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19世紀のフランスの画家ジョルジョ・スーラ(Georges Seurat)は、美しい点描画の画家として知られています。
この新しい技法のために、スーラは印象派でありながら、さらにそこから派生した新印象派の画家と呼ばれています。
31歳という若さでこの世を去ったスーラ。その短い生涯をどう生きたのか、そしてどのような作品を残したのか解説していきます。
ジョルジョ・スーラの生い立ちと画家人生
シャルル・モーランが描いたジョルジョ・スーラの肖像
ジョルジョ・スーラは1859年フランスのパリで生まれ。
父親は最初法律関係の仕事をしていましたが、後に不動産に投機し富を築きました。
裕福な家庭で育ったスーラは19歳の時に美術学校「エコール・デ・ボサール」に入学し、古典絵画の模写を通して従来の絵画技法を学びます。
ところが途中で1年間の兵役があったため、学校を去ることに。兵役終了後はパリに戻り、そこで本格的に画家の道を歩み始めます。
一般的に油彩画家として知られるスーラですが、初期の頃はコンテクレヨンによる作品も制作しました。
また、サロンや印象派展にも作品を出していますが、1884年には、サロンの保守的な審査基準に反発し、ポール・シャニックと共に自らの展示会を結成。
それが現在「パリ・アンデパンダン展」と呼ばれている展覧会です。
この展覧会にはに印象派のルソー、マティス、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、ピサロなども出品したことがあります。
また日本人画家にも影響を与え、藤田嗣治や岡鹿之助、長谷川潔などが参加した経歴があります。
スーラは、病気により31歳という若さでこの世を去りますが、その短い生涯を通して油彩60点、油彩下絵約170点、素描約230点の作品を残しています。
スーラの作品に見る印象派の影響と点描技法
スーラの作品の特徴は印象派独特の明るい色彩を取り入れていることですが、同時に「点描技法」というスーラ独自の方法を取り入れたところにあります。
この2つの特徴が顕著はスーラの作品の多くに見られますが、ここでは特にスーラの代表的な2つの作品にフォーカスし、スーラの絵画の特徴を解説していきます。
印象派の影響が見られる「アニエールの水浴(Bathers at Asnières)」
引用元:https://www.wikiart.org/en/georges-seurat/sunday-afternoon-on-the-island-of-la-grande-jatte-1886
スーラはパリで画家生活を始めた時に、最初サロンにコンテクレヨンの作品を出品し入選。
ところが、その後はコンテクレヨンから離れ、油彩に重きを置いたものに。この頃から印象派の影響が色濃くみられるようになります。
そんなスーラが制作したのが1884年の作品「アニエールの水浴」です。これはセーヌ川で水浴を楽しむ労働者階級の若者たちを描いたもの。
縦2ⅿ横3mという大作でスーラの代表作の一つになっています。
印象派の影響により、明るい色彩を取り入れ、筆運びにも印象派独特の筆触分割が見られ、絵の部分によっては軽い点描表現がすでに使われています。
全体的にスムーズでシンプル。描かれた人物はどこか彫刻的でさえあります。
スーラは「アニエールの水浴」を同年に開かれたサロンに出品しようと申請しましたが、審査員により却下。この作品は絵の中にさまざまな技法が使われ、複雑な印象をあたえるためか、当時の画壇からは高く評価されませんでした。
称賛されるようになったのは、スーラの死後何年もたってから。スーラと同時代に活躍した美術評論家であるイギリスのロジャー・フライはスーラのこの作品について次のようなコメントを残しています。
スーラほど、より絶妙で驚異的な感性、より鋭い観察、またはより確実な一貫性を持って包括して表現することができたものはいなかった。
ーロジャー・フライ
点描画の傑作「グランド・ジャット島の日曜日の午後(Sunday Afternoon on the Island of La Grande Jatte)」
引用元:https://www.wikiart.org/en/georges-seurat/sunday-afternoon-on-the-island-of-la-grande-jatte-1886
点描画の画家と言われるスーラがもっとも力を入れた作品が「グランド・ジャット島の日曜日の午後」です。
この作品は上述の「アニエールの水浴」と同様に縦2ⅿ横3mの大作。
スーラはその制作に2年の歳月をかけています。
スーラが残した作品の中では、点描技法が最も顕著に現れており、傑作として今日でも高く評価されています。
この絵は、セーヌ川に浮かぶ中州「グランド・ジャット島」の風景を描いたもの。
この中州はパリ市街から遠く離れた田園地帯にあるもので、天気の良い日曜日にパリ市街から出向き、優雅な一日を過ごす人々の姿が描かれています。
絵の中の人物は、そのほとんどが当時のフランスの特権階級。
中でも、最も目を惹くのが絵の右側、一番手前にいる女性の姿です。帽子をかぶり日傘を差し、ペットのサルを連れています。
服装もドレスの下部が大きく後ろにつき出しているなど、当時のファッションを象徴しているようです。
そんな中、一人、Tシャツを着て野球帽をかぶり芝生に寝そべっている労働者風な人物が描かれています。優雅で豪華な外出の風景に、当時のパリの現実性が加わります。
点描技法により新印象派と呼ばれる
