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世界でこれまで制作された彫刻作品の中で最も美しくしかも精緻を極めたと言われているイタリア人彫刻家ミケランジェロの「ピエタ」。
実は、ミケランジェロは有名なサンピエトロのピエタの他にも3つのピエタを作っています。それぞれのピエタはどんな作品でどのような背景の下で作られたのでしょうか。
サンピエトロのピエタを中心にあとの3つについても詳細を解説していきます。
ミケランジェロの4つのピエタとは
ピエタとはイタリア語で「哀れみ」を意味しますが、キリスト教では、聖母マリアが、十字架に張りつけられ死んだキリストの体を抱いている場面を表す言葉です。
システィーナ礼拝堂の天地創造の絵画でも知られるミケランジェロですが、「彫刻家」と自称するミケランジェロは、生涯にこの場面を表す彫刻作品を4つ制作しています。
どれもが大理石でできていますが、そのうち最も有名で最初に制作したのがバチカンのサンピエトロ大聖堂に展示されている「サン・ピエトロのピエタ」。そしてその後に「フィレンツェのピエタ」「バレストリーナのピエタ」「ロンダニーニのピエタ」と続きます。
バチカンにあるサン・ピエトロのピエタ
ミケランジェロの4つのピエタの中で最初に手掛けたもので唯一完成した作品が「サン・ピエトロのピエタ」です。
制作は1498年~1500年。名前の通りこのピエタはバチカンのサン・ピエトロ大聖堂の中に展示されています。
制作の背景
サン・ピエトロのピエタは最初、大聖堂近くにあるサン・ペトロニッラ礼拝堂のジャン・ド・ビレール枢機卿の墓の上に置かれていました。
というのもこのピエタの彫刻は、ビレール枢機卿が自身が死んだ際にその記念として残しておくために、ミケランジェロに制作依頼したものだったからです(ジャン・ド・ビレール枢機卿はフランス人でバチカンにフランス大使として派遣されていました)。
ただ、枢機卿にとって残念だったのは、枢機卿は完成を見ないまま亡くなってしまったことです。少なくとも、枢機卿の亡くなった年が1499年で、サン・ピエトロのピエタが正式に完成したのが1500年となっているため、そのように考えられています。
ピエタの構図
サン・ピエトロのピエタはよく見ると、マリアの頭を頂点に三角形の構造をしています。
三角形の構図はルネサンス美術の特徴の一つなのですが、サン・ピエトロのピエタでは、まるで母親が幼児を抱いているかのように、キリストの体を支えているマリアの体がかなり大きく作られているのがわかるはずです。
これは三角形の構図を保つためにミケランジェロが意図的にマリアの体を大きくしたからだと言われています。しかも、力が抜けたキリストの体とは対照的に、マリアが着ている服からはマリアの体の健康美が感じ取れます。
こうした不均衡さや対照的な体の表現によって、返って一人の母親が子供の死を悲しむ姿が強調され、哀れみがさらに強く引き出されているのです。
聖母マリアはなぜ若く見えるのか
一枚岩で作られたピエタは、完成後多くの人を驚嘆させその美しさと精緻度が称賛されてきました。
その一方で、聖母マリアがキリストと変わらなくくらい若く見えるのがおかしいと指摘する人もいました。これに対しミケランジェロは、マリアのように神聖な人は歳をとらないという考え方を持っていたと言われています。それはミケランジェロの次の言葉からも感じ取ることができます。
“聖母マリアのこうした瑞々しさと華やぐ若さは、自然の摂理によってだけではなく、神の力によっても支えられているものなのだ。”
ミケランジェロの署名
サン・ピエトロのピエタは、前述の通り大変な好評を受けたわけですが、この作品にはいくつかの後日談があります。
一つは、マリアの着ている服の襟もとに刻まれたミケランジェロの署名。完成当時はこの名前はありませんでした。
ところがあるとき、この作品は二流彫刻家が作ったものだとのうわさが流れるようになりました。それを耳にしたミケランジェロはある夜展示場所に忍び込みマリアの服の襟もとに自分の名前と出身地のフィレンツェの文字を刻んだというのです。
この署名は確かに刻まれたまま残っていて実際に見ることができます。ミケランジェロは通常自分の作品に署名をしなかった人として知られています。そのためミケランジェロの署名の入った作品は後にも先にもこのサン・ピエトロのピエタだけなのです。
ピエタが防弾ガラスに囲まれているのは?
