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1940年代から発展したアメリカ・ニューヨークのアート「抽象表現主義」は、今なお世界のアートシーンに大きな影響を与え続け、その画家や作品のファンは後を絶ちません。ポロックやロスコなど抽象表現主義の画家および絵画は、現代アートのアイコン的存在として現代にも知られています。
現代のアートシーンの中心地ともいえるアメリカで、過去にはどのような美術文化が広がっていたのでしょうか。抽象表現主義の世界、そしてその作家たちについて解説していきます。
目次
抽象表現主義はどんなアート?
英語では「Abstract Expressionism」といわれる抽象表現主義。巨大なキャンバスに激しい色彩と動作の形跡による感情表現と色彩の表現、また画面に中心的な存在がない「オールオーバー」な絵画として知られる美術運動です。1945年、美術批評家のロバート・コーツによりその名が命名され、当時の週刊誌「The New Yorker」に掲載されたことをきっかけに抽象表現主義はアメリカの世間に台頭し、以降現代にもその影響は続いています。
しかし、それまでのアメリカのアートシーンはヨーロッパの傾向を追いかけていただけに過ぎず、抽象表現主義はアメリカで初めて世界的に影響を与えた美術運動となりました。
抽象表現主義の始まりは1930年代に遡り、当時のアメリカでは社会問題や政治的な関心に目を向けたリアリズム絵画が主流で、アートシーンは停滞し、ヨーロッパに影響の強かったモダニズムは歓迎されていませんでした。現代でもアメリカでは「ソーシャリー・エンゲージド・アート」という、少数民族や経済的不平等、マイノリティなどに関わる社会問題を問いかけるアートの傾向が強いですが、このような「目的を持ったアート、意味のあるアート」はアメリカにおいてメインカルチャーになりやすいところがあります。
しかし、社会アートは社会問題に対する「言葉」に変わる「アイコン」としては強烈ですが、美術作品としての「魅力」という部分や、鑑賞者の心情に影響して「心を動かす」という点においてはどうしても劣るもの。そんな時代のアメリカに、当時のアートの先進的な地であったヨーロッパから、伝統に固執しない自由な気風に惹かれ、また戦火から逃れるために渡米したアーティストが集い、「American Abstract Artists」というグループが結成されます。
そして、数多くのヨーロッパのアーティストたちが第二次世界大戦により移民としてニューヨークに亡命してきたことで、アメリカの中心地に先進的な思想の前衛芸術家が集い、非具象的なモダニズムのアートシーンが台頭したのです。
抽象表現主義はヨーロッパから亡命したアーティストたちが土台を作りましたが、アメリカ先住民美術の造形感覚など、アメリカの風土から由来する影響を当時の若手作家たちが受けることで、抽象表現主義はアメリカ・ニューヨークが発する最新鋭のアートとして展開しました。そして、その陰にはアメリカ政府の諜報機関であるCIAが、冷戦の相手であったソビエト連邦に対する思想戦のために、表現と思想の自由というアメリカの文化を象徴する抽象表現主義を援助していたという、美術工作も影響しています。
このように、抽象表現主義とは大戦前後の人口移動に伴うアートシーンの場の推移、そしてアメリカの政治とが深く関わった大規模な美術運動であったということができます。
抽象表現主義を紐解くキーワード
抽象表現主義の絵画作品を紐解くためには、以下のキーワードが重要となります。
- 抽象(イリュージョンの廃止)
- アクション
- カラーフィールド
- オールオーバー
では、ひとつずつ解説していきましょう。
「抽象」とは
「抽象表現主義」の最大の特徴である「抽象」という要素は、モダニズムの最たる影響といえるもの。モダニズムは20世紀のヨーロッパで、保守的、伝統的な写実主義絵画に対抗、あるいは反抗する形で生まれ、その「非具象的(アンフォルム)」な美術の傾向は現代アートにも続いています。
また、抽象表現主義はシュルレアリスムの潜在意識の世界、オートマティスム(精神自動筆記)の影響を強く受けた、精神や感情など抽象的な事象の表現ということもできます。抽象表現主義の画家たちは単にめちゃくちゃに筆を走らせたり色を置いているだけなのではなく、元来の絵画と同じく「対象」を表現しているのです。ただ、その表現も無意識的な動作を含み、言語化して説明のできないことがほとんどです。
