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ダビデ像で有名なイタリア・ルネッサンス期の芸術家の作品

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ミケランジェロの大作、システィーナ礼拝堂の天井画「天地創造」を解説
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ミケランジェロといえば、「ダビデ像」などの彫刻作品で有名な芸術家ですが、名画と称賛される作品も残しています。その一つがシスティーナ礼拝堂の天井に描がいた「天地創造」。完成以来世界中の人々を驚嘆させてきたこの名作、いったいどんな作品なのでしょうか。天地創造の絵の内容や神業ともいえる驚くべき制作過程を解説します。

天地創造とはどんな絵?

日本で一般的に「天地創造」と呼ばれているミケランジェロの作品は、実はシスティーナ礼拝堂の天井画全体を差すことが多いようです。公式の名称は「システィーナ礼拝堂天井画」ですが、当記事では日本での一般的な呼び方に従って「天地創造」と呼ぶことにします。

天地創造は、ミケランジェロが、主に旧約聖書の「創世記」に基づいて描いたもので、この世界と人間は神によって造り出されたが、人間は堕落してしまったので、神の救済が必要だという教義が表現されています。絵の中心は天井の中央部分を占める9枚の絵。その周りに7人の預言者と5人の巫女の絵が描かれています。中心となっている9枚の絵は、システィーナ礼拝堂の入口に立って見た場合、手前から「神による天地創造の場面」「アダムとイブの創造と追放の場面」「人類の破滅とノア一族の物語」の3つの場面に分けられます。そして各場面はそれぞれ3枚の絵で構成。最初の場面では、「光と闇の分離」「太陽・月・植物の創造」「大地と水の分離」が描かれ、2番目の場面では、「アダムの創造」「イヴの創造」「原罪と楽園追放」が、そして最後の場面では、「ノアの燔祭」「大洪水」「ノアの泥酔」が描かれています。
アダムの創造
これらの絵の中で世界的に最もよく知られているのが「アダムの創造」です。他の絵もそれぞれ素晴らしい出来なのですが、このアダムの創造では、横たわるアダムに神が息を吹き込もうとして差し延べる手に、アダムの指が触れようとする瞬間がドラマチックに表現されています。ちなみに神とその背景に描かれている天使たちは、赤い布に囲まれていますが、これはミケランジェロが脳を意図して描いたものではないかという説もあります。よく見るとその布の形状、ほんとうに脳のように見えます!
ノアの方舟
天地創造の絵の中では、礼拝堂の入口から見て最も奥にある第3場面も馴染のある場面なのではないでしょうか。「ノアの方舟」で知られるノアの物語を絵にしたもので、神に動物の丸焼きをささげる燔祭の様子の絵から始まります。やがて人間の堕落が原因で大洪水が起き、ノアの一族が方舟を作って逃げます。2番目の絵には、その方舟に助けを求めて集まる人々の様子が描かれています。そして最後の絵。ここでは葡萄を栽培していたノアが自分で作った葡萄酒を飲み過ぎ、裸で泥酔している姿が表現されています。

ミケランジェロの生い立ちと人物像

天地創造の絵の内容は以上の通りですが、その制作の解説に入る前に、ミケランジェロの生い立ちや人物像に触れてみたいと思います。
ミケランジェロの生い立ち
ミケランジェロは1475年イタリアのフィレンツェで生まれました。時はルネサンス最盛期。13歳の時に画家ギルランダイオに師事し絵を学び、後にメディチ家をパトロンとして芸術界にデビュー。絵画の才能もあったミケランジェロですが、彫刻への傾倒が強く、自分は画家ではなく「彫刻家」と自称していました。また、彫刻や絵画だけでなく建築や詩においても優れた才能を発揮したため、「万能の人」や「神の手を持つ芸術家」との異名も。ゴッホのように死ぬまで世間に絵の価値を認められなかった芸術家が多い中で、ミケランジェロは存命中から偉大な芸術家として多くの人から尊敬されていました。その中の一人ジョルジョ・ヴァザーリは、ミケランジェロがまだ生きている間にミケランジェロの伝記「画家・彫刻家・建築家列伝」を出版。このように名を馳せたミケランジェロは当時としては88歳という長い人生を偉大な芸術家として全うした人物でした。

天地創造を制作するようになったいきさつ

ローマ教皇ユリウス2世
では、彫刻家として活躍していたミケランジェロは、いったいどうしてシスティーナ礼拝堂の天井画を手掛けることになったのでしょうか。ミケランジェロに天井画を依頼したのはローマ教皇ユリウス2世でした。1505年のことで、ミケランジェロ30歳の時でした。ところが彫刻家と自称していたミケランジェロは、当初、この仕事に乗り気ではありませんでした。ミケランジェロが乗り気でなかったのにはもう一つの理由があります。ミケランジェロはその頃、ユリウス2世の霊廟の制作を引き受けていたため、その仕事で手一杯だったのです。

ユリウス2世は、ミケランジェロがすでに教皇自身の霊廟の制作で忙しいことを知っていたにも関わらず、天井画の制作を強く要求してきたのですから、それだけミケランジェロの腕前を高くかっていたということになります。ただこの依頼に乗り気でなかったミケランジェロにとって幸いだったことは、その頃フランスとの紛争が始まり、当時、軍事面で重要な地位についていたユリウス2世が、紛争解決で忙しくなり天井画のことはしばらくお預けとなったことでした。ところが1508年に紛争が収まると、ユリウス2世は再びミケランジェロに天井画の制作依頼を強く押してきました。これにはミケランジェロも断ることができず引き受けるしかありませんでした。かくして天地創造の制作が始まったのです。

