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印象派の画家といえばモネやルノワールを思い浮かべるかもしれません。でも、終始一貫して印象派でありつづけた画家がアルフレッド・シスレー(Alfred Sisley)です。
シスレーは生涯を通して900点近くの油彩の作品を残していますが、そのうちの850点以上は風景画。特にパリならび近郊の夏の風景を描いた作品が多数残っています。そんなシスレーはどのような人生を送り、実際どのような作品を残したのでしょうか。
目次
シスレーの生い立ち
アルフレッド・シスレーは1839年、フランスのパリでイギリス人の両親の下に生まれました。
実業家であった父親のおかげで、家庭は経済的に困ることはありませんでした。シスレーは18歳の時に商学を学ぶためにロンドンに留学します。
ところがロンドンでは肝心の学業には専念せず、美術館に繁く足を運ぶことに。そしてターナーやカンスタブルなどの作品に触れ感銘を受けます。約3年間のロンドン生活を終えたシスレーは再びパリに帰還。この時からシスレーの画家としての人生が始まります。
印象派画家との出会い
まず、両親を説得してシャルル・グレールのアトリエに通うようになります。
グレールはスイス生まれの画家で、サロン・ド・パリにも数回出品し賞も受賞していますが、その後画家としては一線から退き、アトリエを開いて後進の育成に努めた人物です。
シスレーがグレールのアトリエで学んだことは、自然をよく観察して描くこと、そして画家としての独自性を持つということでした。このアトリエでは、シスレーの他にもモネやルノワールなど、後に印象派の画家として世に出て行く生徒たちも来ていました。
シスレーは、師であるグレールはもとより、モネやルノワールなどの伝統にとらわれない新しい技法の影響を強く受けながら、独自のスタイルを生み出した行きました。この頃のシスレーは、友人たちの間で「働き者で社交的」と評価されていました。
経済的に苦しかった後年
順調な滑り出しをしたかのように見えたシスレーの印象派の画家としての人生でしたが、1870年に勃発したフランス-プロイセン戦争により状況が変わることになってしまいます。
イギリス留学から画家としてグレールのアトリエに通っていたころまで、シスレーは、父から経済的な援助を受けていました。ところがこの戦争により父親の家業がうまくいかなくなり、やがてその父が他界。そこから金銭的な苦境が始まるのです。
シスレーは生活を自身の絵だけに頼らなくてはいけなくなりました。そのため1879年からサロンや印象派展に出品したりしましたが、シスレーの作品は生涯を通してあまり売れませんでした。そうこうしているうちに妻が癌にかかり死亡。その2年後の1899年にシスレーも他界してしまいます。
シスレーは死ぬ間際に子供たちのことを印象派画家だったモネに託します。それを受けたモネは、シスレーの作品を競売にかけ、27点を売却。その売り上げ金をシスレーの子供たちの養育費に当てました。
印象派シスレーの絵画技法
印象派の画家であったアルフレッド・シスレーが優れた才能を発揮したのは油彩による風景画でした。実際、残っている900点ほどの作品の内、風景画以外のものは20点ほどしかありません。
シスレーは風景画の制作において、常に戸外制作(オンプレネール)の技法を採用しました。つまり戸外に出てその場で捉えた光や風景を絵に落とし込む方法を取っていたのです。
作風としては、印象派の特徴である色彩の豊富さ、ゆるやかな筆運び、そして光が生み出す微妙な明暗の見事な表現などが現れています。
作品の評価
このように純粋な印象派の画家として風景画を描き続けたシスレーでしたが、その名があまり知られていなかったのは、パリで生まれパリに住みながらもシスレーの国籍が英国であったことが原因しているのではないかと言われています。
フランス国籍取得にも2度申請していますが、いずれの場合も却下。こうしたことの背景には当時の民族的な軋轢も垣間見られます。
いずれにしても存命中は、世間一般に、印象派の1人として残した絵を高く評価してもらえなかったシスレーでしたが、文化人の間では高い評価を得ています。
歴史家クリストファー・ロイドはシスレーの絵の構図を称賛して次のように述べています。
絶え間なく移り変わる世界に秩序をもたらすように、繊細に渡ってアレンジされている。
歴史家クリストファー・ロイド
また19世紀の画家であり美術評論家でもあったウィンフォード・デュハーストの言葉もシスレーの才能をよく言い表しています。
芸術のあらゆる面で優秀な人はめったにいないが、一つのことに優れた人は幸運な人である。シスレーは後者に当たる。
画家フォード・デュハースト
シスレーの人気作品紹介
現存するシスレーの作品の中から印象派の画家であったシスレーの作風を良く表している作品をいくつか紹介します。
