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『記憶の固執』(The Persistence of Memory)(1931)
MoMA所蔵
ぐにゃぐにゃと柔らかい変形した時計が印象的な、サルバドール・ダリ作の絵画『記憶の固執』。
誰でも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか?
作者サルバドール・ダリは生前、数多くの芸術作品を残しており、1948年(当時38歳)に発表した自伝では、自らの生涯を解説しています。
Dali’s Mustache – Photo by Philippe Halsman
中でも今回ご紹介する『記憶の固執』(英語訳:The Persistence of Memory)(1931)は、ダリの思想が隅々まで散りばめられた作品だといえます。
今回は、サルバドール・ダリの代表作『記憶の固執』(The Persistence of Memory)(1931)をもとに、天才シュルレアリスム画家サルバドール・ダリの思想の解説をしていきます。
『記憶の固執』と合わせて他の作品も見ていきましょう!
『記憶の固執』の象徴「柔らかい時計」
『記憶の固執』(The Persistence of Memory)(1931)に描かれた3つの柔らかい時計
この伸びているように見える、柔らかそうな時計。
これは、「柔らかさ」と「硬さ」の理論を表現したもので、この理論はシュルレアリスム画家としてのサルバドール・ダリの思考の中心でした。
この「柔らかい時計」には、諸説ありますが、中でも有名な3説を紹介します。
アインシュタインの特殊相対性理論の支持を否定
ひとつはダリがこの時計を用いて、アインシュタインの特殊相対性理論によって、理解した世界をこの『記憶の固執』という絵画で表現した説です。
「柔らかい時計」は空間と時間の相対性の無意識の象徴であり、これはシュルレアリスト持つ宇宙秩序に関する重要な瞑想といえます。
しかしダリがこの時計について聞かれた際、「太陽に照らされて溶けるカマンベールチーズだ!」と答えているので、この説に否定的なのは明らか。
「カマンベールチーズがこの作品『記憶の固執』(時計)とどう関係あるの?」って思いますよね…。
時計カマンベールチーズ説について考えていきましょう。
『記憶の固執』(1931)と「溶けるカマンベールチーズ」の関係を解説!
時計カマンベールチーズ説。
こちらは溶けるカマンベールチーズを見てこの時計のインスピレーションを受けたという説。
この作品が「溶ける時計」という異名を持つのは、これが由来しているのかもしれません。
この説の線から行くと、可食的なものへの執着が見られます。
ダリの故郷である、カタルーニャの人々は、自分が食べ、聞き、触り、嗅ぎ、見ることができるものしか信用しないと言われているそうです。
ダリのほとんどの作品から、故郷カタルーニャの面影や影響がうかがえるので、この「柔らかい時計」もダリがカタルーニャ人だということが由来しているのかもしれません。
ダリの作品にはたびたびチーズのモチーフが登場しますが、チーズについてダリは、「キリストはチーズのようなものだ。それもチーズの山だ。」と聖アウグスティヌスの言葉を自分流に置き換え言及しました。
ちなみに、キリストに関する作品も残しています。
『The Enigma of My Desire or My Mother, My Mother, My Mother』(1929)
https://www.wikiart.org/en/salvador-dali/the-enigma-of-my-desire-or-my-mother-my-mother-my-mother-1929
(チーズをモチーフにした作品)
『The Enigma of My Desire or My Mother, My Mother, My Mother』(1929)
https://www.wikiart.org/en/salvador-dali/christ-of-st-john-of-the-cross-1951
(キリストが描かれた作品)
『記憶の固執』での「柔らかい時計」は、性的不安への固執を具現化したもの
ダリはEDであったために「柔らかさ」と「硬さ」に執着していたそうです。
「柔らかさ」と「硬さ」に執着していたために、硬い時計をあたかも柔らかくしなっているように描いたともいわれています。
そうした性的なコンプレックスや興味も、作品に多くからみることができます。
『Young Virgin Auto-Sodomized by the Horns of Her Own Chastity』(1954)
https://www.wikiart.org/en/salvador-dali/young-virgin-auto-sodomized-by-the-horns-of-her-own-chastity
(硬い男性器のモチーフが描かれている)
『anthropomorphic bread』(1944)
https://www.wikiart.org/en/salvador-dali/anthropomorphic-bread
(パンと男性器のダブルイメージ。パンも男性器も柔らかい状態から次第に硬くなっているという点で類似している)
『記憶の固執』中に3つも描かれている、「柔らかい時計」に関するこのような事実から、ダリが自分の性的機能に不安を持っていたことと、カマンベールからインスピレーションを受けていることがわかりました。
「怪物」が教えてくれる、ダリに影響を与えた偉人
『記憶の固執』(The Persistence of Memory)(1931)に描かれた「怪物」
これ、始めて見たときに「なんだろう…」と思った方、多いのではないでしょうか?
『記憶の固執』だけでなく、数々のサルバドール・ダリ作品に頻繁に登場し、ダリの自画像とも言われているこの怪物。
この怪物からは、ダリが影響を受けた偉人を知ることができます。
ヒエロニムス・ボスからのインスピレーション
ルネサンス期のネーデルランドの画家ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)の『快楽の園』(Garden of Earthly Delights)(1503-1504)からインスピレーションを受け、オマージュされたものだということが明らかになっています。
『Garden of Earthly Delights』(1503-1504)
『Garden of Earthly Delights』(1503-1504)
『Garden of Earthly Delights』(1503-1504)からダリが怪物にオマージュしたと思われる部分
https://www.wikiart.org/en/hieronymus-bosch/the-garden-of-earthly-delights-1515-7
確かに長いまつげや髭なんか特に似ていますよね!