アクション・ペインティング
抽象表現主義の作家であるジャクソン・ポロック、そしてウィレム・デ・クーニングの絵画に見られる概念で代表的であるものといえば、「アクション・ペインティング」という要素です。
アクション・ペインティングとは、絵筆を使用したり絵の具を用いるときに身体を使った動作が伴う画法のことで、美術批評家のハロルド・ローゼンバーグが発表した「アメリカのアクション・ペインターたち」という論文で提唱されたもの。その名の通り「アクション」を通じて描かれることで、絵画上に残る作者の動作の軌跡、また絵の具などの素材と画家との緊張した関係が明らかになります。
アクション・ペインティングは抽象表現主義だけの特徴ではなく、日本美術では具体美術協会の作品にこの傾向が見られます。
カラーフィールド・ペインティング
アクション・ペインティングとは異なり、カラーフィールド・ペインティングは筆跡や絵の具の立体感を残さず、平坦な色彩で巨大なキャンバスの画面全体を覆うもの。その「面」は何か具体的なイメージを形作ることはなく、鑑賞者の前に圧倒的な色彩を提示し包囲するような効果を与えます。
抽象表現主義におけるアクション・ペインティング、そしてカラーフィールド・ペインティングの属性は作家が同時に保持することはなく、両者とも個別の表現方法として抽象表現主義の枠組みの中に収まるものです。
カラーフィールド・ペインティングは、ローゼンバーグと並んで抽象表現主義の美術運動をさらに活性化させた美術評論家のクレメント・グリーンバーグが使用した言葉。バーネット・ニューマンの作品を評価し解説するために「色彩」を用いて「場」を出現させる、という意で用いられました。
グリーンバーグはまた、ローゼンバーグの提唱したアクション・ペインティングに対して、絵画を制作する「行為」よりも絵画の「形式(フォーム)」を重んじるべきとし、「フォーマリズム」という立場を推し進めました。
オールオーバー
抽象表現主義は、ヨーロッパ絵画の伝統的な手法である「イリュージョン」という、パースや色彩を用いた空間操作や立体的な描写によりそこに無いものをあたかもそこにあるように画面上を構成する絵画を廃しました。そして抽象表現主義の絵画には「オールオーバー」と呼ばれる特徴があります。
オールオーバーといわれる画面は、静物画や肖像画のように絵画の中心となるモチーフや焦点、またパースや色彩を用いた空間描写や立体的な構成がなく、画面全体を均質的で平坦な表現で覆ったもの。キャンバスの外まで画面が続いているかのように思わせるポロックの絵画のように、色彩をバランスよく配置する手法です。
このオールオーバーの表現をみせる抽象表現主義において、イリュージョンを否定し、絵画の本質を「キャンバスに乗った絵の具である」として捉えることは、形態や色彩の純粋さを追求するミニマルアートへと続くアメリカ現代美術の始まりであるといえるでしょう。
抽象表現主義の画家たち
ここから、抽象表現主義を代表する作家を紹介していきます。
抽象表現主義の中でもアクション・ペインティングを代表するデ・クーニングやポロック、そしてカラーフィールド・ペインティングを代表するニューマンやロスコらの作品について知り、ニューヨークを世界の美術の中心地たらしめた抽象表現主義のアートについて把握しましょう。
ジャクソン・ポロック
ジャクソン・ポロックは抽象表現主義の作家の中でも最も有名なアーティストの一人でしょう。キャンバスを床に置き、上から絵筆を用いて絵の具を垂らして線を描いたり、絵の具を飛ばしたり落とすことで色彩を画面上に配置する「ポーリング」「ドリッピング」という手法をもって、抽象的でオールオーバーな画面を手がけました。
ジャクソン・ポロックは1912年にアメリカ、ワイオミング州出身で、第二次世界大戦中にヨーロッパから亡命していたシュルレアリストたちとの交流をきっかけに、シュルレアリスムの影響を受けました。ポロックによるポーリング、ドリッピングのような間接的な手法による描画は、無意識的なイメージを汲み取るシュルレアリスムの影響を思わせます。
