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2019年の前期、インスタレーションを中心として美術作品を展開する作家のクリスチャン・ボルタンスキーの展覧会が、都内の国立新美術館を中心に、大阪・中之島の国立国際美術館と長崎県美術館を巡回して行われました。クリスチャン・ボルタンスキー展『Lifetime』−「一生」という意味を掲げられた展示は混雑し、日本中の人がクリスチャン・ボルタンスキーの「亡霊」の世界に没入したのです。
そのクリスチャンボルタンスキーという人物がどのようなアーティストであるのか、『Lifetime』を中心とした作品、そして代表作やインタビュー集、また瀬戸内海に浮かぶアートの地・豊島の美術館との関係を紐解いていきましょう。
目次
クリスチャン・ボルタンスキーというアーティスト
クリスチャン・ボルタンスキー(Christian Boltanski)は、映像やミクストメディア(あらゆるモノを使った作品)、またインスタレーションを制作しているアーティストです。1970年代からドイツの芸術祭であるドクメンタやヴェネチア・ビエンナーレなどの世界的に重要な国際美術展に招待され、日本では90年代から瀬戸内ビエンナーレに出展しています。その作品はどこか日本の死生観とも重なる点があり、その美術館や展示会場と一体化した展示に踏み入れば、何か懐かしい感情に満たされるでしょう。
クリスチャン・ボルタンスキーは1944年、ナチスドイツ占領下のフランス・パリに生まれました。コルシカの斜陽族であった母とユダヤ人の父は戦時中、ホロコーストを逃れるために離婚を偽装し、母は密かに父のことを床下にかくまっていたといいます。クリスチャン・ボルタンスキーが生まれたのは、その両親の計画離婚の最中です。
幸運にも、クリスチャン・ボルタンスキー自身とその父は強制収容所を免れましたが、両親の元を訪れる親戚が語る、リアリティーのある恐怖に満ちたホロコーストの経験が、その家族や幼少期のクリスチャン・ボルタンスキーにとっても大きなトラウマとなっていきます。
その経験が、クリスチャン・ボルタンスキーの作品に最も影響しているといえるでしょう。知的な家族の後押しもあり、クリスチャン・ボルタンスキーはアーティストの道へ進む事を決心。20歳ごろに画廊の勤務を経験し、映像作品を中心としてアート制作を続けます。
初個展は1968年の5月、自主制作映画の《クリスチャン・ボルタンスキーの不可能な人生》とそれに登場したひと型、絵画、などをラヌラグ映画館で展示しました。映画の内容は、俳優と「ひと型」がコミュニケーションをするというシュレアルなもの。
クリスチャン・ボルタンスキーの作品は、全体を通して20世紀のモダニズム美術の枠にははまらず、《モニュメント》などはむしろルネサンス以前の宗教画や彫刻などといった趣旨に近いものがあります。クリスチャン・ボルタンスキーも芸術において普遍的なテーマである「死」というものを扱いますが、概念的なものよりも「生きていた誰かの死」「私たちに起こりうる死」といった具体的な「死」をより想起させるのがその作品の特徴。
作品《モニュメント》のシリーズは、フレームに入った無名の人々のポートレート(胸像写真)とパネルが壁面に設置され、さらに電球で囲み祭壇のようにあつらえたもの。初期キリスト教美術のような、もしくは「無宗教の宗教」といえた様相のインスタレーションです。
クリスチャン・ボルタンスキーはその作品に度々、無名の人々の写真を利用します。遺影のような白黒の写真で、暗くにじむ陰影が根源的な恐怖を催しつつ、触れてはいけない崇高な世界観を放ち、私たちが持つ避けられない「死」に至るまでの時間、そして人間の残酷性を示唆しています。
2019年、大阪の国立国際美術館から六本木の国立新美術館、長崎県立美術館の3館を巡礼した最新の展示『Lifetime』は、クリスチャン・ボルタンスキーの回顧展でした。展示場に入って一番最初に目にする映像作品の《咳をする男》はクリスチャン・ボルタンスキーが制作した最初期のものですが、苦しそうに血反吐を吐き続ける男性の映像はナチスドイツのホロコーストの記憶を思い起こさせ、美術館を訪れた来場者にショックを与えたことでしょう。