引用元:https://www.wikiart.org/en/georges-seurat/study-for-a-sunday-afternoon-on-the-island-of-la-grande-jatte-1884
「グランド・ジャット島の日曜日の午後」は1886年に開かれた8回目で最終回の印象派展に出品され注目を浴びましたが、この絵を有名にしたのが点描技法です。
点描とは、異なる色の小さな点を隣り合わせに置くことによって、遠くから見た場合にその異なる色が混ざって見えるように配慮した技法のことです。
使う絵具は混ぜずにチューブから出した状態でキャンバスに落とします。色が混ざっていないため、全体的に、鮮やかで明るい仕上がりになるのが特徴。
スーラのこの新しい技法はポール・シャニックを初めゴッホやマティスにも影響を与え、こうした画家たちは「新印象派」と呼ばれるようになりました。
スーラは「グランド・ジャット島の日曜日の午後」の制作のために、この中州に何度も足を運びデッサンや習作を作り最終的な絵画制作の準備をしました。
デッサン画や習作の数は70点以上にのぼっています。スーラの感性の高さと、数学的な正確さを好む性格が、このような緻密で繊細な絵を創造させたのだと考えられています。
その他の作品
エドモンド・フランソワ・アマン・ジーンの肖像(Portrait of Edmond-François Aman-Jean)
引用元:https://www.wikiart.org/en/georges-seurat/portrait-of-edmond-fran%C3%A7ois-aman-jean-1883
スーラはほとんどの作品を油彩により制作していますが、初期の頃はコンテクレヨンを使った作品もいくつか制作していました。
その中の一つ、友人のアマン・ジーンの横顔を描いたこの作品は1883年のサロンに出品し入選しています。
シャユ踊り(Chahut)
引用元:https://www.wikiart.org/en/georges-seurat/chahut-1890
シャユ踊りとは一般的に言われる「カンカン」のこと。
この作品は1890年のアンデパンダン展に出品されたものです。
この絵でもスーラ特有の点描技法が見られますが、それとは別に絵画の構成も興味深いものになっています。
普通はこうした絵画の場合、正面から見たダンサーだけが描かれますが、この絵の画面には、劇場に登場する人物たち、すなわちダンサー、ミュージシャン、観客のどれもが異なる角度から描かれています。
オランダのクレラー・ミュラー美術館所蔵。
化粧する若い女(Young Woman Powdering Herself)
引用元:https://www.wikiart.org/en/georges-seurat/study-for-a-sunday-afternoon-on-the-island-of-la-grande-jatte-1884
「化粧する若い女」はスーラの絵のモデルであり恋人でもあったマドレーヌ・ノブロックが化粧の粉をはたいている姿を描いたものです。
スーラはこの女性との付き合いを長い間隠していましたが、この作品を1890年の展示会に出品することにより公表する形となりました。
ここでも点描技法がやさしくほんのりとした色合いで取り入れられています。
この作品の中で少し不自然だと感じさせらるのが左上に描かれた花瓶の絵。
窓が開いて向こう側に花瓶が見えているのかという錯覚に陥りますが、実はスーラは最初、この部分に自分の肖像画を入れることにしていたそうです。
ところが友人の助言により変更したのがこの花瓶の絵だったと言われています。
サーカス(The Circus)
引用元:https://www.wikiart.org/en/georges-seurat/the-circus-1891
スーラが1890~1891年にかけて制作した「サーカス」はスーラの最後の作品。
ただし、スーラはこの作品を完成させずに病気となり亡くなってしまいました。
縦1.8m横1.5mのかなりの大作。点描技法で制作したこの作品は日本の版画の影響も受けています。
また使われている色も赤、黄色、青の3色。そしてこの絵だけでなく上に開設した2つの絵にも共通なのが絵の画面を縁取りしていることです。
これは日本の版画の影響を受けたものだと考えられています。パリのオルセー美術館所蔵。
日本でスーラの絵画が鑑賞できる美術館
スーラは31歳の若さで亡くなったため、残した作品も他の印象派の画家に比べると多くはありません。
そのため日本でスーラの絵画が鑑賞できる美術館も次の2か所に留まっています。
ポーラ美術館 |
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グランカンの干潮 |
公式サイト:https://www.polamuseum.or.jp/ |
ひろしま美術館 |
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村へ |
公式サイト:https://www.hiroshima-museum.jp/ |
まとめ
フランスの画家ジョルジョ・スーラは、点描という新しい技法を取り入れた印象派の画家です。
この独特の技法のために、スーラは、印象派の中でも特に新印象派の画家として知られています。
残念なことに31歳という若さでこの世を去ってしまったスーラでしたが、その短い生涯にも傑作と呼ばれる大作をいくつか残しました。
もっと長く生きていたら、その点描技法をさらにユニークなものに展開してくれていたかもしれません。