また美術評論家のグリーンバーグ、ローゼンバーグとの交流は深く、この両名によりポロックは世界的に有名な抽象表現主義絵画の巨頭となったといっても過言ではありません。抽象表現主義、並びにアクション・ペインティングを代表する画家として、現在でも美術評論の題目となることの多いアーティストです。
ウィレム・デ・クーニング
ウィレム・デ・クーニングは1904年にオランダのロッテルダムで生まれ、1926年にイギリス貨物線でアメリカに密航しました。ニューヨークに滞在し、アートコミュニティーに参加し現地で活躍する作家たちと交流するなかアルメニアの画家で抽象表現主義に影響を与えたアーシル・ゴーキーに師事したといいます。
デ・クーニングの絵画はポロックとは異なり、代表的な作品は「女」というテーマとモチーフを持ったもの。しかし荒々しくほとばしるように筆を走らせた画面は非常に抽象的であり、具象的なイメージとは裏腹に、色彩構成と幾何学的な図形を組み合わせたような画面で、鑑賞者の意識を中心的な人物の描写よりも画面外へと向かわせるような作品もみられます。
デ・クーニングの女性ポートレートシリーズはその後の新表現主義に近く、より抽象表現主義の作品として重要視するべきは1940年代後半にみられる白黒の絵画シリーズをはじめとする《無題》のシリーズです。
また、デ・クーニングの代表作《インターチェンジ》は世界で最も高額な絵画のひとつとされています
バーネット・ニューマン
「崇高」な抽象表現主義絵画として知られるバーネット・ニューマンは、単色または限られた色彩を用いたカラーフィールド・ペインティングの代表的な画家です。
ニューマンは1905年、ユダヤ系移民の子としてニューヨークに生まれました。ニューマンの絵画は「Zip」と呼ばれる細い縦の垂直線が現れた絵画が特徴であり、50年代を中心としてみられる《アブラハム》《アダムとイヴ》など旧約聖書に由来する題名の作品と合間って、その作品からはどこか教会のような、宗教的な印象を感じられます。
故に「崇高な絵画」として現代でも絶大な支持を誇りますが、グリーンバーグの推薦も虚しく生前の評価は高くありませんでした。しかし、のちのミニマル・アートにも影響を与えた画家として、美術史上でも重要な人物として数えられています。
マーク・ロスコ
マーク・ロスコは1905年にロシア帝国領のラトビアにユダヤ系ロシア人として生まれました。高度なユダヤ教教育によりラトビア時代にも高い教養を身につけ、家族でアメリカに亡命し1925年からニューヨークのパーソンズ美術大学にて前衛芸術を学びました。
ヨーロッパの前衛芸術運動に関わり、アメリカ・モダニズムの先駆的な存在であったマックス・ウェーバーの指導のもと、ロスコは自身のスタイルを確立していきます。
バーネット・ニューマンと並んでカラーフィールド・ペインティング、また神の存在を感じさせる「崇高なる」絵画を手がけたひとりと数えられていますが、ロスコは精神的支柱であった父ヤコブの亡き後、ユダヤ教との関わりを断絶しました。
よってロスコの絵画を「崇高」と捉えるならばその表現はユダヤ教的な要素からくるものではなく、あるところで神秘主義的であるといえるでしょう。またロスコの手がけるカラーフィールド・ペインティング以外の抽象およびシュレアル的絵画は、ロスコが傾倒したニーチェの影響も兼ねて神話的イメージやシンボルを駆使した神秘的なものとなっています。
ロスコの色彩を用いた抽象的な絵画も、スピリチュアリズムや西洋を基盤とした包括的な神話、および宗教感情を元に表現したもの。ロスコは抽象表現主義という枠組みに加えられることを嫌いましたが、ニューマンのライバル的な抽象表現主義の作家として、その作品は現代でも絶大に支持されています。
まとめ
抽象表現主義は感情表現のアートと捉えられますが、その背景はデ・クーニングなどの身体的な勢いで描かれる作品を除いて、綿密な計画、そして宗教感情を含めたそれぞれの作家の確固たる思想の元に制作される、知的な表現です。
印象主義あたりを美術の基礎と考えていると抽象表現主義はなかなか理解しがたいものかもしれませんが、その内容を紐解けば、より精神的で高度な芸術表現であることがわかります。
抽象表現主義は1960年以降衰退していきますが、その影響はミニマリズムに継承されています。アメリカ・ニューヨークを中心とするハイアートとしては抽象表現主義、そしてミニマルアートが代表的であり、どちらも鑑賞にある程度の学びが必要ですから、事前に知識を得ることで、より深い鑑賞が実現するでしょう。