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【2019】バスキア展の見どころを美術ライターが解説

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【2019】バスキア展の見どころを美術ライターが解説
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2017年、ZOZOTOWNの前澤社長が123億円という破格でその作品を落札したことで、日本でも世に知られることになったアーティスト、ジャン=ミシェル=バスキア。2019年、その展覧会である「バスキア展」が開催されます。

バスキアは、27歳という若さで閉じたその生涯の中で、ニューヨークにおける重要なアーティストとしての地位を占めました。バスキア展を鑑賞する前に、彼に関する知識をつかんでおきましょう。

国際的に名の知れた新表現主義の作家であるバスキアの生い立ちや人物像はどのようなものなのでしょうか?そして、バスキア展の見どころについて紹介していきます。

バスキアとは?生い立ちを紹介


ジャン=ミシェル・バスキア(Jean=Michiel Basquiat)は1960年12月22日、ニューヨークのブルックリンに生まれたハイチ系アメリカ人。その生涯は27年と短い命でありましたが、絵画作品とドローイングを含めた4000点以上の作品を残しています。

バスキアが活躍した80年代のアメリカ、ニューヨークの治安は、当時「全米で最悪」と言われていました。現代では治安も改善され都市の美化も進み、観光客も安心して歩き回れるクリーンな地域となっていますが、当時の地下鉄やスラム街はグラフィティアートにまみれていたといいます。

グラフィティ・アートから世に名が知られるアーティストとして有名になったニューヨークの作家にはキース・ヘリング(1958-1990)がまず挙げられますが、バスキアもそのグラフィティから一躍出世した人物なのです。

1980年代はまた、まだ公民権運動の残渣がニューヨークに漂い、人種間対立も現代より深かった時代。当時のニューヨークのアートシーンは主に白人男性のアーティストが台頭していたため、バスキアは「黒人アーティスト」というレッテルを貼られます。

しかし、バスキア自身は「黒人アーティスト」と呼ばれることを忌避しました。たしかに、ハイチとプエルトリコにルーツを持つバスキアは黒人文化を芸術表現に用いることができましたが、よく「黒人」の表現とみなされているブラック・アフリカンとは異なり、バスキアはどちらかというと南米のルーツであるため、誤解されがちな点でもあります。アートスクールなどといった正規の美術教育を受けていないバスキアを、ニューヨークを代表するアーティストとして手助けし、押し上げたのはヘリング、ウォーホールなどといった白人のアーティストでした。ヨーロッパ系白人アーティストの停滞していた芸術の風潮の中で、バスキアの存在はその出自や若さと才能をもってその当時のアートに風穴を開けたのです。

影響を与えたアーティスト

バスキアのアートシーンへの介入を手助けし、アーティストとして最も交流が深かったといわれているのが、ポップアートの世界でニューヨークに名を馳せたアンディー・ウォーホール(1928-1987)です。

ウォーホールは、60年代を象徴するアイドルであった女優のマリリン・モンローや、労働者の食事の象徴的存在であったキャンベルスープの缶をモチーフとしてシルクスクリーン・プリントの作品を手がけたポップアーティスト。

バスキアとウォーホールは1983年に出会います。2人の間には実に32歳という年の差がありましたが、ウォーホールはバスキアの支援者、そしてライバルのアーティストとして交流が深かったといいます。

1985年にはバスキアとウォーホールの合同展覧会があり、共同制作したという、2人がボクサーに扮した写真のポスターは2人の交流の証拠として、ニューヨークではとても有名。ほかにも。2人のツーショット写真が複数残されています。

芸術家には有名であるがゆえの孤独というものがあり、バスキアもその苦痛に悩まされていたアーティストの1人。彼のよき理解者であったウォーホールの死後、バスキアは薬物依存症にさらに溺れ、1988年にヘロインの過剰摂取により死去しました。それほどまでに、ウォーホールはバスキアにとって重要な人物だったといえます

作風

バスキアのアーティストとしてのルーツは、もともとストリートアーティストで、ニューヨークのスラムや地下鉄でグラフィティーアートの活動をしていました。そうした、10代の頃のアンダーグラウンドのシーンでの芸術的な活躍がキース・へリングら有名作家の目に留まり、ニューヨークのギャラリーで個展を開くことに。そうして、バスキアは一流アーティストとして名を上げることとなったのです。

80年代にはバスキアの絵画は「新表現主義(Neo-expressionism)」という芸術運動で中心的な立ち位置を占めます。

「新表現主義」とは、それまでの停滞気味であった白人至上主義的なアートやミニマリズム、コンセプチュアルアートなどのインテリジェンスで難解な芸術の流れに対し、原色を用いた感情的でダイナミックな肖像画や、男性的な暴力性の表現など、抽象表現に立ち返りつつも、アメリカのアートシーンを覆すための手法として使われました。

それまでの白人主義的なアカデミックな場ではなく、ニューヨークのスラム出身のアーティストであるバスキアが、その新表現主義のシーンにどれほど貴重な存在であったかが伺えます。

バスキアの絵画の主題として多く見られるのが、抽象化された髑髏や、古代美術のように簡易化されたフォルムの男性像です。また、コミックやアニメのワンシーンのような図像や、文字も絵画に多く取り入れられています。

また、バスキアは南米に人種的ルーツがあり、髑髏などのモチーフはインカ・マヤ・アステカの古代芸術を思わせます。しかし、ニューヨークで生まれ育ち、白人のアーティストの支援を、また影響を受けながら芸術家のとしての地位を得たバスキアの芯になるルーツとしては、スラムのグラフィティー・アーティストであることには違いないでしょう。