『Lifetime』に展示された作品はそのほかに、1970年に制作された、ボルタンスキーが子供の頃使用していた靴をモデルにした《1951年にクリスチャン・ボルタンスキーが所有していた一組の長靴の粘土による復元の試み》から、クリスチャン・ボルタンスキー自身が生きる時間を刻み続け、その死の瞬間に止まるとされている2013年制作のカウンター《最後の時》、そして東京展のために制作された、影絵が浮かび上がる回廊のような《幽霊の廊下》は国立新美術館でのみ見ることができました。
そして、代表的な作品の一つである《アニミタス》の映像も展示されていました。『Lifetime』で展示された《アニミタス(白)》は、カナダ北部の厳しい自然の中で撮影された10時間にも及ぶ映像作品ですが、そのモデルである実物のインスタレーションはすでに撤去され、現在は映像のみが存在しています。クリスチャン・ボルタンスキーはこの《アニミタス(白)》の作品を、実物ではなく「イメージ」および「神話」として残そうとしたのです。
展覧会『Lifetime』はクリスチャン・ボルタンスキーの回顧展として、最初期の作品から最新の作品までを追う大規模なもの。来場者は、まるで美術館の展示室を埋め尽くしたボルタンスキーの「亡霊」の世界を巡礼するように会場をめぐり、見終わる頃には自分、そして他者の生身の存在、そしていずれ訪れる「死」という概念について考えさせられたことでしょう。
代表作品「アニミタスii」
クリスチャン・ボルタンスキーの代表的作品《アニミタス》シリーズは、2019年の国立新美術館で行なわれた回顧展『Lifetime』で展示された《アニミタス(白)》のほか、近年だと2016年に東京・表参道のエルパス・ルイ・ヴィトンで開催された展覧会『CRISTIAN BOLTANSKI ANIMITAS II』にて展示された《アニミタス(死せる母たち)》そして《アニミタス(ささやきの森)》、また同年、東京都庭園美術館の個展『アニミタス_さざめく亡霊たち』で展示された《アニミタス》などの映像作品でも展開されています。
「アニミタ」とは、スペイン語で「小さな魂」という意味。魑魅魍魎といったような、日本の宗教観とどこか共通するイメージを持ったこのシリーズは、砂漠や平原などのいずれも人里離れた野外の広大な土地で作成したインスタレーションを映像としたものです。地面から生えたような無数の細い棒の先に、小さな風鈴がついており、風に吹かれてしなることで、それぞれがリンリン、と、小さな、静かな音を立てます。
《アニミタス》のシリーズは、チリのアタカマ砂漠や豊島、死海で撮影されました。人のいない開けた土地で密かに揺れるインスタレーションの映像は、さながら死後の世界を想像させるよう。その、生きている人間は誰も見たことのないはずの景色は、どうしてか鑑賞者たちの間で共通したイメージを起こします。これらがインスタレーション作品としてではなく、映像作品として、触れることのできる現実から引き離されたことで、よりその「イメージ」である存在感が強くなるでしょう。
ただひとつだけ、《アニミタス》のインスタレーションは豊島に《ささやきの森》という作品として保存されており、常設されているのでいつでも見に行くことができます。発表当時にクリスチャン・ボルタンスキーの構想したイベントにおいて、この《アニミタス》の風鈴の柵のひとつひとつには、来場者が亡くした大切な人の名前が書かれています。
《アニミタス》を、映像として「遠く」から見るのではなく、インスタレーションの中に自分の身を置けば、クリスチャン・ボルタンスキーの作り出したその霊感的な体験も、より身近になるかもしれません。
ボルタンスキーと豊島の関係
クリスチャン・ボルタンスキーは、「ベネッセアートサイト直島」という、株式会社ベネッセホールディングスが中心となって瀬戸内の直島、豊島、犬島で展開するアート活動に関わっています。それが、まず《ささやきの森》そして「心臓音のアーカイブ」です。