システィーナ礼拝堂の構造

システィーナ礼拝堂の天地創造
天井画の制作を引き受けたものの、この作業が簡単なものでないことはミケランジェロも知っていました。それはシスティーナ礼拝堂の建物の構造に理由があります。

システィーナ礼拝堂は、バチカン宮殿にあった古い礼拝堂を1477年から1480年にかけて建て替えたものです。建て替えた後に、ボッティチェッリ、ペルジーノ、ギルランダイオなどの有名画家が壁画を制作しており、当時天井は、青く塗られその上に金色の星をちりばめた絵が描かれていました。システィーナ礼拝堂は幅14m、奥行き約40mの細長く比較的こじんまりとした建物ですから、複数の画家が担当すれば、壁画の制作はそれほど困難ではなかったかと推測できます。ところが天井は高さが20mでアーチ型。このような形状を持った天井に複雑な絵を描くことが簡単でないことは想像に難くありません。実際、天井画の制作を依頼した教皇ユリウス2世もその困難さを考慮して、かなり大雑把な絵の構想、つまり、「十二使徒」の絵を大きなサイズで描いてもらおうと考えていたのです。ところが最終的にミケランジェロが制作したものは数多くの人物が登場する複雑で壮大な天井画。この絵の制作にミケランジェロは4年の月日をかけたと言われています。

天地創造の制作方法

天地創造の制作方法
では実際にミケランジェロはどのようにして天地創造の制作に取り組んだのでしょうか。ミケランジェロの伝記の著者であるヴァザーリはその書「画家・彫刻家・建築家列伝」で次のように書いています。

“この天井画はきわめて困難な状況下で描かれたものであり、ミケランジェロは首を天井の方へ曲げたままで描かなければならなかった。”

現代に生きる私たちが、この作業がどれほど大変な作業であるかを理解する一番わかりやすい方法は、天井にペンキを塗ってみることかもしれません。ただ、西洋的な家ならまだしも日本の家の天井ではペンキを塗ることは少ないので、天井の電球を取り換える作業を考えてみるとわかりやすいと思います。電球の交換は数分で終わると思いますが、それを毎日長時間4年間続けることを想像してみてください。きっと首が痛み始め、体全体も疲れてくることでしょう。そんな不自然なポーズで絵を描く!そしてそれを4年間続ける!?まさに神業としか言えません。

天地創造の制作がさらにすごいのは、描くだけなら首の痛みに耐え肉体的に我慢することで切り抜けられる人もいるかもしれません。ところがミケランジェロの描いた天地創造は、その複雑さと美しさのために世界史に残る傑作と高く評価されている優れものなのです。特に天地創造の中心となっている「アダムの創造」では、そこに描かれたアダムの裸体の美しさが高く評価されており、これについて、ヴァザーリは次のように述べています。

“その美しさ、そのポーズと輪郭とは、あたかも人類創造のその瞬間、最初にして至高の創造主によって形造られたかのように見え、神ならぬ一人の人間が絵筆をもって描いたものとは見えない”

天地創造を完成させることにより、ミケランジェロはまさに偉業を成し遂げたのです。

天地創造の制作技法

天地創造の制作技法
天井画の制作に当たって一番問題となるのは天井の表面にどのようにアクセスするのかということです。手っ取り早い方法は、礼拝堂の床の上に足場を作ることですが、そうすると礼拝堂のスペースをほとんど埋めてしまうことになり、絵画制作中も行われることになっていた礼拝の邪魔になってしまいます。そこでミケランジェロは、システィーナ礼拝堂の両側の壁に穴をあけ、そこに支えとなる棒を差し込みました。そしてその棒の上に足場となる板を乗せ、板の上に階段状に作ったアーチ型の台を置き、その台を移動しながら絵を描いたと言われています。壁に開けられた穴は窓の近くの高い所でしたから、この足場が礼拝堂の床のスペースを取ることはなく、また礼拝の邪魔にもなることもありませんでした。

では、画法はどうでしょうか。ミケランジェロは、壁に漆喰を塗り、それが半乾きの状態になった時に水で溶いた顔料を塗りました。この画法は「フレスコ」と呼ばれています。この方法では、半乾きの漆喰の上に塗られた絵具が石灰の層の中に染み込むため、漆喰が完全に乾いたときには着色が安定するという特徴があります。ミケランジェロはこの方法をギルランダイオの工房で修業した時に学んでいます。

日本で天地創造を見ることのできる美術館

 

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天地創造は天井画ですから、実物を美術館などに貸し出すことはできませんが、徳島県鳴門市にある「大塚国際美術館」では、陶板名画として再現した作品を展示しています(展示名「システィーナ礼拝堂天井画および正面壁画」)。陶板名画とは、陶製の大きな板に原画を再現したもの。大塚国際美術館では、高い技術を用いて原画の色彩と大きさを忠実に再現しています。

まとめ

ルネッサンスの最盛期に、イタリアの芸術家ミケランジェロによって描かれたシスティーナ礼拝堂の天井画「天地創造」。高い礼拝堂の天井に複雑な内容の絵を描くという困難をみごとに克服し完成させた作品。神業とも言えるミケランジェロの才能が思う存分活かされ、歴史に残る名作として今でも世界中の人々を魅了しています。

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