「セーヌ川の船」
「セーヌ川の船」は1879年に制作した作品。
絵の大きさは縦37.2cm 、横44.3㎝。パリの南西エリアから見たセーヌ川を描いたもので、1艘の船から材木が下ろされている様子が描かれています。
筆運びがかなり大雑把なことから、シスレーがその時の様子を急いで捉えようとして描いたことが想像できます。この作品は現在イギリスの「コートールド美術研究所」に所蔵されています。
「モレのポプラ並木」
「モレのポプラ並木」はシスレーの1888年の作品。
モレは正確にはモレシュールロワンといい、かつてフランス中北部にあった地方自治体です。シスレーはこの地方にあった美しいポプラ並木を絵にしました。ポプラの葉が印象派特有の点描で表現されています。
絵の大きさは縦54㎝、横73㎝。シスレーはここで紹介した作品の他にも、このポプラ並木の絵をあと2点残しています。ただしこれら2点はタイトルが「モレシュールロワンのポプラ並木」となっています。
「モレのポプラ並木」は個人の所蔵になっています。
水辺の美しさを描いた作品
シスレーの風景画の中では、セーヌ川やロワン川などの水辺を描いた絵画が目を惹きます。
それは川面に当たり反射する日の光が何とも言えない美しい色彩を造り出すからであり、シスレーはその美しさを印象派独特の短いストロークと点描により巧みに表現しているからです。
さらに、川を行きかうフェリーやボート、また遠くに見える町並みなどが絵にアクセントを与え、全体的にバランスの取れた構成を築いています。
「アルジャントゥイユのセーヌ川」
1872年制作。縦50㎝、横73㎝。個人の所蔵
「マルリ・ル・ロアで水浴する馬」
1875年制作。縦38㎝、横61㎝。スイスのE.G.バール基金所蔵
「ブージヴァルのセーヌ川」
1876年制作。縦45㎝横61㎝。ニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵
印象派シスレーの作品が見れる国内の美術館
シスレーの作品はその数が多いことからも、日本でも数多くの美術館で所蔵・展示されています。そのうち、主なものを紹介します。
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◆アーティゾン(旧ブリジストン)美術館
- 「森へ行く女たち」
- 「レディース・コーヴ」
- 「サン=マメス6月の朝」
公式サイト:https://www.artizon.museum/
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◆国立西洋美術館
- 「ルーヴシエンヌの風景」
公式サイト:https://www.nmwa.go.jp/jp/index.html
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◆ポーラ美術館
- 「ロワン河畔・朝」
- 「マルリーの水飼い場」
- 「セーヴルの跨線橋」
公式サイト:https://www.polamuseum.or.jp/
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◆島根県立美術館
- 「舟遊び」
公式サイト:https://www.shimane-art-museum.jp/
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◆大原美術館
- 「マルリーの通り」
公式サイト:https://www.ohara.or.jp/
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◆横浜美術館
- 「鵞鳥のいる河畔」
- 「風景(ロワン河畔の荷車)」
公式サイト:https://yokohama.art.museum/
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◆鹿児島市立美術館
- 「サン・マメスのロワン河畔の風景」
公式サイト:https://www.city.kagoshima.lg.jp/artmuseum/
まとめ
生涯を通して印象派のスタイルを固持したアルフレッド・シスレーは、風景画家として900点に及ぶ作品を残しました。
モネやルノワールなど他の印象派の画家と比べるとシスレーの名前はあまり知られていませんが、それはシスレーがパリで生まれながらも英国国籍を持っていたためではないかと言われています。
にもかかわらずシスレーは印象派としての画家人生をとおして戸外制作に従事し、その時に受けた印象を絵に落とし込みました。
シスレーの残した風景画の多くは日の光が造り出す美しい色彩とトーンを見事に表現しています。シスレーはまさに印象派を代表する画家であったと言えるのではないでしょうか。