バスキア展の見どころ~基本情報~

【バスキア展(Jean=Michiel Basquiat EXHIBITION)】

会期2019年9月21日(土) − 11月17日(日) (9月24日(火)休館)
開館時間10:00 − 20:00 (9月25日、26日、10月21日は17時閉館)

会場:森アーツセンターギャラリー
   東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー

チケット料金:一般2,100円、大学/高校生1,600円、中学/小学生1,100円
特典付き前売り券:5月28日〜販売

協賛:損保ジャパン日本興和
特別協賛:ZOZO

キュレーター:ディーター・ブッフハート
日本側監修:宮下 規久郎
アソシエイト・キュレーター:アナ・カリーナ・ホフバウアー、小野田 裕子

バスキア展は、その絵画を落札した前澤友作代表取締役率いるZOZOTOWNが特別協賛に入っています。

展覧会の「キュレーター」というのは、その展示の趣旨を決める監督のことであり、企画や構成、運営などのリーダーとなる学芸員のこと。バスキア展のキュレーターであるディーター・ブッフハートはバスキア研究の世界的権威であり、日本側監修の宮下規久郎は神戸大学の教授、美術史家。宮下は1996年の『アンディ・ウォーホル 1956-86:時代の鏡』展の企画にも参加している。

展示作品

今回、バスキア展で誰もが気になる作品といえば、ZOZOTOWNの前澤社長が破格の値段で落札した絵画なのではないでしょうか。

1982年に描かれた『無題(Untitled)』という作品ですが、鮮やかなブルーに叫び声をあげるような黒い髑髏が大胆に描かれています。その作品も今回のバスキア展で展示されますので、見どころの一つとして大きな注目を集めることが予想されます。

そのほか、1982年に描かれた『Napoleon』、1983年の『Onion Gum』など。バスキアはその短い生涯の中で寝食を忘れるほど大量の作品を残しており、今回はその中でも約130の作品が一挙公開。そのボリュームはパリで開催されたバスキア展に匹敵するほどだといいます。

バスキアの作品は絵画やドローイングがメインとして知られていますが、今回のバスキア展では立体作品や映像作品も見ることができます。

押さえておきたいポイント

バスキア展の鑑賞の仕方について、押さえておきたいポイントは3つ。

  • バスキアが先導したアメリカ新表現主義の影響
  • 「挑発的二分法」の表現
  • 差別問題や黒人ならではのテーマ性

これらのうち、まずアメリカの新表現主義について把握しておきましょう。

新表現主義は、台頭するまでアメリカで停滞していた、難解でアカデミックな白人至上主義的なインテリのアートを打ち破る形で現れた芸術運動です。それまで高所得層を中心として好まれていたハイ・アートの世界よりも、原始的な印象をもちつつ伝統性も持ち合わせた抽象表現として歓迎されました。

バスキアはその新表現主義を、燃えるようなエネルギッシュな精神力で押し上げた人物。その片鱗を、バスキア展にて感じ取りましょう。

次に、「挑発的二分法」について。バスキアはその表現手法として、「富と貧困」などの対立関係にある概念を用いて、社会批判をその作品に込めています。また、たびたび詩を絵画上に表現していますが、人種差別や植民地支配に関する言及などを含んでおり、バスキアが非常に政治的な観点を持っていたことがわかります。

バスキア自身も、黒人であり、80年代のニューヨークを生きたアーティストとして、政治批判の態度はむしろテーマ性として必然的な要素であったことが、この「挑発的二分法」という二項対立の要素に伺えるでしょう。

最後に、黒人アーティストとしてのテーマ性ですが、バスキアは「黒人アーティスト」と見なされることを嫌い、そもそも彼を支援していたのがほとんど白人のアーティストであったこともあり、絵画としてバスキアに黒人の部族的な芸術を期待していると肩透かしに合う部分も想定されます。

バスキア自身のルーツはハイチ系とプエルト・リコ系の移民の両親を持つ南米系の人種ですが、このバスキア展の日本側監修である宮下規久郎は、アフリカ彫刻などのブラック・アフリカンの影響を指摘しています。

アフリカの黒人芸術の影響は、元はモダニズムの時代に大いに注目されたものであり、アメリカのアカデミックなアートシーンでも誰もが知る歴史です。白人のアーティストに支援をされ、影響を受けたバスキアは、ブラック・アフリカンの影響があるとしたら、自身の中の黒人としてのルーツよりも、知人や友人のアーティストを通して逆輸入的にそのエッセンスを持ち合わせている、ということも考えられます。

これらのような背景を事前に知ることで、美術鑑賞はより深みを増します。また、バスキアは過去に日本を訪れたこともあり、その影響を今回のバスキア展で見られる『Onion Gum』などの作品に伺えるかもしれません。
バスキア展の見どころ まとめ
バスキアは、その27年という短い生涯を、まるで自身の魂を燃やすかように、情熱的に美術制作にかけた人物でした。

バスキア展では、新表現主義という新しいニューヨークのアートの歴史を切り開いた、その自由な魂を感じることができるでしょう。

暴力的で、挑発的、見ているこちらがおとなしく立っていられなくなるようなエネルギーがその絵画からは感じられます。そして、バスキアが批判していた、人種差別や社会的格差などといった理不尽についても、その作品を通して考えさせられるのではないでしょうか。

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