そして生前、ダリはこのような名言を残しています。
Those who do not want to imitate anything, produce nothing.
なにも模写したくないと思うものは、何も生み出さない。
ーサルバドール・ダリ
https://www.goodreads.com/quotes/340919-those-who-do-not-want-to-imitate-anything-produce-nothing
ボスの作品のオマージュさえも自分の代表作となってしまったダリの言葉です。
納得、そして圧巻。
眠っている「怪物」はダリ自身?フロイトを支持している証拠
ダリの作品に登場するこの「怪物」の質感、色のコントラストやトーンから、人間の顔と認識することができます。
『記憶の固執』に描かれている「怪物」なんて特にそうですよね!
時計に覆われ、長いまつげを生やした目を閉じて横になっているこの怪物…
眠っているように見えませんか?
夢の中にいるのでしょうか。
1927年(当時23歳)、ダリはジークムント・フロイトの精神分析学を読んだそうです。
その中にある夢解析からインスピレーションを受け、『記憶の固執』中で「自分自身が経験した夢」を表現していることを示唆しているとも考えられます。
自画像だとしたら納得ですよね。
『Playing in the Dark』(1929)
https://www.wikiart.org/en/salvador-dali/playing-in-the-dark
サルバドール・ダリの故郷スペイン、カタルーニャへの愛
『記憶の固執』(The Persistence of Memory)(1931)に描かれた岩
『記憶の固執』には、右上に鋭く尖った岩が描かれています。
この岩は、ダリの故郷であるカタルーニャ北東部のクレウス半島の先端がイメージされているそうです。
故郷カタルーニャでの生活風景は、ダリに大きく影響を与えており、多くの作品に登場しています。
『記憶の固執』と並ぶダリの代表作のひとつである、『大自慰者』(The Great Masturbator)(1929)の下を向いているゆがんだ顔も、クレウス半島の岩をイメージしていると言われています。
『大自慰者』(The Great Masturbator)(1929)
https://www.wikiart.org/en/salvador-dali/the-great-masturbator-1929
そしてダリは、最愛の妻ガラとカタルーニャのカダケスで晩年を過ごしました。
『記憶の固執』の前景に描かれた巨大な影は、カダケスから見えるパニ山の影だそうです。
『記憶の固執』(The Persistence of Memory)(1931)に描かれた巨大な影
ダリのカタルーニャに対する思い入れが大きいことが伝わってきますよね。
ネガティブ思考を意味する作品内の「昆虫」
『記憶の固執』(The Persistence of Memory)(1931)に描かれたアリとハエ
『記憶の固執』の左下のオレンジの時計に群がる「アリ」と、柔らかい時計にとまる「ハエ」。
ダリは昆虫を「腐敗」や「死」の象徴としていました。
幼少期に飼っていたコウモリがアリにたかられて死んでいるのを見て、サルバドール・ダリ少年は恐怖を覚えたそうです。
また、ハエは太陽に照らされて影を帯びており、この影が人間の形のように見えると言われています。
たしかに人間の影のように見えますよね。
人間の死にもなにかトラウマがあったのかもしれません。
『Ants Face』(1936-1937)
https://www.wikiart.org/en/salvador-dali/ant-face-1937
(タイトルの通り。口がアリで覆われている)
そのようなトラウマがアリやハエなどの昆虫として作品にも表れ、鑑賞者の「不安」を煽るような、どこか「不気味」な印象を与えています。
【まとめと感想】『記憶の固執』から読み取れるダリの思想
今回は『記憶の固執』(The Persistence of Memory)(1931)に描かれているモチーフごとに、作者サルバドール・ダリの思想を覗いてみました。
それぞれのモチーフにダリの想いや考え、それらを与えた事象がうかがえます。
- 『記憶の固執』(1931)の「柔らかい時計」はカマンベールチーズからインスピレーションを受けている
- 性的なコンプレックスや興味を抱いていた
- ヒエロニムス・ボスからインスピレーションを受けている
- フロイトの精神分析学に影響を受けた
- 故郷であり、晩年を過ごしたカタルーニャを愛している
- 不安や恐怖が作品に現れることもあった
このように、さまざまな思想を持っていますが、『記憶の固執』だけでなくどの作品にもこれらの思想は一貫しているように感じます。
たしかに。
無意識下からだけでもこれだけ多くの思想が読み取れるのですから、さまざまな「記憶」に「固執」していたのでしょう。
まさに『記憶の固執』というタイトルがお似合いの作品です。
他の作品も気になるものがあれば、ぜひご覧になってみてください。
ダリが当時どんなことを考えていたのか、どんなことが関心の中心にあったのか…
あなたも簡単に天才画家サルバドール・ダリの思想が覗けちゃうかも…?
参考文献
ジネ・シレ(2000)『ダリ』(タッシェン・ニュー・ベーシックアート・シリーズ)タッシェンジャパン.
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Persistence_of_Memory
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Great_Masturbator
https://www.goodreads.com/quotes/340919-those-who-do-not-want-to-imitate-anything-produce-nothing