サン・ピエトロのピエタを実際に見るためにサン・ピエトロ大聖堂に行ってみるとわかるのですが、この作品は防弾ガラスに囲まれて展示されています。
それは、1972年に精神異常者が自身をキリストだと信じ、この作品をハンマーで叩き、マリアの腕、鼻、瞼を壊したという事件が発生したからです。また、それよりも前1736年にはマリアの左手の4本の指が折られるという事件も発生しています。
それほどこのピエタは神秘的で人の注意を惹く作品だということができるでしょう。幸い、どちらの事件でも関係者の努力によって、ピエタは原型に近い形に修復されています。
ドゥオーモにあるフィレンツェのピエタ
ミケランジェロが1547年に制作を開始したのが「フィレンツェのピエタ」です。所蔵されているのがフィレンツェのドゥオーモであるため「ドゥオーモのピエタ」と呼ばれることもあります。
自分の彫刻作品を破壊したミケランジェロ
この作品はミケランジェロのピエタの中では2番目に制作を開始したものですが、1553年になってもまだ作業を続けた記録が残っている一方で、結局未完のまま終わることに。完成できなかった一番の理由はミケランジェロ自身がキリストの左足とマリアの腕を破壊したことです。
1553年といえばミケランジェロはすでに78歳。高齢に伴い体力も衰え精神的にも不安定になったことで思うように作業が進まないことが作品を破壊することに繋がったのではないかと言われています。ピエタはその後一部が修復されています。
このピエタはミケランジェロの墓のため?
実はフィレンツェのピエタはミケランジェロが自分の墓に飾るために作っていたと言われています。この作品ではマリアの姿は小さく制作されて、向かって左側にはマグダラのマリアの姿があります。
また、キリスト処刑後の遺体の埋葬に立ち会ったと言われるニコーデモの像がキリストの背後に立っています。ピエタの中のこの人物、顔をよく見るとミケランジェロのように見えるため、自分のことを作品で表現したのではと言われています。どこか心憎いですね。
フィレンツェのピエタは2019年11月から6か月間に渡ってメンテがされることになっていますが、展示場はガラス張りにアレンジされて、メンテ作業の様子を見学することができます。
アカデミア美術館にあるパレストリーナのピエタ
ミケランジェロの3つ目のピエタは「パレストリーナのピエタ」です。
パレストリーナはイタリア中部にある都市の名前。このピエタが美術館に所蔵されるようになったのは、なんと1939年。ミケランジェロ没後375年もたってからのことです。それまでパレストリーナのサン・ロザリア聖堂に放置されいたためにこの名前が付きました。
本当の作者は誰なのか
パレストリーナのピエタは現在、フィレンツェのアカデミア美術館で展示されいます。とは言うものの、この作品が本当にミケランジェロが作品なのかどうかはまだ議論されているようです。
ただ、パレストリーナのピエタのデッサン画と思われるものがブオナローティ資料館でみつかっていつことから、たぶんミケランジェロの作品だろうというのが有力な説です。
完成度の低いパレストリーナのピエタ
パレストリーナのピエタは作品的に完成度が大変低く、それぞれの人物は特徴がなんとかわかる程度に彫られていますが、全体的にはぼやけた感じが否定できません。
このピエタも前述のフィレンツェのピエタと同じようにキリストの背後にはニコーデモが立ちキリストの体を支えています。そしてマリアの姿は小さく制作。このピエタにはマグダラのマリアの姿はありません。
ミラノにあるロンダニーニのピエタ
さて、ミケランジェロの制作したピエタの紹介も最後の作品になりました。
最後のピエタは「ロンダニーニのピエタ」です。最初はローマのロンダニーニ邸の中庭に置かれていたためにその名前が付きました。その後ミラノのスフォルツァ城博物館に移され今に至っています。
ミケランジェロの遺作となったロンダニーニのピエタ
ミケランジェロはこの作品を84歳(1559年)から作り始めていますが、当然のことながら高齢のため体力は衰え、視力は落ち腰が曲がった状態で取り組んだと言われています。
ミケランジェロが亡くなったのは1564年ですから、死の5年前に作り始めたわけです。その結果この作品も未完成の状態で残されることになってしまいましたが、これがミケランジェロの遺作として確認されています。
死に近づいたミケランジェロ
ピエタとは聖母マリアが死んだキリストを抱いている場面のことですが、ロンダニーニのピエタは、キリストがまるで悲しむマリアを背負っているような構図になっています。
ただし、キリストはすでに息を引き取っているわけですから、生きているキリストではなく、キリストの霊がマリアを背負っていると言ったほうが正しいかもしれません。ミケランジェロは死が近づいた自分の人生を思いやりながら、そこで感じ取る「哀れみ」をマリアとキリストに託し表現しようとしたのかもしれません。
そういう意味で、ロンダニーニのピエタは、最初に制作したフィレンツェのピエタとは大変対照的な作品だと言えるのではないでしょうか。
まとめ
ミケランジェロのピエタと言えばバチカンのサン・ピエトロ大聖堂にあるピエタのことを差す場合が多いですが、ミケランジェロは生涯を通して全部で4つのピエタの彫刻を手掛けています。残念ながら残りの3つのピエタは完成には至りませんでした。
けれどもそれぞれの作品からは当時のミケランジェロの心情が良く表現されているように思います。
バチカン、フィレンツェ、ミラノにある各美術館を訪ねて、ミケランジェロの4つのピエタを比べてみてください。