「心臓音のアーカイブ」は2008年から開始したプロジェクトであり、またクリスチャン・ボルタンスキー自身が集めた世界中の人々の心臓の拍動音を保存するための美術館の名前でもあります。
「美術館」といえばアートを鑑賞し、芸術を学習する場ですから、世界のどこかにいる、あるいは「いた」誰かの心臓の音を聞くというのは、ややおかしな気がしますよね。しかし、そうして「自己と他者」の死生観をつないでみる試みこそがクリスチャン・ボルタンスキーの目論見であり、作品なのです。
穏やかな瀬戸内海の豊島美術館から東へ港を通り、豊島の端の海に面したこの美術館。力強く、あるいは物静かに鼓動する、自分以外の誰かの心臓の音を聞けば、一体人々はどのような感想を抱くのでしょうか。
また、「心臓音のアーカイブ」では、誰かの鼓動を聞くだけではなく、自分の鼓動も録音、保管することができ、もしかすると自分の知らない誰かが自分の死後、その音を聞くかもしれません。クリスチャン・ボルタンスキーの描いた世界の、気味悪くもあり、何故か泣きたくなるような、異色の美術館です。
この美術館では、クリスチャン・ボルタンスキーの関連グッズも販売されています。瀬戸内ビエンナーレの時以外にも、瀬戸内を訪れた際には豊島の美術館「心臓音のアーカイブ」をぜひ体験してみてください。
インタビュー集『クリスチャン・ボルタンスキーの可能な人生』の情報
クリスチャンボルタンスキー展『Lifetime』では、その展覧会に合わせて作品集も販売されました。ボルタンスキーの回顧録でもあるこの作品集は、Amazonでも入手可能。
また、Amazonにはクリスチャン・ボルタンスキー関連の書籍をほかにもみることができ、ほかにも旧朝香宮邸で行われた東京での初個展『アニミタス −ささやく亡霊たち−』の図録や、海外のペーパーバックでクリスチャン・ボルタンスキーを紹介する『Christian Boltanski』という本も手に入ります。
なかでも、特に注目したいのが、インタビュー集である『クリスチャン・ボルタンスキーの可能な人生』というもの。そのタイトルは、クリスチャン・ボルタンスキーが自身の初個展で展開した映画《クリスチャン・ボルタンスキーの不可能な人生》にちなんでいます。
2010年に発売されたこの本は、クリスチャン・ボルタンスキーという、アートの世界でも特異な作家について気になる人、その死生観や美術に対する感覚について知りたい人は必ず手に入れたい一冊です。
この本はフランス・ポンピドゥー・センターの現代アートコレクションの責任者でもあったキュレーターのぐるニエ・カトリーヌ編集、翻訳者はクリスチャン・ボルタンスキーのドキュメント・フィルムを作成した佐藤京子。濃密なインタビューの内容にて、クリスチャン・ボルタンスキーのアート論を把握することができるでしょう。
クリスチャン・ボルタンスキーの作品には、時々グロテスクであったり、暴力的な表現も見られます。しかしこのインタビュー集を読めば、いかにそれが誤解であるかもわかります。
現代において、世界中で「アート」というものがどうあるべきか、特にここ近年の日本では繊細な話題ですが、クリスチャン・ボルタンスキーの意見を知ることで、その世界観も変わるかもしれません。
まとめ
幼少時にナチス・ドイツのホロコーストの恐怖を聞き続けたクリスチャン・ボルタンスキーは、無名の人々の「記憶」をその作品の根底に据えたアーティストです。または、死者の声を聞くアーティストともいえるのではないでしょうか。
2019年に日本の美術館3館で開催された回顧展『Lifetime』にも展示されたクリスチャン・ボルタンスキーの作品《死者のモニュメント》は、英語に直すと「Memorial Shrine」となり、別の日本語で翻訳すれば「記憶の祠」ということもできます。私たちが死後、残すものは遺体よりも「記憶」が重要なのであり、それは生者によって受け継がれるものであるということに気づかされるでしょう。
クリスチャン・ボルタンスキーの作品を通して、自分に残された時間をどう生きるか、静かな場所でゆっくりと考えてみたいものです。