていることがわかります。
そして赤、オレンジ、緑といった鮮やかな色彩が使われているのも印象派の作品には見られなかったものです。
サント・ヴィクトワール山
セザンヌの作品の中で大きな位置を占めるのがサント・ヴィクトワール山をモチーフにした作品「サント・ヴィクトワール山」です。
サント・ヴィクトワール山はセザンヌの故郷エクスの住居近くにある標高1011mの山。セザンヌは晩年をこのエクスで過ごし、亡くなるまでこの山を描き続けました。その数、60以上にのぼると言われています。
作品の題材は主にサント・ヴィクトワール山なのですが、画法的にはキュビズムと構築的筆致を用い、天気や一日の時間帯によって移り変わる山の表情を巧みに捉え表現しています。
特に、岩山でもあるサント・ヴィクトワール山は幾何学的な形状を持って表現するに大変適した題材だっと言えるかもしれません。
ポール・セザンヌの作品が見れる美術館
セザンヌの作品は日本でも複数の美術館に所蔵・展示されています。以下、そのいくつかをご紹介します。
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◆国立西洋美術館
- 「葉を落としたジャ・ド・ブッファンの木々」
公式サイト:https://www.nmwa.go.jp/jp/collection/1978-0005.html
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◆横浜美術館
- 「ガルダンヌから見たサント=ヴィクトワール山」
公式サイト:https://yokohama.art.museum/collection/collection.html
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◆ポーラ美術館
- 「プロヴァンスの風景」
公式サイト:https://www.polamuseum.or.jp/collection/highlights6/
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◆諸橋近代美術館
- 「林間の空地」
公式サイト:https://dali.jp/collection/
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◆ひろしま美術館
- 「ジャ・ド・ブファンの木立」
- 「曲がった木」
- 「座る農夫」
公式サイト:https://www.hiroshima-museum.jp/collection/eu/cezanne.html
まとめ
印象派、またはポスト印象派と言われるポール・セザンヌ(Paul Cezanne)ですが、その名をと聞いて多くの人が思い浮かべるのは、テーブルの上に鮮やかな色のリンゴやオレンジがならびその周りに壺や器が置かれた静物画なのではないでしょうか。
こうした静物画に表現されているように、セザンヌは、はっきりしとした色彩とはっきりとした形を多角的な視野から描こうとしました。はっきりとした色彩はポスト印象派の特徴ですが、形状の方はセザンヌ独自のもので、後にピカソが確立したキュビズムに繋がって行きます。
このことから、セザンヌは「近代絵画の父」と呼ばれているのです。印象派から出発し、後にポスト印象派を経て自身の画風を作り上げていったセザンヌ。このような背景を踏まえてセザンヌの作品をじっくり鑑賞してみるとまた違ったものが見えてくるかもしれません。